不確定性原理の再定式化、小澤の不等式を読む
ハイゼンベルグの不確定性原理を破った! 物理の基本法則にほころび!
最近、そんなニュースが話題になっています。
量子力学の基本原理の1つとされている不確定性原理。
その原理に日本人の科学者が修正を提案し、それが実験的にも確かめられたとのこと。
式の上で比較すると、こんな感じ。
ε(Q)η(P) >= h~/2 ・・・ハイゼンベルグの不等式
ε(Q)η(P) + ε(Q)σ(P) + σ(Q)η(P) <= h~/2 ・・・小澤の不等式
※ ε(Q) は位置の観測誤差、η(P)は観測による運動量の撹乱
※ σ(Q)、σ(P) はそれぞれ物体が元来持っている、位置と運動量の量子ゆらぎ
※ h~はエイチ・バー、プランク定数を 2π で割ったもののこと。
しかし、この式だけを眺めていても、いったい何がどう変わったのか、さっぱり分かりません(^_^;)
そこで、とにかくこの話の元になった「小澤の不等式」のプレプリントを読んでみました。
* Physical content of Heisenberg's uncertainty relation: Limitation and reformulation
(ハイゼンベルグの不確定性関係の物理的内容:限界と再定式化)
>> http://arxiv.org/abs/quant-ph/0210044
プレプリントの前半部分を和訳したものを、以下に置いておきます。
>> http://brownian.motion.ne.jp/memo/HeisenbergLimit.txt
I. INTRODUCTION
さて、このプレプリントによると、これまでの不確定性原理は2つの意味を混同していたのだというのです。
1つは、観測による誤差と攪乱。
もう1つは、正準交換関係から数学的に導かれる標準偏差(量子ゆらぎ)の関係。
それぞれ式で書くと、
ε(Q)η(P) >= h~ / 2 ・・・(1)
σ(Q)σ(P) >= h~ / 2 ・・・(3)
となります。
上の式と、下の式の記号が異なっていることに注意。
ε(Q) は位置の観測誤差、η(P)は観測による運動量の撹乱、σは標準偏差(量子ゆらぎ)。
「ハイゼンベルグのガンマ線顕微鏡」の思考実験は、上の式(1)を説明したものです。
従来は、この上の式(1)と下の式(3)を、はっきり区別して扱っていませんでした。
ハイゼンベルクは下の式(3)から、直接的に上の式(1)が導かれるのだとしていました。
しかし、実のところこの(3)から(1)を導くには、2つの仮定を導入する必要があります。
その2つの仮定とは、
(i) Both amounts of ε(Q) and η(P) are independent of the input state.
(i) 入力状態における2つの量、ε(Q) と η(P) は互いに独立である。
(ii) The measurement always leaves the mass with position standard deviation smaller than the ε(Q).
(ii) 観測はいつでも物体を ε(Q) よりも小さな標準偏差の位置に置いたままにする。
ハイゼンベルクは暗黙のうちに、この2つの仮定を導入していた、というわけなのです。
※ なお、(ii)の仮定のことを、元の論文では equipredictivity と呼んでいます。
※ この単語をググってもよくわからなかったので、とりあえず「等価予測性」と訳しました <- これでいいのかな?
II. FORMULATION OF ERROR AND DISTURBANCE
続く II.節には、後で用いる基本的な定義と関係式が登場します。
なのでちょっと気合いを入れて見てみましょう。
物体の観測を時刻 0 から ΔT まで行うとして、その間の運動量の変化を D(P) で表すことにします。
D(P) = P(Δt) - P(0) ・・・(4)
観測による運動量の攪乱 η(P) は、次のように定義しましょう。
η(P) = < D(P)^2 >^1/2 ・・・(5)
<・・・> は平均を表す記号、^1/2 はルート √ のこと。
つまり運動量の変化の二乗の平均値のルートをとったもの、ということです。
次の(6)式には geometric expression 幾何学的な表現、というただし書きが付いています。
η(P) = || P(Δt)ψ⊗ξ - P(0)ψ⊗ξ || ・・・(6)
これのどこが幾何学的やねん? と思うかもしれませんが、実はこれ「ベクトルの長さ」といった意味合いを持っているのです。
ベクトルの終点が P(Δt)、始点が P(0)、||記号はその間の長さ、つまり二乗の平均値のルートをとったものと同じです。
その次の関係式、(7)式は唐突に出てきますが、これは標準偏差(量子ゆらぎ)の定義です。
σ(A) = || A ψ⊗ξ - <A> ψ⊗ξ || ・・・(7)
個々のばらついた値から、平均値を差し引いた差分の”長さ”ということ。
この(6)式と(7)式を組み合わせると、次の(8)式が出てきます。
|σ(P(Δt)) - σ(P(0))| <= η(P) + |
-
| ・・・(8)
標準偏差の差分は、運動量の攪乱に平均値の差分を合わせたものよりも小さい。
ここでもし観測前の運動量P(0)の値がpだとはっきりわかっていたなら、次の(10)式のようになり、
η(P)^2 = < [P(Δt) - p]^2 > >= σ(P(Δt))^2 ・・・(10)
さらに観測前の運動量がゼロだったなら、次の(11)式のようになります。
η(P)^2 = < P(Δt)^2 > ・・・(11)
ここまでは運動量Pについての定式化でしたが、後半部の位置Qに関する定式化は、運動量と似たような感じで対になっています。
式(4) は 式(12)と、式(6) は 式(14)と、式(8) は 式(15)と、式(10) は 式(16)と、それぞれペアになっています。
この II.節の途中に、観測についての際立った主張が為されています。
We suppose that
我々は次のように考えている、
after the interaction is turned off, the outcome of the Q measurement in the state ψ is
相互作用が終わった後、状態ψにおけるQの観測結果は、
obtained by measuring M without further disturbing the momentum P of the mass;
Mを測ることによって、もうそれ以上物体の運動量Pを乱すことなしに得られる、
this is possible by another measuring apparatus coupled only to the probe.
