クロック数の物理的限界

質問:
 パソコンのクロック数の物理的な上限は?
答:
 プランク定数 h と、与えられたエネルギー E の大きさで上限が決まる。
 1クロックの時間を t とすれば、t >= h / 4 E となる。

新型モデルが出るたびに上がってゆくCPUのクロック数は、いったいどこまで上がり続けるのだろうか。
物理的な限界はあるのか。
その昔・・・といっても実はそれほど昔でもないのだが、私がパソコンを触り始めた当時、最も悲観的な予測では
「パソコンのクロック数の物理的限界は 300MHz くらいではないか」
と言われていた。
今となっては信じられない話だ。
この「300MHz限界説」の主な根拠は電磁波だった。
ラジオ局、例えば TOKYO FM の周波数は 80MHz である。
パソコンのクロック数は、それよりもずっと高い。
ということは、パソコンの内部で電線を1本引けば、それは立派な「放送局」になってしまう。
「放送局」から発した電磁波は、すぐ隣にある電線で「受信」されて、瞬く間にパソコン全体に広がる。
これではとても安定した計算などできるはずがない。
これが「300MHz限界説」の主張だったのである。

ところがその後、CPUのクロック数は年々成長を続け、いつの間にか 300MHz限界は消えてしまった。
あの当時騒がれていた電磁波の問題はどうなったのか。
詳しいことは私も知らないが、きっとメーカーの涙ぐましい努力で限界を突破したのだろう。

こうなると、本当の物理的な限界は一体どこにあるのかと思いたくなる。
電気信号がいかに速くとも、秒速30万キロという光速の壁は突破できないだろう。
現行のパソコンは 3 GHz 程度で動いている。
ということは、パソコンの1クロックで進む電気信号の長さは
300 000 000 (m/s) ÷ 3 000 000 000 (Hz) = 0.1 (m)
つまりたったの 10cm だ。
電子回路を極端に小さく作らなければならない理由は、実はここにある。
実際には 10cm よりももっと小さな長さのうちに、1クロックで動作するゲートを埋め込む必要があるわけだ。
1クロックあたりの電気信号の到達距離は、どこまで短くできるだろう。
1cmくらい? うんとがんばって 1mm?
であれば、数10GHz 〜 数100GHz 程度が、クロック数の限界ということになる。

しかし、電子デバイスは最も進歩の速い世界である。
おそらく、この「300GHz限界説」も早々に打ち破られるだろう。
というのは、未来の電子回路は 1mm よりもずっと小さくなると予想されるからだ。
近い将来、原子数個程度で動作する「ナノ・電子デバイス」が出来上がる。
個々のトランジスタはナノサイズ、回路全体でもミクロンサイズの超小型回路だ。
もしこういった超小型回路が実現すれば、300GHz の壁も、いつのまにか消えることになるだろう。

こうなると、最後に残された物理的な限界は量子力学の世界にある。
量子力学の世界には、プランク定数(6.626068 × 10^-34 m^2 kg / s)という値がある。
そして、不確定性原理によれば、
  Δt・ΔE = h   (時間の最小幅)×(エネルギーの最小幅)=(プランク定数
という関係がある。
この Δt にパソコンのクロックを当てはめて考えると、Δt の値は h / ΔE よりも小さくならないことが分かる。
つまり、パソコンにかかるエネルギーΔE をうんと大きくしないと、Δt の値はうんと小さくはならない。
現実的にパソコンにかかるエネルギーには上限があるだろうから、Δt にも自ずと上限が課せられるだろう。
これが本当に物理的なクロック数の限界だ。

電子デバイスの小型化はどこまで行けるだろうか。
現在普通に考えられる最小のデバイスとは「1量子ビット」のことであろう。
つまり、1量子ビットを反転するのにかかる時間が、システムの最大クロック数を定める。
これと不確定性原理から、クロックの物理的な限界を見積もることができる。
その結論は「マーゴラス・レヴィティンの定理」と呼ばれている。
詳しい話は元の論文に譲るとして、結論を述べると、
 「1クロックの時間を t とすれば、t >= h / 4 E 」
というのが限界値だ。

「マーゴラス・レヴィティンの定理」論文の直訳、興味ある方はどうぞ。
The maximum speed of dynamical evolution(ダイナミックな発展の最大速度)
>> http://brownian.motion.ne.jp/memo/max-speed.txt
-- オリジナル文献はこちらから。
>> http://people.csail.mit.edu/nhm/

参考文献: 日経サイエンス 2005年2月号「計算する時空 量子情報科学から見た宇宙」
私はこの記事で初めて「マーゴラス・レヴィティンの定理」を知った。
この記事の中では、次のような例が挙がっていた。
 ・1Kgのガス状物質が1リットルの箱の中に収まっているとした場合、
  そこで1秒間に為し得るビット反転は 10^20回程度となる。
 ・これは1GHz の 1000億倍のクロック数。
 ・ただし、1Kgの物体を完全にエネルギーに変えるといえば、20メガトン級の水爆そのものだ。
確かに、これなら物理的限界として申し分ない値だと言える。