一般相対性理論の勘どころ(1)
■ 予備知識
特殊相対性理論とは、
『光の速さは、どのように等速運動している人(慣性系)から見ても同じになる』
という実験事実に基づく理論です。
止まっている人から見ても、光を追いかけるように走っている人から見ても、光の速さが同じに見える・・・
ということは、止まっている人と走っている人では、光の速さを測るモノサシが違っている。
空間の長さと、時間の進み具合が違うのだ、というのが特殊相対論の考え方です。
詳しくは以下を参照、
* ローレンツ変換の導出 >>> d:id:rikunora:20111107
■ 時空の境界
見る人の立場によって時空のモノサシが変わる。
ということは、もし立場の違う2人が接したなら、2つの異なる時空の間に境界が生じるはずです。
例えば、立場Aの人が空中にいて、立場Bの人が地上にいたとしたら、
空中と地上の間のどこかでモノサシが変わる境界線(面)が生じることでしょう。
仮に、地上10メートルより上は「止まっている人Aが見た時空」になっていて、
10メートル以下では「走っている人Bが見た時空」になっていたとしましょう。
そこでAの時空から、Bの時空に足を踏み入れたなら、何が起こるか。
きっと「加速」が起こります。
なぜって、Aは止まっている人の時空で、Bは走っている人の時空だから。
AからBに足を踏み入れた途端、止まっていた物体が走り出すような、加速する力が働くに違いありません。
この加速する力とは、いったい何なのでしょう。
現実の世界に当てはめて考えると、それは重力に他なりません。
『運動の加速度と重力加速度は区別がつかない』
これが“アインシュタイン生涯最高のひらめき”であり、現在「等価原理」と呼ばれている、一般相対論の出発点です。
我々が重力を感じるこの空間は、
「ほんの少しずつ時空のモノサシの異なる空間が、幾重にも折り重なってできている」
ということなのです。
上の例では、境界は地上10メートルの1カ所だけなので、
境界から受ける力は地上10メートルの1点だけに限られていましたが、
これをA,Bだけでなく、A,B,C,D・・・と、モノサシの異なる薄い空間を幾重にも重ねていけば、
しまいには連続的に、どこでも重力が働くような空間になることでしょう。
ごく薄い空間を何重にも重ねる、というアイデアは、数学的には“微分”に相当します。
一般相対論で、ことさら時空の微分(多様体の微分)を多用する理由は、
「時空の境界 = 2つの薄い空間同士の差異 = 微分」だからです。
* 参考: 宇宙の果て >> d:id:rikunora:20160924
■ 反変と共変、登場人物と舞台背景
物体の運動を表すのにベクトルを用いるのは、ごく自然な考え方でしょう。
ニュートン力学に登場するベクトルは、もっぱら「物体の」位置や速度を数値化したものですが、
これが相対性理論になると、それまであまり意識されなかった新たな種類のベクトルが付け加わります。
それは「時空間の」ベクトルです。
一般相対論では、登場人物である物体だけでなく、舞台背景となる時空間も変化の対象となります。
それゆえ相対論で扱うベクトルは、物体に関するものと、時空間に関するものと、大きく2種類に大別されます。
物体に関するベクトルのことを「反変ベクトル」、時空間に関するベクトルのことを「共変ベクトル」と言います。
・・・ここで多少なりとも相対論を知っている人なら、「何といい加減な定義だ」と呆れるかもしれませんが、
厳密さに目をつぶって「反変」と「共変」の意味するところを言えば、それらは「登場人物」と「舞台背景」に他なりません。
教科書的な定義では、反変ベクトルとは「座標変換に対して、成分が反対向きに変換されるベクトル」であるとされます。
また、共変ベクトルとは「座標変換に対して、成分が同じ向きに変換されるベクトル」であるとされます。
(なので「反変」と「共変」という名前が付いています。)
まず反変ベクトルの意味ですが、要は「どの角度から眺めても実体は常に不動である」ことが言いたかったのです。
首を右に傾けて見たならば、実体は左に傾いて目に映ります。
顔を近づけてスケールを細かくすれば、実体は逆に大きく拡大されます。
見方を変えれば、物理的な実体は「座標変換と反対に変換されて」目に映る。
何のことは無い、我々が普通に物理的実体として扱うベクトルは、そのほとんどが反変ベクトルだというわけです。