そのような観測は、探査機のみと結びついた他の観測装置によって、可能である。The postulates of quantum mechanics do not limit the accuracy of the latter measurement of M,
量子力学の前提条件では、後からMを観測する精度を制限しているわけではないので、
and hence we neglect the error from this measurement.
我々はこの観測につてのエラーを無視できる。
文中にあるMとは「メーターオブザーバブル」というもので、観測後の探査機の示す値のことです。
観測後に探査機を読み取る分には、もはや運動量Pを攪乱することは無く、エラーは無視できる・・・
この主張は、後で出てくる小澤不等式を導く前提となっています。
III. RECONSTRUCTION OF HEISENBERG’S ARGUMENT
III.節では、上の定式化の下に、従来のハイゼンベルクの不確定性原理の見直しを行っています。
* 量子力学の議論、式(21)〜(24)を経て、式(25)が言える。
< P(Δt)^2 > >= σx(P)^2 ・・・(25)
* 式(25)と、式(17)(先ほどの式(11)と同じもの)から、式(18)が言える。
η(P)^2 = < P(Δt)^2 > ・・・(17)
η(P) >= σx(P) ・・・(18)
* 仮定(ii)から式(19)が言える。
ε(Q) >= σx(Q) ・・・(19)
* でもって、式(18)と式(19)から、次の式(20)が言える。
ε(Q)η(P) >= σx(Q)σx(P) ・・・(20)
つまりこれが、最初に言っていた式(3)から式(1)を導く、ということです。
そして仮定(i)は、式(1)が入力状態と関係なしに成り立つことを保障しています。
・・・なんだか式だらけですね・・・
とにかくこれで、この論文がハイゼンベルクの不確定性原理を「覆している」わけではなくて、
より精緻化したものだということがわかるでしょう。
IV. UNIVERSALLY VALID REFORMULATION
さて、これで元の不確定性原理がより厳密化されたのは良いのですが、
それでは途中で導入した仮定を緩めたら、どうなるでしょうか?
仮定を緩めたときに、どんな観測についても普遍的に成り立つ関係とは、どのようなものでしょうか?
そこで提案されたのが「小澤の不等式」なのです。
ε(Q)η(P) + ε(Q)σ(P) + σ(Q)η(P) <= h~/2 ・・・(26)
証明は・・・もはや元の論文を見てくだされ(不親切)。
そこでは、先に出てきた「メーターオブザーバブル」と、位置と運動量の交換関係 [Q, P] = ih~ から、
小澤の不等式を導き出しています。
元の論文ではこの後に、従来のハイゼンベルクの不確定性原理では扱いきれなかった「破れが生じる」ケースを挙げています。
根性のある人は続けて読んでみよう。
ちなみに、「量子論の基礎(清水明)」という本に本質を突いた記述があったので、以下に引用します。
ここで「上記のもの」と言っているのは、正準交換関係から導かれた不確定性原理のこと。
ガンマ線顕微鏡と交換関係が別物だということは、小澤の不等式がこれほど有名になる以前から知られていたんだなぁー。
この「量子論の基礎」という本、量子論の本質を知るにためには、これ以上ないほどに素晴らしい内容だと思う。
とにかくお勧めです。
量子論の基礎―その本質のやさしい理解のために (新物理学ライブラリ)
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あと、以下のページに小澤の不等式についての記述がありました。
* 科学と技術の諸相 -- Q&A
>> http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/qa_a102.htm
「小澤の不等式は、不確定性原理の拡張ではなく、測定における誤差と擾乱の間に成立する関係を表したものです。
この点を誤解しなければ、量子力学の理解を深めるのに役立つ有用な式だと思います。 」