微分方程式に大切なこと

前回のエントリー、「線」の方程式については、予想外の反響を頂きました >> [id:rikunora:20111111]
そこで、「線」の方程式 〜 微分方程式について、もう1つ大切なことを付け加えておこうと思います。
それは、
  ほとんどの微分方程式は解けない
ということです。
解けないとは、一体どういうことなのか。
まずは幾つか有名な例を見てみましょう。

■ 二重振り子
高校の物理で「振り子の運動」というのを教わると思います。
(振れ角の小さい)単振り子の運動は、「解くことのできる」運動方程式で表すことができます。
ところが、その単振り子を2つ縦につなげた、二重振り子の運動は、解くことができません!
実際の運動を見てみれば、まず解けそうにないと納得できるでしょう。

  * 二重振り子のシミュレーション (要 Silverlight4)
 >> http://brownian.motion.ne.jp/memo/DoublePendulum/

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■ ばね振り子
長さの決まった糸ではなく、伸び縮みするバネで作った振り子の運動も、解くことができません。

 * ばね振り子のシミュレーション (要 Silverlight4)
 >> http://brownian.motion.ne.jp/memo/SpringPendulum/

■ 三体問題
「太陽の周りを回る惑星の運動」、あるいは「地球の周りを回る月の運動」なども、
やはり物理の基礎として教わることと思います。
こうした天体の運動も、「解くことのできる」運動方程式で表すことができます。
ところが、扱う星が2個ではなく、3個になったら、運動方程式は解くことができません!
これも運動の様子を見てもらえば納得できるでしょう。

 * 3つの星のカオス運動 (要 Flash Player)
 >> http://brownian.motion.ne.jp/memo/ThreeBallsC.html
 * (参考) 3つの星の行方 >> [id:rikunora:20081112]

以上のような解けない例を身近な人に見せたところ、こんな反応が返ってきました。
「教科書には、ちゃんと答の出ることだけしか書かれていない。
 ウソではないのだけれど、何か騙されたような気がする。
 やっぱり現実の問題は、方程式では解けないんだ。」
こと物理に関する限り、このコメントは的を得ていると思います。
現実の機械はほとんど2個以上の部品でできているし、宇宙にある星の数も3個よりずっと多いのですから。
だとすると、そもそも方程式って意味あるの? ってことになるのですが・・・
たとえ解けなかったとしても、やはり方程式には十分な意味があると思うのです。
もし方程式(で示されるような概念)が無かったら、上のようなコンピュータ・シミュレーションすらできません。
基礎方程式というのは、言うなれば「ゲームのルール」のようなものです。
例えば囲碁というゲームのルールは単純で、ものの10分もあれば理解できます。
では、ルールさえ覚えれば囲碁が全て理解できるのかと言えば、決してそんなことは無い。
基礎方程式もルールのようなもので、ゴールではなくてスタート地点にあるものです。

さて、次なる疑問はこんなことでしょう。
「二重振り子は解けないと言うが、現にコンピュータ・シミュレーションという形で、解かれているではないか。」
とても強力なコンピュータさえあれば、もはや紙と鉛筆で古風(?!)に解く必要なんて無い、そんな意見を持つ人さえいます。
コンピュータで数値的に解くとは、ゲームに例えれば、コンピュータの中で、ものすごいスピードでゲームをやってみることに相当します。
それでは、例えば囲碁でも将棋でも良いのですが、過去に行ったゲームの記録を何千、何万とデータに蓄積したとしましょう。
そのデータの蓄積をもって、果たして「ゲームを解いた」と言えるのか。
確かに、過去のデータは実用上とても役に立つでしょうが、それでも「データの蓄積=答」にはならないと思うのです。
コンピュータが非常に強力になった今日、紙と鉛筆で解くことの意味は、人間が定性的に理解することにあるのだと思います。