何とまあ、もって回した定義なのだろう・・・と思うかもしれませんが、
数学的に疑問の余地なく「不動の物理的実体がある」ことを言い表すには、
「座標変換とは反対に成分が動く」という他に、上手い表現方法が無かったのです。
では共変ベクトルは何なのかと言えば、とりあえず「座標軸そのもの」であると思ってください。
「座標変換と同様に変換されるベクトル」ってことは、つまり座標軸そのものってことでしょう。
首を右に傾けて見たとき、同じように右に傾くのは、首自身です。
しかしながら、これを「共変ベクトル=座標の基底ベクトル」だと言い切るのは、少々具合が悪い。
なぜなら、あらゆるベクトルは基底ベクトルの組み合わせ(一次結合)で表せるので、
あらゆるベクトルが共変ベクトルになってしまいます。
何とかして、物理的実体ではなく、座標の側を示すベクトルなんだよ、ということが言いたい。
そこで数学的な定義として「座標変換と同じ向きに成分が動く」という言い方をしたわけです。
ある座標系で、何か物理的なベクトルを表せば、上の図のようになるでしょう。
この図で赤い主役の矢印が反変ベクトル、青い背景の矢印が共変ベクトルです。
ニュートン力学の頃は、赤い矢印のことしか考えていませんでした。
それがアインシュタインの登場で、実は青い矢印の方も変化することに気づいたのです。
これが相対論において、反変と共変という2種類のベクトルを考える理由です。
※ 共変ベクトルの例として挙げられるものの1つに“スカラー場の偏微分”がありますが、
※ 逆に言えば(座標の基底ベクトル以外で)例に挙げられるものは、それくらいしか思い当たりません。
※ そもそも共変ベクトルは、物理的実体に対する“容れ物”といった意味合いを持ちます。
※ なので、物理的実体では無い共変ベクトルの例を挙げるのは、かなり難しい注文なのです。
※ また、反変成分と共変成分を斜交座標の上で説明する、というやり方もあるのですが、
※ これがけっこう複雑でムズカシイと私は思っています。
※ ここではまず、反変=物理的実体、共変=座標軸、という(厳密では無いが直観的な)考え方で押し切ります。
※ 斜交座標については、きっと後から分かってくるでしょう。。。
■ 共変と反変はセットになっている
舞台に登場人物が上がって初めて劇が成り立つように、
共変ベクトルの上に反変ベクトルがあって、初めて物理的実体を測ることができます。
つまり、共変ベクトルと反変ベクトルは1セットで1つの意味を持つのです。
相対論の書き方で、反変ベクトルの添え字は上に付け、共変ベクトルの添え字は下に付ける、というルールがあります。
上に付いた添え字と、下に付いた添え字が続けて出てきたら、それらはまとめて“ある座標系から測った物理量”となります。
これと対を為す形で、舞台背景の方に着目するときは、
「物理的実体をあたかも座標系であるかのように見なして」物理量を示します。
ここで「物理的実体をあたかも座標系であるかのように見なした」ものは
「反変基底(ベクトル)」と呼ばれています。
そうなると、「反変基底(ベクトル)って何だ?」と悩んでしまうのですが、私の解釈では、
『背景となる空間を測るには、逆に中身である登場人物の方を基準にする』
のだと捉えています。。。すいません、これ以上適切な言葉を思いつきません。
相対論の数式には、「添え字のセットの和」が頻繁に現れます。
その理由は上記のように、共変ベクトルと反変ベクトルは1セットであるところから来ています。
ならばいっそ、同じ添え字が上下に表れたなら、いちいち和の記号(足し算とか、Σとか)は書かなくていいじゃないか、
としたのが「アインシュタインの縮約記法」です。
なぜ、縮約記法を行っても混乱を招かないのかと言えば、もともと物理的にセットになっている概念だったからなのです。
※ちょうど四則演算の数式で、いちいちかけ算のx記号を書かずに省略する感覚に似ています。
なぜ、反変ベクトルと共変ベクトルの2種類があるのか?
> 登場人物となる物理的実体と、舞台背景となる座標軸、2種類のベクトルについて考えるから。
なぜ反変の添え字を上に書き、共変の添え字を下に書くのか?
> どれが登場人物で、どれが舞台背景なのか、一目で見分けられるような表記方法が必要だから。
なぜ縮約記法(Σの省略)が成り立つのか?
