人類初の超越方程式

太陽の周りを回る地球の運動は、
 ・楕円軌道を描く(ケプラーの第一法則)
 ・面積速度一定である(ケプラーの第二法則)
これらは物理の教科書の一番最初に載っている、いわば基礎中の基礎です。
基礎なのだから、もう300年も昔にとっくに解決済みの問題だろう。何をいまさら・・・
もしそう思っていたなら、次の問題をちょっと考えてみてください。

太陽の周りを回る地球の位置を、時刻tの関数で表してください。

つまり、何年何月何日に、地球がどの位置にあるのかを計算する式を作ってください、ということです。
既に楕円という軌道の形はわかっている。
そして、面積速度一定という運動の法則までわかっている。
では、この2つを使って、地球の位置を計算せよと言われたら?
実はこの問題の答、初等的な物理の教科書にはほとんど載っていません。
なぜ載っていないのか。
それは、この問題を完全に解くためには「ベッセル関数」という特殊な関数の知識を必要とするからです。
いきなり難しい話になってしまうので、学校ではあまり教えないことになっているのですね。。。

ケプラーの法則を手がかりに、改めて地球の運動を考えてみましょう。

上の図で、Sが太陽、Pが地球です。
外側に描いてある円は、楕円軌道を縦に引き伸ばしたものです。
面積速度一定というのは、図で青く塗ってある部分の面積が、
一定のスピードで増減するということです。
図を見て考えると、原点Oから見たときの角度AOQがわかれば、
そこから地球の位置Pは算出できそうです。
以降、この角度AOQのことを、角度uとします。
(角度uとは、楕円軌道を円形に引き伸ばしたときの地球の角度。
 これには離心近点角という名前が付いています。)
つまりこの問題は、角度uを時刻tの関数u(t)として表せ、ということになります。
そこで、角度uを用いて面積速度一定という条件を表してみます。
角度uを中心とする扇形(をつぶした形)AOPの面積は、
青い部分ASPと、緑の三角形SOPになっています。ここから、
  扇形AOP − 緑の三角形SOP = 青い部分ASP
という式ができます。
扇形(をつぶした形)AOPの面積は、角度uに比例しています。
 (円の上の扇形AOQが角度uに比例しているので、
  それを一定の割合で潰した形AOPも、角度uに比例します。)
緑の三角形SOPの面積は、Sin(u)に比例します。
なぜなら、Sin(u)は三角形の高さのことだからです。
 (円の上の三角形SOQが Sin(u)に比例しているので、
  それを一定の割合で潰した三角形SOPも、Sin(u)比例します。)
青い部分ASPの面積は、面積速度一定ということで、時刻tに比例しています。
以上を合わせると、上の式は
  u(t) - e Sin(u(t)) = t   ・・・(ケプラー方程式)
となります。
比例定数は思い切り省いてあります(1にしています)。
1つだけ、e と書いてあるのは楕円の離心率、楕円がどれだけ潰れているかを表す数値で、
  e = OS/OA となっています。
 (三角形SOPの底辺の長さ OS = e・OA ということ)
上の式は「ケプラー方程式」と呼ばれています。
当初の問題は、この「ケプラー方程式」という微分方程式を解け、ということだったのです。

さてこのケプラー方程式、いきなり Sin(u) と入っているところからして、簡単には解けません。
残る手段は、地道に展開して、答を級数の形に書き表すことです。
u(t)はぐるぐる回っているのだから、偶関数です。
そこで、u(t)がフーリエ級数展開できたものとして書き表せば
  u(t) = A0/2 + A1 cos(t) + A2 cos(2t) + A3 cos(3t) + ・・・
となるでしょう。
係数 An は、
  An = 1/π ∫[0〜2π] { u(t)・cos(n t) } dt
として求められます。
・・・ええと、唐突に沸いてきたこれはフーリエ級数の公式なので、
   なぜにと悩むよりも、適当な公式集でも見てくれい。
   以下、途中の計算は退屈なので省略・・・
最終的な結果だけを書くと、

An = - 2e/n Jn'(n e)
ただし、Jn'(z)は第一種のベッセル関数の導関数で、
Jn(z) = 1/2π ∫[0〜2π] { cos(nψ) - z sin(ψ) } dψ
というものです・・・

げげっ、こんなに難しい式だったのか!
正直、この式を見ていきなり理解しよう、などと思わない方が良いです。
「ベッセル関数」を使って解ける、というよりむしろ話は逆で、
ケプラー方程式のまともに解けない部分を取り出したものがベッセル関数だったのです。

そもそもベッセル関数は、惑星軌道の時間変化に関するケプラー方程式を、ベッセルが解析的に解いた際に導入された。
    >> wikipedia:ベッセル関数

つまりこれがベッセル関数の(歴史的な)定義だったのですね。

ケプラー方程式や、省略した途中の計算についてちゃんと知りたい人は、以下を見ましょう。
* 物理あれこれ -- 惑星運動の時間表示
>> http://www.geocities.jp/saitohmoto/physics/physics.html#kepler

よく考えてみると、惑星がどの時刻に、どの位置にあるか、という問題は、
惑星の運動を調べようとすれば当然出てくるはずです。
それでは原点に戻って、このまともに解けそうもない難問を、ニュートンはどのように扱っていたのでしょうか。
プリンキピアをひもといてみると、ニュートンはこの難問を、何と幾何学的に解いていたのです。
正に神職人芸。

