キミの人生何テラバイト?

このブログのタイトルの下に書いてある名言(迷言)をご存知でしょうか?
これは「ギリギリ科学少女ふぉるしぃ」という歌詞の一節から取ったものです。
>> http://www.sham.jp/studio/product/06falsie/cd.shtml
視聴したら、思わず吹いてしまったので、即購入。
初音ミクにはまり、AKIBA-POPにはまる、、、
なんか有る意味すごい王道を突き進んでいるような気がするのだが・・・ま、いっか。
* AKIBA-POP (MOSAIC.WAV) >> http://www.mosaic.cd/
数ある MOSAIC.WAV の曲の中には、他にも気になるものがたくさんありました。
その中の1つ、「キミは何テラバイト?」
>> http://www.sham.jp/studio/sound/10-terabytes/index.shtml
テラなんて、遙か未来のことかと思っていたら、あっという間にやってきましたね。
今や1テラのHDDが8000円の時代。
そろそろ人間の持つ全情報をHDDに収めることが、現実となってきました。
そこで問題、さて「私は一体何テラバイトなのだろう?」
私の人生は、何テラバイトあれば再現できるのだろうか、という疑問です。

人が持つ情報として、まっさきに思い当たるのが遺伝情報。
これが驚くほど少ないんですよ。
なんとたったの 750 MByte 。>> [id:rikunora:20080428]
テラバイトどころではなく、CD-ROM 1枚に収まります。
この情報量を見ると、人間の価値は生まれではなく、育ちなのだ、という思いに駆られます。
それでは、育ちの過程で吸収する情報量はどの程度なのでしょうか。
それを見積もるには、「人間の帯域」を問題にしなければなりません。
人間は1秒間あたり、どれだけの情報量を処理できるか、というその数値です。
これについて、「ユーザーイリュージョン 意識という幻想」という本に、おもしろいことが書かれていました。
「実際には、何百万ビットという情報が、毎秒毎秒、感覚器官を通して私たちの中になだれ込んでいる。
だが、私たちの意識が処理するのは、せいぜい毎秒四○ビット程度のものだ。
何百万ビットもの情報が意識ある経験に凝縮される。」(第六章 意識の帯域幅 P.161)
さらに、この本にはこんなことも書いてありました。
「知覚作用と統覚作用の容量の比率は、よくて100万対1である。
すなわち、我々の目が見、耳が聞き、その他の感覚器官が伝える情報の100万分の1だけが意識に現れる」(P.163)
ここに書かれた数値自体は大ざっぱなものだし、異論もあることでしょう。
同書を読み進めていっても、意識の処理能力は毎秒四○ビットよりももっと少ないとする議論が続いています。
それでも、ここで外せないポイントは、
「意識を対象とするか、無意識まで含めるかによって、人間が受け取る情報量は100万倍も違ってくる」
ということでしょう。
この考えを受けて、ここでは人間の持つ帯域として、次の2つを分けて扱うことにしましょう。
・意識  : 人が能動的に処理できる情報量 : 小さな自分 : 毎秒40ビット
・無意識 : 人の感覚器官を通過する情報量 : 大きな自分 : 上記の100万倍
とりあえず2つに分けましたが、実際に両者の間はもっと緻密な階層構造になっているのだと思います。

それでは、「キミの人生何テラバイト?」の答を見積もってみましょう。
平均寿命については、厚生労働省のサイトに載っていた
「平成18年簡易生命表によると、男の平均寿命は79.00年、女の平均寿命は85.81年」
という数字を採用します。
めんどくさいので、男女を足して2で割って、平均寿命は単に 82年ということにします。
人生の 1/3 は眠っていますが、眠っている間にも夢を見たり、外部からの刺激があったりするので、
眠っている間は起きているときの 20% 活動しているものとしましょう。(数値に深い根拠はありません)
82年 x 2/3 + 82年 x 1/3 x 1/5 = 約 60年
60年 x 365.25 x 24 x 60 x 60 x 40bit = 7.57 x 10^10 bit
一方、1テラバイトのHDDは何ビットかというと
1TByte = 1,099,511,627,776 byte = 8,796,093,022,208 bit = 879.60 x 10^10 bit

つまり、意識だけに限っていえば、1テラバイトのHDDにすっぽりと収まってしまう。
それどころか、1テラのHDDには100人分の人間の一生の意識が収まるという勘定になります。
意識って、小せぇ!
それでは、無意識の領域まで含めた「大きな自分」ではどうなるか。
それは上記の100万倍ってことですから、大ざっぱにいって1テラHDD1万台分、ということになるでしょう。
Google には1万台を超えるサーバーがあるらしいですから、
感覚的にいって Googleの全サーバーの中には、人の一生はすっぽりと収まりそうですね。

以下、一生の情報量にまつわる雑感です。

* 人生は金額よりも情報量で測りたい。
人の一生を金額で見積もると、どことなく現実的でやるせない気持ちになります。
サラリーマンの生涯賃金は、大学・大学院卒男性でざっと2億7千5百万、中卒女性で1億1千百万なのだそうです。
>> http://nensyu-labo.com/heikin_syougai.htm
たとえば冤罪などで、誤って10年間も投獄された人に対しては、
その間正しく働いていたものと見なして適切な金額を返すのだといいます。
でも、お金が返ってきても、人生が返ってくるわけではありません。
こんなときは、
「俺の失われた○○円を返せー!」ではなくて、
「俺の失われたXXテラバイトを返せー!」って叫んだ方がきっと状況に合っています。
もし返ってくるのなら、XXテラバイトが返ってきた方が嬉しいですよね。
具体的にどうやって返すのか、その方法の見当が付きませんけれど。

* キミの一生をボクが完全把握することはできない。
もしキミの一生をまともに再生したら、ボクが一生を送る容量は残りません。
でも、うまくすれば、キミの「小さな自分」を、ボクの「大きな自分」が受け止めることは可能かもしれません。
なにせ100万倍ですから。
だから、キミを意識によって理性的に把握することはあきらめて、
もっと大きな心で、無意識によって包み込むのが良いのだと思います。

* BGMは目立たないけど素敵。
BGMって、とっても損な役回りなんです。
良くできたBGMは、空気のようにストーリーに溶け込んでいて、存在を感じさせない。
反対にBGMの出来が悪いと、とても気になってストーリーを台無しにしてしまいます。
つまりBGMというものは、けなされることはあっても、決して褒められることが無い存在なんです。
人間の中を流れる、意識の100万倍もの大きさの情報は、BGMと同じ位置付けにあります。
うまくいっているときには「全く意識に上らない」。
うまくいかなかったときだけ、意識に上ってきて悲しい思いをする。
なので、意識から見れば、世の中悲しいことだらけのように感じてしまう。
でも、本当はそうじゃなくて、普段あまりにもうまくいき過ぎているので、意識に上ってこないだけなんです。
たまにBGMのことを褒めてあげると、100万倍も幸せな気分になれるぞ。


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※ 1/9追記
その後、こんな記事を見つけました。
* 「一生」を記録するメモリー容量は「3テラバイト」・・・
>> http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_2926.html
「生まれてから82歳まで、人生にかかわるデータを保存するのに必要な容量を2.8テラバイトとはじき出した。」
実際にやってみた人がいるらしい。すごいな。
どうやらテラバイトのHDDが数個あれば、人生はあらかた記録できるようだ。