今後10〜20年の間に最も必要とされる仕事

ずばり「教師」である。
機械学習関連書籍を見れば、そこに「教師あり学習教師なし学習」という言葉を見ることだろう。
答は当然のように書かれていたのだ。灯台下暗しである。
学習には 〜 少なくとも機械学習の半分には、教師が必要なのである。

人工知能が話題に上がると共に、「人間の仕事が人工知能に奪われるのではないか」
といった懸念もまた話題に上がることが多くなった。

  * オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」
  >> http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925

  * 日本の労働人口の49%、人工知能・ロボットで代替可能に 10〜20年後 NRI試算
  >> http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1512/02/news111.html

まっさきに「なくなる仕事」の方を気にするのが人の心理だが、
前向きに将来を見据えるなら、むしろ「生じる仕事」の方を気にすべきだろう。
「生じる仕事」の筆頭は何かと想像すると、最も有力な候補は「教師」であることに思い至る。
ここで一言「教師」と言ったが、将来「教師」は以下3つのタイプに分化するものと考えられる。

・Type A: いわゆる従来型の、教室で人間を相手に教える教師。
・Type B: 今日のSE,プログラマーに取って代わる、機械を相手に教える教師。
・Type C: 機械が行った判断・仕事を、人間相手に解釈・説明する教師。

以下、B -> C -> A の順に見てゆこう。


■ Type B: 今日のSE,プログラマーに取って代わる、機械を相手に教える教師

今後10〜20年を視野に入れるなら、現状のようにエディタ(あるいは統合環境)で
プログラムを制作するスタイルは、いわゆる“主流”から外れる。
もちろん、そうした仕事が全く無くなる訳ではないのだが、今日ほどの地位は保てなくなる。
例えば今日でもアセンブラ機械語)を扱う仕事はあるし、将来もアセンブラは無くならないが、
それでもアセンブラが“今日の主流”でないことは認めてもらえるだろう。

では将来の主流は何なのかと言えば、「モデルの構築」であろう。
モデルとは、「機械学習の結果できあがった判別ルールの塊」のことである。
あるいは「学習済みの、判断そのものを司るコア」と言ってもよい。
今日のSE,プログラマーは、「目的の動作を行うプログラム」が中心的な成果物である。
それに対して近未来では、「目的に適った良いモデル」が中心的な成果物となる。

モデルはどうやって作るのか。
それは、機械に適切なデータを与えて、学習させて、育てることで作る。
機械とは、例えばニューラルネットワークや決定木といった「学習するプログラム」のことを指す。
そうした学習するプログラムに対し、
 ・カリキュラムを作成し、
 ・正しい順序で質の良い教材(データ)を与え、
 ・結果を評価し、
 ・必要があれば方針を正す。
これが「機械を相手とする教師」の仕事である。
なるほど人間相手の教師とそっくりではないか。
なので、あえて「教師」と言ってみたのである。

※ 「機械を相手とする教師」と、「教師あり学習教師なし学習」は、実のところ意味合いがずれている。
※ 前者は「機械学習の総合プロデューサー」を指し、後者は「アルゴリズム上の規範の有無」を指している。
※ それでも両者をいっしょくたにまとめて「教師」と呼ぶことで、見えてくるものがあると思う。

機械の教師は、従来型のSE,プログラマーとは、かなり趣を異にしている。
では、そうした機械を教える仕事は、将来何と呼ばれるだろうか。
勝手な造語をひねり出せば「ナリッジモデラー」とか「インテリジェンスモデルビルダー」などといった、
かっこいい(けれどちょっと気恥ずかしい)カタカナ名が浮かび上がる。
(こういった流行を煽るバズワードは、IT営業周辺からいくらでも湧いて出てくるのだ。)
ただ、呼び名はどうあれ、その本質は教師である。

近い将来、こうした「機械の教師」はIT産業の花形になってゆくものと思われる。
ならば、機械の教師の将来は、文句なしにバラ色に輝いているのだろうか。
ここで思い起こされるのは、かつて「ソフトウェアクライシス」という言葉があって、
ソフトウェア技術者不足、SEの未来はバラ色、と言われた時代があったということだ。
時代が下って、いざフタを開けてみると、そこには「IT土方」「デスマーチ」という現実が待っていた・・・
そこまで悲観する必要も無いとは思うが、何の見通しもなくただ「機械学習が流行ってるから」という
理由だけで突き進むなら、そこには「データ土方」の未来が待ち受けていることは想像に難くない。
「データ土方」にならないための心構えは幾つもあるが、ここでは1点だけ、
将来(現在進行形で)行われるであろう企業の「モデル売り戦略」について言及しておこうと思う。

「モデル売り戦略」とは、完成したモデルのみを売り、モデルの作り方自体は非公開とする商売の仕方のことである。
モデルの作り方が公開されなければ、モデルの利用者は作った企業に依存せざるを得ない。
実はこの「モデル売り戦略」には類似の先例がある。
それは、かつて農業で行われた「緑の革命と種子支配」である。
少々長いが、以下に引用しよう。