> 上下の添え字がセットになって、初めて座標軸の上にある物理的実在を測ることができるから。
とにかく、
「上付き=反変=物理的実体=登場人物=赤い矢印」
「下付き=共変=座標軸 =舞台背景=青い矢印」
と整理すれば、一般相対性理論を読み取る敷居がグッと下がるはず。
■ 共変・反変に見る図と地の関係
以下、ちょっとだけ脱線。
これは、“ルビンの壺”と呼ばれる図形です。(図はWikipediaより引用)
黒を地とするか、白を地とするかによって、壺に見えたり、横顔に見えたり、2つの意味に捉えることができます。
実は、共変・反変にも、この“ルビンの壺”のような「図と地の関係」があります。
ここまで、反変ベクトルを物理的実在=「図」、共変ベクトルを座標軸=「地」であると捉えてきましたが、
数学的にはこの2つをひっくり返して、反変の方を「地」、共変の方を「図」として捉えることも可能です。
共変と反変は、互いに表と裏のような関係にあって、仮に役割をひっくり返して「裏の世界」に行ったとしても、
それはそれで矛盾なく成り立つ(計算できる)のです。
共変・反変が、図と地、表と裏のように双子の関係になっていることを「双対性」、
「裏の世界」のことを「双対空間」、「裏の世界の基底」のことを「双対基底」と言います。
・・・図と地、裏の世界、双対空間、などと聞くと、なんだかとってもカッコイイものに思えますし、
実際、数学的にはとても美しいのですが、さしあたり双対性についての考察は後回しにした方が無難です。
ここで引っかかっると、いつまでたっても相対論のゴールにたどり着けないからです。
とりあえずは深く悩まず、双対とは「図と地のことだな」程度に留めておきましょう。
以上、脱線終わり。
■ テンソルはベクトル間の橋渡し
一般相対論の関心の中心は「時空の境界」にあります。
ある時空Aから、別の時空Bに切り替わるその境界において、何が起こるかを記述したい。
この、境界を記述する道具立てが「テンソル」です。
テンソルとは、2つのベクトルAからBへの変換表です。
あるいは(同じことですが)ベクトルAとBの間の関係を示した表です。
※ より正確には、“2つの”ベクトル間の変換表のことを“2階の”テンソルと言います。
※ あと、普通は「表」とは言わず、「行列」と言います。
相対論について、こんな説明を見たことはないでしょうか。
「相対性理論では、物理法則が座標変換について不変であることが要請される。
それゆえ、物理法則はテンソルによる方程式で記述される。」
これを見て、テンソルには何か深淵な宇宙の真理が込められているように錯覚されるかもしれません。
が、この文の意味するところを平たく言えば、
「どんな座標系でも物理法則が成り立つように、変換表を付けておきましょう」
ということなのです。変換表=テンソルです。
本当に深淵なのは「どんな座標系でも物理法則は対等に成り立つ」という単純明快な信念の方であって、
その道具立てであるテンソル自体には大した真理は含まれていません(と、私は思っています)。
ベクトルの定義と同様、テンソルの数学的な定義も
「座標変換に対してカクカクシカジカに変換するモノを共変テンソル(反変テンソル)と言う」
といった具合になっています。
-- 道具としての相対性理論(一石 賢)[日本実業出版社]より引用.
定義に従って述べるなら、テンソルとは、
「物理的実在、あるいは背景となる座標軸の間にある関係を表す行列」のことです。
物理的実在であることを数学的に言いたいがために、
「座標変換とは反対に成分が動く」と表現しています。
また、背景となる座標軸であることを言いたいがために、
「座標変換と同じ向きに成分が動く」と表現しています。
これがテンソルの定義式の意味であり、この辺の事情は共変・反変ベクトルと同じです。
※ ただの行列とテンソルの違いは、テンソルには実在や座標といった物理的な意味があるということです。
※「意味がある」とは何かと問われれば、「座標変換に対してカクカクシカジカ・・・」ということです。
しかし、この定義式だけからテンソルのイメージをつかみ取るのは、ほぼ不可能です。
テンソルの指し示すものは範囲が広すぎるので、漠然として掴みどころが無いのです。
考えてもみて下さい。
一般相対論で扱う物理的実在は全てベクトルで書かれています。
時空間についての座標軸も全てベクトルです。
それらベクトル同士の関係を示す変換表のことを、テンソルと呼んでいるわけです。
そうなると、一般相対論の中にテンソルで無いものを見つける方が難しい、ってことになるでしょう。
* 参考: かけ算九九のテンソル >> d:id:rikunora:20160123