この図はプリンキピアに載っている図を少しアレンジして描いたものです。
Sが太陽、Pが地球、というのは上の図と同じです。
外側に描いてある大きな円(半径OG)は、中にある円(半径OA)を、楕円の離心率 e の割合で拡大したものです。
つまり、e = OS:OA=OA:OG になっています。
で、この図の点Aのところに赤ペンを付けて、大きな円を一定速度でころころ転がして描いた赤い曲線が、
ちょうど地球の位置Pになっている、と言うのです。
この赤い線は、サイクロイドと呼ばれている曲線です。
本当にそうなのか!? 図をよくよーく見てください。
先ほどと同じように、青く塗ってある面積一定の扇形ASPと、緑の三角形SOPに着目します。
  扇形AOP − 緑の三角形SOP = 青い部分ASP
楕円軌道を、円に引き延ばしてみると、P -> Qに写りますから、こうなります。
  扇形AOQ − 三角形SOQ = ASQ
中の円の半径OAを a とすると、
  扇形AOQ = 1/2 * a * 弧AQの長さ
となります。
一方三角形SOQですが、これは円の半径 a が底辺で、高さがSRとなっています。
  三角形SOQ = 1/2 * a * 高さSR
ここまでを合わせると
  1/2 * a * (弧AQの長さ - 高さSR) = (一定速度の面積)
つまり、
  弧AQの長さ - 高さSR = (一定速度)
ということです。
高さSRというのは、OS・Sin(u) となっています。
OSというのは、OAに楕円の離心率 e を掛けたものですから、結局
  高さSR = e * a * Sin(u)
となります。
また、弧AQの長さは、外側の大きな円弧GFに楕円の離心率 e を掛けたものです。
(というより、このことを考えて、あらかじめ離心率 e だけ大きな円を描いておいたのです!)
  弧AQ = e * 弧GF
以上から、
   弧AQの長さ - 高さSR
 =  e * 弧GF - e * a * Sin(u)
 =  e { 弧GF - a * Sin(u) }
となります。
弧GFの長さは、外側の大きな円を転がしたときに進む長さそのものですね。
  弧GF = OG * u
つまり、こういうことです。
  OG * u - a * Sin(u) = (一定速度)
これは上に登場したケプラー方程式と、そっくり同じことなのです。
さて、赤ペンで描いたサイクロイド曲線を式に書いてみると、
  x = OG * u - a * Sin(u)
  y = OG * u - a * Cos(u)
確かに、サイクロイドの式と一致しています。
つまり、こうして作図したサイクロイド曲線は、
時刻tに対する地球の位置xを描いた答のグラフになっているのです。

現代人の出した特殊関数の答と、ニュートンの出した幾何学的な答を比べると、
「デジタル対アナログ」だという気がします。
デジタルは正確だけれど、主要部分がマイクロチップのような数式に凝縮されていて、
感覚的に理解することができない。
一方、ニュートンの描いた図形は、精巧な機械時計のようなもので、
デジタルに比べれば、まだ感覚として理解しやすいと思います。
ただし、アナログは熟練した職人にしか作ることができない。
比べてデジタルは根性さえあれば、凡人でも一定の品質が保てます。
ケプラー問題と合わせて、ニュートン
「卵形曲線は代数的に可積分ではない」
ことを示しています。それも幾何学的に!
どうしてこんなことが分かったのか、驚異という他ありません。
「プリンキピア講義」という本から引用します。

2次元の場合のケプラーの法則を解析して、ニュートンは、アーベル積分の超越性について驚くほど現代的な位相幾何学的証明を発見した。
実際にはニュートンの定理は当時の数学者に理解されることはなかった。
それはリーマン面位相幾何学に基礎をおいていたものだったからである。
    ・・・・・・
この補助定理はニュートンの数学的洞察が、彼の時代の科学的理解の水準より200年も進んでいたことをまさに印象的に例示するものである。

プリンキピアの中の「補助定理28」というもの。
図書館からプリンキピアを借りてきてでも、ぜひ見て欲しい。
* 参考:ニュートンはすごい! >> [id:rikunora:20090201]

岩波講座 物理の世界 力学〈4〉力学の解ける問題と解けない問題

岩波講座 物理の世界 力学〈4〉力学の解ける問題と解けない問題

ケプラー問題の厳密解は、この本の第1章に載っていました。

古典力学の最古にして最良の教材であるケプラー問題を解く。ただし最後まで解く。
そんなものとっくの昔に知っていると、なめてかかるべきではない。結構奥が深い。

惑星の運動という問題がいかに「古くて新しいか」ということが実感できる。
最後の章は、理解の範囲を超えていた。

2体問題発祥から300年、現代の日本でも新発見があった!
* 外圏:宇宙Wiki >> http://windom.phys.hirosaki-u.ac.jp/fswiki/wiki.cgi/uchu?page=FrontPage
このページの中から「2体の軌道決定法の新展開」を見てみよう。

・・・「そんな事,もうわかっているじゃない!」と皆さんお思いだろう.
かく言う私も,ほんの少し前までそう思っていた.
もちろん,軌道決定の問題には,ガウスラプラス等の偉人達も取り組んだ.
しかし,実は,未解決問題が残っていたのだ.筆者らがそれを厳密な形で解決した.1)
それも,三角関数と2 乗根という初等関数だけ用いてである.
要するに,「大学1 年生でもわかる厳密解」の発見である.

へぇーっ!