なぜ黄金比は美しいのか

A.無限を感じさせるから、だと思う。

数の中には(実数の中には)、分数で表すことのできる有理数と、表すことができない無理数があります。
そう聞かされると、そもそも無理数というものがあること自体が不思議です。
一口に分数といっても、その中には、百万分の1も、一億分の1も、無量大数分の1(?!)もあるのですから、
どこまでも細かくしてゆけば、どんな数だって最後には分数で表せるような気もします。
そこで、無理数というものが本当にあるのか? ということを調べてみると、
まっさきに「背理法による証明」というものにあたることと思います。
* 背理法の説明と√2は無理数の証明
>> http://kazuschool.blog94.fc2.com/blog-entry-75.html
背理法による証明は、まったくその通りで疑念の余地もありません。
それでも直感的でないところはどうしようもなくて、なかなか納得した気分になれません。
(別にケチを付けている訳ではない、むしろリンク先の説明がいちばん分かりやすいと思った)
そこで、無理数というものが在るのだ、ということを、もっと直感的に理解する方法を考えてみましょう。

まず、そもそも有理数とは何なのか、ということを考えてみます。
有理数とは、元はと言えば割り算です。
2つの量が有理数の比になっているのであれば、お互いの差を差し引いてゆけば、最後には共通の公約数が残るはずです。

この操作を「ユークリッドの互除法」と言います。wikipedia:ユークリッドの互除法
お互いに差分を引いて、引いて、・・・を繰り返せば「有限回で操作が完了する」ということを覚えておいて下さい。
このユークリッドの互除法を念頭に置けば、無理数の存在を示すためには、
反対に「有限回で操作が完了しない」状況を見つけ出せばよい、ということになるでしょう。
つまり、どこまで行っても操作が終わらない、無限に続くような状況です。
そして、この無限に続く状況が、最もよく直感的にわかるのが、黄金比なのです。

黄金比とは、正五角形の一辺と対角線の比率です。
正五角形を描いて、その対角線から一辺の長さを切り取ってみましょう。

上の図では、緑色の対角線から、青で示した一辺の長さを切り取ってみました。
次に、ユークリッドの互除法の手順に従って、切り取った残りの長さと、一辺の長さを改めて比較してみると・・・
さっきと同じことが、図の上の赤い正五角形の上で起こっていませんか?
つまり、最初の正五角形の上での(青線)と(緑線)の比較が、
次の赤い正五角形の上での(赤線)と(緑の点線)で、繰り返されているわけです。
お互いを切り取る操作は、どこまで行っても終わらない。
だから、黄金比有理数で表せないのだ、ということがわかります。

同じことなのですが、図としてはこちらの方が美しいかもしれません。

緑の線から青線を切り取って、その残りと同じ長さを、今度は青線の反対側から切り取ってみます。
(上図の緑色の点線部分を切り取ってみた。)
すると、真ん中に残った長さは、正五角形の中心に表れる、小さな赤い正五角形の一辺の長さになっています。
そして、小さな赤い正五角形の一辺の長さと、その対角線の長さは、
ちょうどいま続けている操作の、次のステップになっています。
大きな正五角形の中に、小さな正五角形があって、
その小さな正五角形で操作を続けると、さらにその中に小さな正五角形が出現して、
その小さな正五角形で操作を続けると、さらにその中にもっと小さな正五角形が出現して、、、
この連鎖が、どこまでも続いてゆく。
これが、無理数というものを形で表したものなのだと思います。

無理数である √2 についても、似たような形で表現することができます。

√2 というのは、正方形の一辺と対角線の長さの比のことです。
そこで、正方形を描いてみて、対角線から一辺の長さを切り取ってみます。
ちょうど折り紙を折るように、正方形の一端をたたんでみると・・・
切り取った残りの部分に、赤い小さな正方形が浮かび上がってきませんか。
この赤い小さな正方形の一辺と対角線は、ちょうどそれぞれが切り取った残りの長さになっていますね。
つまり、大きな正方形でやったことが、1段階スケールダウンして、小さな正方形で再現されることになります。
黄金比と同じように、この連鎖はどこまで行っても終わりません。
なので、√2 が無理数であることが解ります。
1+√2 という比率は「白銀比」と呼ばれています。wikipedia:白銀比
黄金比ほど有名ではありませんが、これもまたデザインによく用いられる「美しい比率」です。