では、どこから手を付けるかというと、より具体的に、共変テンソルから理解するのが早道です。
ベクトルに共変と反変があるのだから、ベクトルを扱うテンソルにも共変・反変の別があります。
組み合わせとしては、以下の3種類です。
共変x共変 -> 共変テンソル -- 座標軸と座標軸の関係を表す。計量テンソル。
共変x反変 -> 混合テンソル -- 座標軸と物理的実在の変換を受け持つ。
反変x反変 -> 反変テンソル -- 実在と実在の関係。後ほどエネルギー・運動量テンソルとして登場する。
-- さしあたっては、共変テンソルの逆行列。
■ 計量テンソルは座標の曲がり具合を表す
相対論に登場するテンソルのトップバッターは「計量テンソル」です。
計量テンソルとは、共変テンソルの1つで、座標軸と座標軸の関係を表にまとめたものです。
計量テンソル gij ≡ ei・ej
計量テンソルの作り方:
全ての基底ベクトル同士の組み合わせについて、内積をとって行列に並べる。
なぜ、内積なのか。
ニュートン力学での内積では、背景となる座標軸にさほどスポットが当たっていませんでした。
その場合、実質的には「2本のベクトル同士の掛け算」というイメージで内積が定義されていたのです。
ところが相対論では、ベクトルがどんな座標軸に乗っているかまでを意識します。
そこで扱う対象は、2本のベクトルと、それぞれについて2つの基底、合わせて4つになるのです。
この4つの組み合わせのうち、あらかじめ(基底x基底)の組み合わせを「空間自身の持つ性質」として先に計算しておけば、
内積は(空間自身の持つ性質)x(ベクトルAの成分) x(ベクトルBの成分)として表されることでしょう。
ということで、2つの基底について、成分同士の組み合わせをまとめたものが計量テンソルなのです。
内積の場合、2つの基底は重なっている(2本のベクトルで共通の基底を用いている)ので、
計量テンソルの計算方法は結局のところ
「全ての基底ベクトル同士の組み合わせについて、内積をとって行列に並べる」
ということになります。
例1.最も単純な2次元ユークリッド座標の計量テンソルは、
X軸の基底ベクトル e1 = (1,0)
Y軸の基底ベクトル e2 = (0,1)
計量テンソル= e1・e1 e1・e2 = 1 0
e2・e1 e2・e2 0 1
計量テンソルは単位行列となります。
これは、2次元直交座標が「平坦でまっすぐ」であることを表しています。
例2.3次元ユークリッド座標の計量テンソルは、
1 0 0
0 1 0
0 0 1
つまり3次の単位行列です。
これは「平坦でまっすぐ」な3次元空間を意味します。
例3.2次元の斜交座標。X軸とY軸が角度60°の場合、
X軸の基底ベクトル e1 = ( 1, 0)
Y軸の基底ベクトル e2 = (1/2, 1)
計量テンソル= e1・e1 e1・e2 = 1 1/2
e2・e1 e2・e2 1/2 1
一般に、角度θで交わる斜交座標の計量テンソルは、
1 cosθ
cosθ 1
です。(θ=90°のとき、cosθ=0 となっています。)
基底ベクトルが全て直交しているなら、非対角成分(行列の対角線以外のところ)は0となります。
直交していなければ、それぞれの基底が重なっている分だけ、非対角成分に値が入ります。
例4.2次元極座標
動径方向の基底ベクトル er = (cosθ, sinθ)
角度方向の基底ベクトル eθ= (- r sinθ, r cosθ)
計量テンソル = cosθ^2+sinθ^2 - r・sinθcosθ + r・sinθcosθ
r・sinθcosθ - r・sinθcosθ r^2 (cosθ^2+sinθ^2)
= 1 0
0 r^2
平坦でまっすぐなユークリッド座標(例1)との違いは、
角度方向の成分に r が掛かっているところです。
これはつまり、極座標の円が大きくなればなるほど、
角度1°あたりの長さが長くなることを意味します。
例5.3次元極座標
動径方向の基底ベクトル er = (sinθcosφ, sinθsinφ, cosθ)
緯度方向の基底ベクトル eθ= (rcosθcosφ, rcosθsinφ, -rsinθ)
経度方向の基底ベクトル eφ= (-rsinθsinφ, rsinθcosφ, 0)
計量テンソル = 1 0 0
0 r^2 0
0 0 (rsinθ)^2
平坦でまっすぐなユークリッド座標(例2)との違いは、次のように読み取れます。
r が掛かっているので、極座標の球が大きくなればなるほど、角度角度1°あたりの長さが長くなる。
sinθ が掛かっているので、緯度が赤道に近いほど、角度1°あたりの長さが長くなる。
