5億円らしいです。
財産には一定の境界線があって、その線を超えると、もはやお金のを心配せずに日々暮らせるのだそうです。
サラリーマンの生涯年収が2億とも3億とも言われていますが、どうやらその境界線は生涯年収よりも上みたいです。
詳しい話は差し控えますが、私の親族の1人が、とある趣味の集まりに行ってきました。
なんでも「大きな会場を貸してくれる人がいる」とのことで行ってきたのですが、
それが「すごい豪邸であった」と、ひどく感心して帰って来たのです。
5階建てで、玄関に入るといきなり大きな剥製があって、
壁には絵がずらりと並んでいて、床の間には大きな青磁の壺があって、
趣味の会場は、その趣味のためだけに用意した特別な部屋で・・・
しかも当主はその建物に住んでいるわけではなく、いわゆる別邸なのだそうです。
私の親族(と、そこに行った仲間)は、上寿司をご馳走になって、
たいへんかたじけない気持ちになって帰ってきたとのこと。
その当主の名前を聞いて、私が「○○財団ってあるよね」と尋ねたところ、
果たしてその○○に連なる一族の方だったようです。
ご想像にお任せしますが、○○には私が挙げるくらい有名な名前が入ります。
で、そこで聞いた話が、冒頭の「境界線」です。
お金というものは、ある一定の金額を超えると別の次元に突入します。
それが世にいう「一生遊んで暮らせる金額」です。
なぜ遊んで暮らせるかというと、お金がお金を生むからです。
たぶん、利子とか、運用とか、投資とか、そういったものでお金が生まれるのでしょうが、
重要なのは、その運用や投資は自分では行っていない、という点です。
自分でやらずとも、「ぜひ、やらせて下さい」と、向こうから手を挙げてやってくる人が幾らでもいます。
だからもう、自分ではやらないし、お金を増やすことについての心配をする必要も無い。
「一生遊んで暮らせる金額」と聞いて、平均的な生涯年収を思い浮かべるのは、境界線より上の世界の発想とは違います。
例えば3億円なら3億円の金額を、目減りしてゆく電池のように考えて、
「毎月60万円づつ使ったら50年持つなぁ〜」、
「だけど本気で遊んだら、一晩で100万円くらい簡単に消えて無くなるなぁ〜」、
などと考えるのは、お金がだんだん減ってゆく世界の発想です。
ある一定の境界線を超えると「お金は減りません」。
それが5億なのか、はたまた10億なのか。
とにかく臨界点を突破すると「お金とは減らない」ものなのです。
たぶん、お金が減らないものになると、物事の考え方が変わってきます。
もちろん仕事なんかしません。
勉強だって、将来のため(つまり将来のお金のため)の勉強はしないでしょう。
あとは趣味ということになりますが、そもそも仕事の対立概念であるような趣味ではない。
一般人が息抜きにたしなむような趣味とは違ったものになるでしょう。
一般人がささやかに自慢するような、高価な装飾品とか、カッコいい自動車とか、貴重なコレクションとか、
金で買えるものには、もはや大した興味を惹かない。
そうなると、何が残るのか?
残念ながら私は、境界線より上の世界には手が届きそうにありませんが、
せめて境界線より上の世界では何に価値があるのかを考えてみたいと思うのです。