* wikipedia:緑の革命

 -- 緑の革命の功罪、批判と反論
 ・新品種作物の種子代金と種子会社へのライセンス料金代金による経済的圧迫が、農家を脅かしているという批判。
新品種がトウモロコシのようにF1品種であった場合には、新品種作物が多収量を確保できるのは通常一世代限りであり、
採れた種子を翌年の栽培に用いても期待通りの収量をえることができないため、毎年新たに種子を購入する必要がある。

* 農業協同組合新聞 -- 強まる多国籍企業の種子支配
>> http://www.jacom.or.jp/archive03/series/cat167/2012/cat167120806-17571.html

多国籍企業による種子支配は、第二次世界大戦時に始まった「緑の革命」を起点にしている。
・・・種子企業は優れた品種をもたらす両親をずっと継代培養しつづけ、
毎年その親同士を掛け合わせることで、その優れた品種をもたらす種子を販売し続けることができる。
その種子から作られる子同士を掛け合わせて作る孫の代になると、
今度は「メンデルの分離の法則」が働き、形質がバラバラになって、優れた品種を作ることができない。
そのため農家は、毎年、種子企業から種子を買うようになった。

おそらく「緑の革命」の知識版が、いわば「知識の革命」として進行するだろう。
緑の革命の場合、農家は直接作物を作るのだが、その元になる種子は企業から買う。
その種子とは大企業の実験室で、大がかりな遺伝子バンクをベースに作り出されたものである。
これと同じように、出来合いのモデルを現場にあてはめるのはSE,プログラマーの仕事だが、
肝心の「モデル作り」は大企業の開発室で、ビッグデータベースを背景に為されることになる。
もし私が企業家であれば、そうする。
そして現場での要求が生じる度に、ワンオフの完成モデル 〜 いわば「種子」を、
下請けの「パートナー、協力会社」に売りつける。
肝心の「モデルの作り方、育て方」は門外不出とするか、権利として保護する。

何が言いたいか、お分かりだろうか。
要は、
 「自力でモデルを育てる力が無ければ、企業に良いように使われるだけのデータ土方になる」
と言いたい。
データ土方は「教師」ではない。
教え、育てる力が問われるのである。
巨大でパワーある組織が、規模に見合うだけのデータベース基盤を持つ。
そのこと自体について抗うことはできない。
巨大組織に従うのか、はたまたオープン化を呼びかけるのか、
それでも独立を保てるだけの特色が持てるのか、そこが問われる。
問われるものは、たとえステージが変わっても、今日のSEとさして変わらない。
繰り返す。
機械相手の教師には、教え、育てる力が問われる。


■ Type C: 機械が行った判断・仕事を、人間相手に解釈・説明する教師

先日、アルファ碁についての解説を聞きに行く機会があって、1つ興味深い話を聞いた。

やがて機械の放つ1手の意図が、人間に解釈できなくなる時が来る。
直近の1手の意図が、50手先、100手先になって初めて生きてくるのだが、
もはや人間にはその関連性を追うことができない。
そうなったとき、プロ棋士に与えられる新たな役割とは、
後付けでも良いから、機械が打った手の意味を人間が分かるように解釈することなのではないか。

例えば、自動運転の車が突然ハンドルを切って、目前を歩いていた1人をひき殺したとする。
多くの人間は、機械が壊れて暴走したと思うかもしれない。
しかし、実はそうではなかった。
自動運転機械は、目前の1人を犠牲にすることによって、その直後に高い確率で発生するはずだった
10人を巻き込む大事故を未然に防いでいたのだった・・・

人間には読み取れない、あるいは原理的に読み取ることができたとしても、
解釈することが極めて困難な判断について、果たして機械を全面的に信頼できるのか。
これは囲碁や自動運転だけでなく、重要な判断を機械任せにしたとき、必ずや問いかけられる問題である。
そうなったとき、機械の下した判断を、とにかく人間に理解できるように解釈する必要が生じる。

一例として「因子分析」を取り上げよう。
今日のコンピュータ環境であれば、R言語なり、適切な分析ソフトウェアなりを用いれば、
とりあえず因子分析を実行すること自体は簡単にできる。ほぼ電卓感覚と言ってよい。

 ※ とりあえずやってみたい(けどR言語はめんどくさい)という人には以下がおすすめ。
 ※ * College Analysis >> http://www.heisei-u.ac.jp/ba/fukui/analysis.html
 ※ * 統計分析ソフト HAD >> http://norimune.net/had

