棒でツンツン超光速

Q.非常に長い棒、たとえば地球から月まで届く棒を使って直接相手をつつくことによって、光の速度を超える通信ができないか。
A.棒は原子からできており、原子間の相互作用は光速を越えて伝達しない。

いかなるものも、光の速さを超えることはできない。
もし光速を超える通信ができれば、過去に対してメッセージを送ることができてしまう。
これが相対性理論の要請なのだが、限界があると知れば、何とか破ってみたくなるのが人情だろう。

地球から月までの距離はおよそ38万km。
光の速度が秒速30万kmだから、月までの通信には約1.3秒かかる。
ところが、この1.3秒という数字は電波(または光)を使った通信の話である。
もっと別の方法で、電波よりも速く通信することはできないだろうか。
たとえば地球から月まで届く、長さ38万kmの固い棒を用意して、直接つついてみたらどうだろう。
あるいは地球から月まで届く、とても丈夫な糸を張って、互いに引っ張り合うことによって通信できないか。
これなら瞬時に通信できるではないか。
長くて丈夫な棒や、伸びない丈夫な糸を作るのはとても大変かもしれないが、それで時間を遡ることができるなら、人類の総力を挙げて作る価値があるはずだ。
もし本当に、棒でつついた通信の方が光速よりも速いのであれば、地球から月までといった長大な空間は必ずしも必要ではない。
もっとずっと短い距離であっても、何度も何度も繰り返し通信を行えば「塵も積もれば山となる」はずだ。
今日のコンピューターは3GHz程度で動作しているのだから、1秒間で30億回の繰り返し操作ができる。
であれば、わずか10cm程度のコンパクトな装置で、地球と月の間の通信と同等の遅れが生み出せるだろう。
こんな簡単なことでタイムマシンが作成できるとは思わなかった。

この棒でつつくアイデアは、確か都筑卓司という先生が書いたブルーバックスに載っていたのだと記憶している。
(本のタイトルは忘れてしまった。)
そこでは地球から他の天体まで届く、巨大な「はさみ」でちょきちょきやったら超光速通信できないだろうか、という奇抜なアイデアが語られていた。
なるほど、巨大なはさみを作るのは大変かもしれないが、原理的にはこれで超光速通信が実現できるではないか。
タイムマシンとは、「はさみ」のことだったのか。

ところが現実は、そう簡単にはいかない。
わかりやすい長い糸の通信から検証してみよう。
長い糸をお互いに引っ張り合って行う通信とは、何か。
これは要するに「糸電話」のことだ。
糸を引っ張る大きさを細かくして、引っ張る回数を上げてゆくと、いつしかそれは糸の振動となってゆくだろう。
振動が糸を伝わる速さとは、つまり音速である。
糸電話の音速と光の速さでは、どう見ても光の方が速そうだ。
棒でつつく場合も、結局は糸電話と同じことだ。
長い棒の端を、例えば金槌か何かでたたけば、振動は棒を音速で伝わってゆく。
日常的に見る数メートル程度の棒であれば、運動=振動は瞬時に反対側まで伝わるので、あたかも「伝達時間0で」信号が伝わるように錯覚してしまう。
しかし何万キロもあるような長い長い棒であれば、棒は「へにゃへにゃした柔らかい媒体」だと見なした方が良い。
棒のひずみは有限の時間をかけて、端から順番に伝わってゆくのである。

確かに、"ひかり"は"こだま"より速い。
常識的にはこの答で満足できるかと思うのだが、ここではもう少し食い下がってみよう。
空気中を伝わる音速は、光速よりも断然遅い。
しかし水中の音速は空気中よりも速いし、固体中の音速は(一般的には)水中よりももっと速い。
概して高密度で固い物体ほど、音の速度は大きくなる。
であれば、うんと固い物体であれば、ひょっとすると音速が光速を超えることもあり得るのではないか。
まだ見たこともないような「超高硬度繊維」をピンと張りつめた糸電話であれば、ひょっとすると電波を上回るかもしれない。
問題となるのは、光速を超えるほど固い物質が作り出せるかどうかにかかってくる。
現在我々が知っている物質だけでなく、未来に開発される新素材までをも含めて。

