ちょいじわる

愛しいものに、ちょっと意地悪をしてしまうこと。
この行動のことを、我が家では「ちょいじわる」と呼んでいます。
我が家では犬を飼っているのですが、餌をやるときに、いつもこの「ちょいじわる」をしたくなるんです。
餌をわざとチラチラと見せつけて、いったんひっこめてみたりする。
すると、犬はとっても物欲しそうな顔をして「くぅ〜ん」と鳴いたりするんです。
そうなってから、ようやく隠していた餌を取りだしてきて、
「おお、よしよし」と、頭をさすりながら餌をあげています。
この気持ち、ペットを飼っている人にはきっと分かってくれることと思う。

心根とは裏腹に意地悪なちょっかいを出してしまう、というのは、何も動物相手だけとは限りません。
好きな女の子に何と声を掛けて良いのか分からず、つい、意地悪してしまうとか。
・・・書いてるこっちが恥ずかしくなってきた。
仲良さそうなカップルを、それとなく観察してみてください。
さかんに「ちょいじわる」していることが分かると思います。
・・・ま、あまり長く観察していたくはないのですが。
あるいは、母親が小さい子供に「ちょいじわる」している場面を見かけることもあります。
案外、仲良しの友人同士でもやっていたりします。
こうして見ると「ちょいじわる」は、かなり一般的な概念なのではないかと思えます。
愛しい、かわいい、と感じるものに対して、かなり多くの人がこの態度を示しているようです。

ちょいじわる。
そう言われてみれば、きっと1つや2つは思い当たるものがあるでしょう。
ここで、ちょっと考えてみてください。
この「ちょいじわる」という気持ち、わかっちゃいるのだが、
どうも合理的に説明が付かないように思えませんか。
少なくとも私には、なぜこんなことをするのか、理解できない。
もし本当に相手が愛しいのであれば、ストレートに親切にすれば良いだけではないでしょうか。
餌を隠したりせずに、素直にそのままあげれば良いのではないかと。
「ちょいじわる」が上手く相手に伝われば問題ないのですが、実際には伝わらないことも多くて、
いたずらに人間関係を複雑にしているようにも思えます。
例えば、ほら、好きな女の子に・・・

「ちょいじわる」と対になった心の動きに「拗ねる」があります。
「拗ねる」は、ちょうど「ちょいじわる」と裏表の関係にあるように思えます。
なぜそうなのかと問われると、これまた合理的には説明できないのですが・・・
要は、ちっちゃいものが拗ねるとかわいい、ってことですかね。
拗ねるという行動も、冷静に判断するなら、全く合理的ではありません。
もし過ちが見つかったら、原因を調べ上げ、修正する。
それが最も合理的な選択子であるはずです。
損得勘定だけを考えるなら、拗ねるよりも、素直の方がずっと有利でしょう。
実際、拗ねることによって事態が好転したことって、ありますか?
私の多少の人生経験から演繹すると、拗ねることによって事態が好転できるのは、
小さな子供と恋人同士だけだと思います。

こう考えてみると、そもそも「ちょいじわる、拗ねる」という心の動きが存在すること自体が不思議です。
いかにも人間らしいといえば人間らしいのですが、合理性からすれば、こういった感情は全くの無駄。
生存のお荷物ではありませんか。
それでは、人間以外の他の動物は「拗ねる」のでしょうか。
実は、我が家の犬はちょっとだけ拗ねた行動を取ります。
それは、餌ではなくて、人間様が食事をするときに起こるのです。
人間が食事を用意していると、犬は最初しばらくのうちは「ひょっとして」という期待の目でこちらを見るんです。
やがて、その食事が自分に回ってこないことが分かると、
ぷぃっと横を向いて水の入った皿をなめる、という行動に出ます。
その様子が、「いいよ、いいよ、どうせボクなんか・・・」と言っているように思えて仕方ありません。
ネット上を検索すると、どうも猫は拗ねるみたいです。
私自身は猫を飼ったことはないのですが、「拗ねる、猫」といったキーワードで検索すると、
そういったブログがたくさん出てきます。
これだけではっきりとは言えないのですが、私にはどうも、犬も猫も拗ねているように見えます。
もしそうだとすると、拗ねることは生存のお荷物ではなくて、それなりに意味があることになります。
それでは、「ちょいじわる」は?
これはさすがに人間だけしか行わない行動だと思うのですが、、、どうでしょうか?
謎だらけです。

なぜ「ちょいじわる、拗ねる」という行動が存在するのでしょうか。
どうにも非合理的で謎だらけに思えるのですが、それでもあえて理由を探せば
「拗ねて気を引くことができる」からではないでしょうか。
つまり
 1.少々困惑しているものを愛しいと感じる
感情と、
 2.自分は困惑しているのだぞ、というサインを送る行動
は、ペアになって進化してきたのではないかと。
もし最初にわずかでも1.の感情があったなら、2.のサインが送れる個体は有利ですよね。
結果的に、1.の庇護を受けるか、1.から利益を引き出すことができる。
「べっ、別に困ってなんかいないんだからねっ!」→「くくぅ〜、かあいい!」ってこと。
なので、これが通用するのは、犬猫、小さな子供、恋人、なのではないかと。
だとすると、なぜ最初に1.の感情が発生したのか説明が付かないのですが、
多少劣った個体を切り捨てずに、すくい上げるようなメカニズムがどこかに働くのではないでしょうか。
例えば、兄弟で一番最後に生まれたものをヒイキにしないと、全員が上手く育たないとか。
群れの中で立場の弱いものを守ってやるとか。
「ちょいじわる、拗ねる」といった行動には、どこか温情的なものを感じます。
いわゆる「実社会」で通用しないので、なおさらそうです。

最後に時事ネタを。
北朝鮮のミサイル、あれって「国家として拗ねている」のではないでしょうか。
新聞記事には、発射の与える国際的な影響とか、瀬戸際外交とか、いろんなことが書いてあります。
私には外交とかの難しい駆け引きは全く解りませんが、
「本当にそれほどまでに計算ずくで行動しているのか?」という素朴な疑問が消えません。
国家の行動も、個人の行動と同様、合理的な判断だけで割り切れないのではないかと。
ただ、私の個人的な感情からすると、北朝鮮はちっとも「かわいくない」んですよね。
なので「ちょいじわる、拗ねる」メカニズムは、やっぱり国際社会では使えないと思います。


※ 4/6追記
ふと、「ちょいじわる、拗ねる」という感情は「甘え」というタームでまとめられるのではないかと思った。

次に、「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」はいずれも甘えられない心理に関係している。
すねるのは素直に甘えられないからそうなるのであるが、しかしすねながら甘えているともいえる。
   --「甘え」の構造 より