その結果、こんなグラフが得られたとする。

しかし、このグラフは一体何を表しているのか?
Factor1、Factor2 とは何か?
この結果は正しいのか、正しくないのか、どの程度信頼して良いのか?
結局、何をどう判断すれば良いのか?
例えて言うならこのグラフは、レントゲン写真か心電図のようなものである。
医者が見ないと何も分からない。
そこで待ってましたとばかり、線形代数やら固有値固有ベクトルやらを持ち出すと、大半は渋い顔をする。
そして口先では「いやぁ・・・勉強不足なもので」などと謙遜しつつ、内心では数学への憎悪をつのらせるのだ。

分かりやすく伝えることは、難しい。
ともするとプレゼンスキルやトークの上手さが取り沙汰される風潮があるのだが、
事の本質は、そういった小手先の技術ではない。
人間から遠く離れた概念を、人間に近づけるように再構成することが、本質的に難しいのである。
それは、線形代数やら固有値固有ベクトルやらを自分自身で理解するのとは、また別種の難しさである。
To know is one thing, to teach quite another.
従来、know 〜 知ることの難しさはよく認識されてきたが、
teach 〜 それを教えることについては、どちらかといえば知ることのおまけといった、
付随的な位置付けにあったのではないか。
例えば最前線の研究開発と、その成果を現場に伝える仕事とでは、どちらが華々しいだろうか。
機械学習は、この主従関係をひっくり返す。
もし最前線が機械に置き換わるとしたら、そして、最前線がますます人間にとって遠いものになるとしたら、
いずれ know と teach の優先順位がひっくり返る時が来る。

そう考えたとき、「プロは兵站を語り、素人は戦略を語る」という言葉が目に付いた。
 ※ この言葉は「補給戦―何が勝敗を決定するのか(中央公論新社)」という本の解説にあり、
 ※ オリジナルは石津氏(防衛研究所)によるものです。

戦争の世界においても、前線では無人戦闘機が戦う時代が来つつある。
前線が機械に置き換わったとき、勝敗を決するのは兵站である。
(置き換わらなかったとしても、勝敗を決するのは兵站だったのである。)
知識の世界においても、いずれ戦争の世界と似たような事態が進行するだろう。
 「前線は機械に任せ、人間はもっぱらロジスティクスにあたる」
そんな構造に移行するだろう。


■ Type A: いわゆる従来型の、教室で人間を相手に教える教師

人工知能の影響は、人間相手の狭い意味での教師にも及ぶ。
今後どのような人材を育てるべきかを考えたとき、
いずれ機械に取って代わられるような人材ではなく、機械に代替が効かない人材、
あるいは機械と共存できる人材を育てるべきだからである。
つまり「教師は教師を」育てるべきなのである。

ついでに言わせてもらえば、今さら「数学は何の役に立つの?」などと寝言を言っているようでは、
(もしあなたが「教師」を目指すなら)はっきりいって論外である。
機械が人間を追い越す段なって、ようやくディープラーニング
微分と線形の集大成であったことに気付いても遅いのだ。

いわゆる学校教師については、少子化で“狭き門”となっているのが実情だ。
それでも学校教師は人気のある職業で、
「将来なりたい職業」でググった上位3サイトの結果は次の通りだった。

1.13才のハローワーク -- 人気職業ランキング
>> http://www.13hw.com/jobapps/ranking.html
  ・18位 小学校教師
  ・68位 中学校・高校教師
  ・77位 中学校教師

2.@DIME 「若者の将来なりたい職業TOP10」 の仕事に就く大人たちの仕事満足度
>> http://dime.jp/genre/244975/
  男性2位 教師/トレーナー
  女性2位 教師/トレーナー
  高校生1位 教師/トレーナー
  大学生2位 教師/トレーナー

3.2015年度 日本FP協会「将来なりたい職業」ランキング
>> https://www.jafp.or.jp/personal_finance/yume/syokugyo/
  女子児童4位 教師

調査に応えた若者たちが「教師」にどのようなイメージを抱いているかは分からないが、
こと「学校」にこだわらなければ、教師に必要とされる資質は実社会において切に求められている。
プロジェクトの成否を分けるのは、「知識のロジスティクス」である。
 「会議で言ったはずだろ、ボケェ!」
 「仕様書に書いて無いだろうが、ゴルァ!!」
という怒号飛び交うプロジェクトは、例外なく失敗する。
優秀な人材は「知識のロジスティクス」に投じるべきなのである。
前途有望な若者がそこを目指してくれるなら、日本の未来は明るい。


■ まとめ

将来を見据えたキャリアパスを考えるなら、何らかの形で「教師」という選択を無視することはできない。
 ・TypeA: 人間を相手に教えるのか。
 ・TypeB: 機械を相手に教えるのか。
 ・TypeC: 機械と人間の間をつなげるのか。
各Typeの人数比はおそらく、TypeC > B > A の順になるものと予想される。
この3タイプのうち、自分はどのタイプを目指すのか、
あるいは「教師」とは全く無縁の道を進むのか、よくよく考えた方が良い。