ここまでの例から分かるように、計量テンソルとは、座標の曲がり具合を表す一覧表(行列)だったのです。
イメージとしては、グラフのメッシュ(単位格子)の形を数字に落とし込んだようなものです。
・例1.2.メッシュの形が正方形、立方体 -> 計量テンソルが単位行列。
・例3. メッシュの形が菱形 -> 非対角項に値が入る。
・例4.5.メッシュの形がバームクーヘン、玉ねぎ -> 伸び縮みに応じた値が入る。
■ 計量テンソルは長さから知れる
話をうんと単純化して、1次元空間の計量テンソル、といったものを考えてみます。
一次元なので、計量テンソルは1x1行列、つまり1個の数字になります。
ごく普通のモノサシの場合、計量テンソルは[1]です。
計量テンソル[1]は、どこでも均等、均一、平坦ということです。
次に、自分の近くにあるほど大きく、遠くにあるほど小さく見えるような「自己中心的な」モノサシを考えてみます。
例えば距離が xだけ離れた場所を 1/x に縮める、とするなら、計量テンソルは[(1/x)^2]となるでしょう。
※ なぜ2乗なのかと言えば、自分自身とかけ算するから。
結果は、こんなモノサシとなります。
これがいわゆる対数目盛りです。なぜなら、∫(1/x)dx = ln(x) だから。
逆に、自分の近くは小さく、離れるほど大きく見えるような「ちっぽけな自分」モノサシであれば、
距離が xだけ離れた場所が x倍になるということで、計量テンソルは[(x)^2]となります。
今度は ∫(x)dx = x^2 なので、さしずめ2乗目盛りといったところでしょう。
ここで唐突に積分が出てきましたが、要は細かい目盛りを積み上げていったものが長さになる、ということです。
逆に、長さを微分したものが目盛り〜つまり計量になります。
1次元の計量テンソルとは、要するに「長さの伸び縮み」のことです。
さて、ここまで1次元で見てきたことは、2次元以上にも当てはまります。
N次元計量テンソルは、N次元グラフのメッシュ(単位格子)の形を示していたのですが、
そのメッシュの各辺の長さが、N次元計量テンソルの対角成分に相当します。
ちょうど1次元の計量テンソルをN個並べたイメージです。
残る非対角成分は辺と辺との角度(重なり具合)から定まります。
※ もし辺と辺が直交していれば、非対角成分は0です。
メッシュ(単位格子)の対角線の長さには、計量テンソルの持つ全ての情報が反映されています。
2次元で考えれば、対角線の長さは、縦の辺と、横の辺からピタゴラスの定理
(さらに角度があれば加法定理)によって定まります。
式に表せば、
上の例4.2次元極座標にあてはめれば、
メッシュの形から計量テンソルが分かります。
例5.3次元極座標
こちらも図から計量テンソルが読み取れるでしょう。
■ ミンコフスキー計量はメッシュに描けない
以上が計量テンソルのあらましだったのですが、
そもそもなぜ、計量テンソルなどという小難しいものにこだわるのでしょうか。
それは、一般相対性理論の基本概念が、
「ほんの少しずつ時空のモノサシの異なる空間が、幾重にも折り重なってできている」
ということだからです。
ここで言う「時空のモノサシ」が、計量テンソルだったというわけです。
それでは、私たちが住むこの時空について、何の歪みもない平坦な状況下では、
計量テンソルはどうなっているのでしょうか。
特に何も無ければ単位行列なのか?
それがちょっと違うのです。
特殊相対論は
「光の速さは、どのように等速運動している人(慣性系)から見ても同じになる」
という光速度不変の原理に基づいていました。
モノサシはあくまでも光の速さなのです。
それって、普通の感覚からすれば特に何も無いどころか、ものすごく変な状況ですよ。
詳しい導出を省略して結果を示せば、私たちの住むこの時空の計量テンソルは、
これは「ミンコフスキー計量」と呼ばれています。
(ただし、光速度 c=1 という単位系を用いています。)
一見シンプルですが、計量の中にマイナスが入っているところが悩みの種です。
この計量の表す4次元のメッシュ(単位格子)が想像できますか?
あえてグラフに描くなら、空間の3次元を実数の軸、時間の1次元を虚数の軸とすれば、
つじつまを合わせることはできます。。。
相対論の難しさの1つは、このミンコフスキー計量なるものが、
想像しがたい本質を有しているところにあるのだと思います。
それでも、その想像しがたい計量が、紛れもなく我々の時空のモノサシなのです。
・・・今回はここまでで力尽きた。やはり相対性理論は一筋縄では行かない。
それでも、ここまでがしっかりイメージできれば、
共変+反変+計量テンソルの3連コンボに耐えられるのではなかろうか。
いずれ気が向いたら (2)に続く予定。