3囚人問題

3人の囚人、A,B,Cがいました。
この3人のうち、1人だけが恩赦になったのですが、
誰がなったのかは囚人に知らされないことになっていました。
囚人Aは、看守に
「BとCのどちら1人は必ず死ぬのだから、処刑される人を1人だけ教えてください」
と願い出ました。
看守は「Bが処刑される」と教えてやりました。
そこで、囚人Aは「最初、自分が助かる確率は1/3だった。
ところが今では、処刑されるのは自分かCかの1/2になった。
自分が死ぬ確率は小さくなったのだ!」
そう考えて、囚人Aは喜んだのです。
さて、この囚人Aの考えは正しいでしょうか?

先に答を言うと、Aの考えは間違っていて、Aが処刑される確率は当初の 2/3 のままです。
なぜ、そうなるのか? 直感的に考えてみましょう。
仮に、Aが処刑と全く関係なくて、BとCが 1/2の確率で処刑されるのだったとしましょう。
ここで「Bが処刑される」という情報が得られたなら、当然、
Bの生存確率0%、Cの生存確率100%になります。
次に、そこにAが加わったらどうなるか。
「Bが処刑される」という情報が与える影響がB,C2人の場合と同じだとすれば、
Bの生存確率が0%になり、その分だけCの生存確率が高まるのだと考えられるでしょう。

BとCとの間の関係は、Aが居ようが居まいが全く変化しないのです。
しかしなぜ、Aは無関係だと言い切れるのでしょうか。
それは、最初から看守がAについて答えないことがわかっているからです。
もし答える相手が秘密を守る看守ではなくて、
Aも含めた死刑囚の名前を全くランダムに答えるものだとしたら、結果は変わってきます。
例えば、死刑囚の名前が書いてある裏にした2枚の札の中から1枚を引いてくる、といった状況です。
1枚の札を引いてきて、そこに「Bが処刑」と書かれていたなら、Aが処刑される確率は 1/2 に下がります。
・看守の場合は、看守はAについて答えないので、Aについての確率は変化しない。
・2枚の札の場合は、札の中にAの名前が含まれている可能性があるので、Aについての確率は変化する。

囚人の人数を3人ではなく、100人にまで増やしてみれば、違いはもっとはっきりします。

* 答える相手が看守の場合、
看守は、Aに対して最大98人の処刑される人の名前を教えることができます。
もしAが98人の名前を知ったとすれば、恩赦に預かれる可能性が高くなるのは、
まだ明かされていない、最後の99人目です。
99人目の生存確率は99%にまで高まります。
しかし、Aの生存確率は、最初から1%のまま変わりません。


* 答を示すものが名前の書いてある札だった場合、
もし98枚目まで札をめくって、そこにAの名前が無ければ、
Aが処刑される確率は 1/2 にまで下がります。

* まとめ *
自分に関係のない、高みの見物で得られた情報によって、自分自身を変えることはできない。

この3囚人問題は、「モンティ・ホール問題」と呼ばれる問題とセットにして考えると、
もっとよく理解できることと思います。
モンティ・ホール問題については、こちらを参照 >> [id:rikunora:20090423]
もし、看守に答を聞いた後で、Aの立場と、残る1人の立場(C,あるいは99人目)を
交換できるのであれば、Aの生存確率は得られた情報の分だけ下がることになります。
残念ながら、囚人の場合には人間を取り替えることはできないので、
確率を下げることはできないというわけです。

※追記
ふと wikipedia:モンティ・ホール問題 を見ると、なんと、上と全く同じ解説が為されているではないですか。
思考パターンが全く同じ? まあ、わりと有名な問題なので、同じところに辿り着くのか。
言い訳をすると、以前「モンティ・ホール問題」というエントリーを書いたときには、
ウィキペディアにこの記述は無かったように思ったのですが、、、
ウィキペディアは進化するのだなあ。

※追記2
実はこのブログには「モンティ・ホール問題」というキーワードで訪れる人が少なくありません。
試しにググってみると現在3位に挙がっていました。ちなみに1位はウィキペディア
元のエントリーを見るとわかるのですが、>> [id:rikunora:20090423]
どちらかというと短く、内容も少なめの記事です。
なぜ、この短いエントリーに人気があるのか。
他にも、もっと力を入れて書いた長いエントリーだってあるのに・・・
そこでようやく気付きました。
「短いエントリーほど人気がある」ってことです。
内容がてんこ盛りのエントリーよりも。
Webというものの性質の一端を垣間見た気がした。

* 参考:新説受け入れ確率 >> [id:rikunora:20081011]