ところで、物質は何からできているか。
それは原子からできている(普通は)。
物質の中を音(運動)が伝わってゆく状況は、1つの原子から、隣の原子に力を伝える過程が合わさったものだ。
原子と原子の間に働く力とは何か。
それは、主に電磁気力なのである。
原子の周囲は電子が取り囲んでいる。
原子と原子が反発し合って、ほどよい距離を保っていられるのは、周囲の電子同士が反発するからだ。
原子が隣の原子に力を及ぼす速度は、電場が伝わる速度、つまり光の速さなのである。
だから、どんな物質中を伝わる力も、光速以上にはならないのだ。

現代の物理学によれば、自然界の力は4つに分類できる。
「電磁気力、重力、強い力、弱い力」の4つだ。
強い力と弱い力は原子核の内部に働く力で、日常的にあまり表に出てくることはない。
重力は天体スケールになって初めて効いてくるほど弱く、日常的なスケールの物体ではほとんど無視して良い。
そうなると、日常的な現象の大半は「電磁気力」で成り立っている、ということになる。
しかし、いかにエレクトロニクス万能の時代だからといって、そこまで何もかも電磁気に明け渡していいのだろうか。
私がものをつかんだり、押したり、投げたりするのも、全部電気の力?
実はそうなのだ。
原子にまで遡ってみれば、我々の身辺で起こるほとんどの現象は「原子をとりまく電子の運動」によって引き起こされているのだ。
まず、全ての化学反応は電子の運動によって生じる。
私がものをつかむのは、筋肉や脳やおなかの中で起こる化学反応の集大成である。
そして、それらはつまるところ電磁気力を介して起こっている。
その電磁気力の最大伝達速度が光の速さなのだ。
だから、私がどんなにがんばっても光速以上の速さでものをつかむことはできない。
このことは、私でなくても、いかなる物質でできた機械にもあてはまる。
(ついでに言うと、電磁気力以外の残りの3つの力も、光速を越えて伝わることは無いようだ。)

私たちが手頃な物体、机やコップやえんぴつを触れるのも、物体を構成する電子同士が反発し合うからなのである。
1個の原子全体の大きさに比して、その中にある原子核や電子は極端に小さい。
原子の中身はほとんど真空の「すかすか」なはずなのに、原子はお互いに素通りしたりはしない。
それというのも原子を構成する粒子同士の間、ほとんどは外側にある電子同士の間に力が働いて、物質を形作っているからだ。
  [id:rikunora:20080417]
ここで1つ注意すべきは、電子同士の間に働く力は古典的なものではなく、量子力学に従うということ。
ファインマンさんの量子力学の教科書の導入部に、こんな一節がある。
「こうしていま、われわれは、床をつき抜けて落っこちないわけを理解できるようになった。
われわれが歩くと・・・電子はもっと狭い空間内に押しこめられる。
それに伴って、不確定性原理によって、その平均運動量は大きくなり、そのエネルギーは高くなる。
原子の圧縮に対抗する抵抗力は、量子力学的効果によるものであって、古典的な効果ではない。」

このブログで取り上げられていた。
* ファインマンは何と言っているのか?
  http://teenaka.at.webry.info/200808/article_3.html

以上で、棒でつつく素朴な通信方法では光速を超えられないことがわかった。
しかし、光速は超えないかもしれないが、棒でつつく速度は「電流の速度」を上回る可能性はある。
ここに着目すれば、以外な応用の道が拓けるかもしれない。
以前のエントリーで、電子が電線の中を流れる速度は意外に遅いのだということを記した。
  [id:rikunora:20080628]
もし棒でつつく速度が電子の移動速度よりも速かったのだとすれば、いっそ電子回路を棒に置き換えてしまった方が速いということになる。
つまり、機械式時計のような仕組みの方が、電子式のデジタル時計よりも高速に動作する可能性がある。
このことは物理的に否定されていない。
かくして「機械式ナノマシンによる高速CPU」という、時代を回帰したアイデアが浮上する。
黎明期のコンピューターは機械式であった。
パスカリーヌしかり、バベッジの解析機関しかりである。
電子ではなく、直接機械的な仕組みで計算を行うマイクロプロセッサ。
製作の難しさは機械式時計の比ではないだろうが、もし実物が動作したら感動ものだぞ。


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「光速を超える」というキーワードでGoogle検索したら、こんなページがひっかかった。
* たとえば、地球から土星まで届くような棒を用意したとします・・・
  http://q.hatena.ne.jp/1120221211
質問が出されていたのが3年前、皆さんちゃんと考えていたのだ。