黄金比と、白銀比を連分数展開すると、このようになります。

この式と上の図を、よくよく見比べてみてください。
連分数の式が、そっくりそのまま、繰り返し操作を表していることに気付かれたでしょうか。
まずは黄金比から。
自分自身と同じ長さ=1を切り取って、その残りから同じ長さ=1を切り取って、さらに同じ長さ=1を切り取って、、、
これがどこまでも続いている。
五角形の上で繰り返した操作そのものではありませんか。
一方、白銀比の方はどうか。
最初の1回目の操作は、同じ長さ=1を切り取る、ということで良いとして、
2回目以降の、2ずつ切り取るという所は?
ここでいま一度、正方形の対角線の図を見てください。
青い線から、緑の点線を切り取った残りの長さは、赤い正方形の対角線になっていますよね。
次に切り取る操作は、この対角線からさらに緑の点線を切り取ることになるでしょう。
つまり、緑の点線は青い線から、2回続けて切り取ることになる。
その2という数が、連分数展開の式の中に表れてきているのです。

それでは、なぜこのような「無限の繰り返し操作」という性質を持った比率が、デザイン的に美しいと感じるのでしょうか。
もちろん、これはデザインと主観の問題なので、絶対の正解というものはありません。
以下は「無限の繰り返し」に着目した、私の主観です。

人間の創り出すものは、どんなものであっても、全て有限です。
どれほどの名工であっても、有限の大きさのキャンバスの上に、有限の情報量しか盛り込めません。
しかし、たとえ有限のキャンバスであっても、幾つかの工夫によって、そこに無限の影を落とし込むことができます。
有限のキャンバスを、無限に広げる工夫はいろいろあります。
たとえば、こんなの。

実際に絵に描かれている部分は有限ですが、これを見て、
人は地平線の果てまで無限に続く道路を思い浮かべることができるわけです。
北斎の有名な版画に、甲州三島越という作品があります。
こんな感じです。

天まで届きそうな巨木を、あえて全体を描かずに、幹の根元と、そこで背伸びをしている人達をもって表現している。
先の方が描かれていないから、木は想像力によってどこまでも伸びてゆく。
これがもし木のてっぺんまで絵の中に入っていたら、全く迫力がありません。
* 冨嶽三十六景 甲州三島越
>> http://www.museum.pref.yamanashi.jp/4th_fujisan/01fugaku/4th_fujisan_01fugaku36_17.htm
有限のキャンバスに込められた、無限の広がり。
これは名デザインに欠かせない要素だと思います。
そこで、次のような設問を考えてみましょう。
  「最小限の構成要素で、無限大を表現せよ。」
この答の1つが、黄金比なのではないか・・・そのように私は思うわけです。

平面の分割を与えられたとき、人は無意識のうちに「折りたたみ操作」を行います。
たとえば、これ。

左右対称な図形を見たとき、無意識に紙面全体をパッタンと折りたたんでいませんか。
これはどうでしょう。


1/3 のところに境界線があるだけなのですが、これを見ただけで 2/3 の位置にある線を、頭の中で補っていることでしょう。
つまり、頭の中で、パッタン、パッタンと、2回折りたたみ操作を行っているんです。
で、最後にこれ、黄金分割。


線のところで折りたたんで、その残りを折りたたんで、そのまた残りを折りたたんで、、、
実際に頭の中でやってみるのは4〜5回程度でしょうが、それでも人は、
操作が無限に続くことを直感で感じとっているのではないでしょうか。
折りたたみ操作に込められた、無限大。
それが黄金比に込められた美しさなのだと思います。