ここまで何気に「方程式が解ける、解けない」と言ってきましたが、「解ける」ことの正確な意味は、実のところかなり難しい。
というより、あらゆる場面に共通の明確な「解ける」ことの定義は(いまのところ)無いのです。
例えばコンピュータ・シミュレーションで力技で解いたとしても、ある意味「解けた」ことになるでしょう。
その意味では、二重振り子も「解ける」のだと言えます。
しかし、答を初等関数、X^n, Exp, Sin, Cos、Log などといった、わりとよく知られている関数で表す、
という意味に限定すると、とたんに解ける方程式はごくわずかになってしまう。
例えば単振り子は高校でも解けることになっていますが、実は振れ角が大きい場合には、楕円関数という特殊関数を使わなければ解けません。
太陽と地球だけの二体問題も、実は時間を変数として地球の運動を表すことは、初等関数だけではできません。
* 人類初の超越方程式 >> [id:rikunora:20100515]
つまり、初等関数だけでは、振り子も地球の運動も本当には「解けない」のです。
では、本当のところ、力学の世界で「解ける」とはどういうことを指すのでしょうか。
本には、こんなことが書いてありました。

この状況をふまえ、「解析的に解ける」というやや主観的な表現に代えて、次のようなより客観的な表現を採用することにしよう。
自由度2のハミルトン系の場合、ハミルトニアンH(q,p)=一定以外に独立な第1積分φ(q,p)=一定が存在する系を
可積分系(integrable system)、あるいは完全積分可能系(completely integrable system)と呼ぶ。
この可積分系こそが「解析的に解ける」力学系の精緻化である。
   -- 力学の解ける問題と解けない問題 (岩波講座 物理の世界 力学4)

あるいは、「可積分 定義」でググってみると、こんな資料がありました。

元来「可積分(性)」とは有限自由度の Hamilton力学系に対する概念であった。すなわち、
Liouville-Arnoldの定理:
 自由度Nの Hamilton系にN個の保存量があり、
 それが Poisson括弧に関して互いに可換ならば、
 初期値問題は有限回の求積によって解ける
   -- Painleve性
  >> http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=10557

・・・何だか難しそうなことが書いてある(^^;)
キーワードは「保存量」。
ざっくばらんに言って、何か一定になるような量が見出せれば、それは解けるのだ、という意味でしょう。
ハミルトニアンH(q,p)=一定というのは、エネルギー保存則のことです。)

さらに、可積分系について、このようにまとめた紹介資料がありました。

>> http://gandalf.math.kyushu-u.ac.jp/~kaji/ohp/2007_master.pdf
 --「梶原@九大IMIです」http://gandalf.math.kyushu-u.ac.jp/~kaji/ より、
 --「修士課程入試説明会で用いた可積分系の紹介資料」からの引用です。
ええと、「明確な定義はない」ってところと、一歩踏み入れるととても奥深い世界だということがわかった。
同じ先生が、こんな資料も公開されています。



>> http://gandalf.math.kyushu-u.ac.jp/~kaji/ohp/kuju.pdf
--「数学科1年生向けの九重研修での講演に使った資料」からの引用。
-- ↑これは良い資料、一見の価値あり。
「解ける」微分方程式なんてものは、実はほんの数パターンに限られていて、
あとは「関数の具体形を知らずに」何とかしなくちゃいけない世界が広がっている。。。
これが微分方程式の実情なのです。

最後に、方程式について、ファインマンさんの名言を引用します。

人類の知能の次の大きな発展の時代には、方程式の定性的な内容を理解する方法が生じるかも知れない。
現在の我々には不可能である。
現在では水の流れの方程式が、二つの回転する円筒の間の乱流の理髪店の看板のあめ棒のような構造を含んでいるということを予想できない。
現在では我々はシュレーディンガー方程式が蛙や作曲家や道徳を含んでいるのか、あるいは含んでいないかを見抜くことができない。
これを超える神のようなものを必要とするか、そうでないかということも断言できない。
そこで、どちらでも強く主張し得るわけである。
   -- ファインマン物理学Ⅳ より.