私感:科学の聖典

この世には、(おそらく)最初は人の手によって書かれたのだろうが、
その内容の奥深さ、人類と歴史に与えた影響の絶大さからして、
すでに人間の手を離れて神格化した著述がいくつか存在する。
いわゆる「聖典」である。

人類の文明は、いわゆる「4大文明」に発祥しているという。
それを真似て、人類の理性の原点となった「4大聖典」を、私の私感で選んでみた。

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最初に断っておくが、以下は私の勝手な嗜好から来る、個人的な意見に過ぎない。
本来であれば、このような「聖典」を並べて論ずるなど、全く恐れ多いことである。
まっとうな信念を持つ人からすれば、
「なぜこれが入っていないのか」とか、
「これを同列に並べるとは言語道断」といった意見もあるだろう。
しかし、そういった意見をまともに受けつけると「宗教戦争」に発展してしまう。
なので、これに関する意見・苦言は一切受け付けないので、悪しからず。

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私の選ぶ「4大聖典」とは、
* 聖書
* クルアーンコーラン
* 般若心経
* ユークリッド原論
である。(この順序に意味はない)


*** 聖書

言わずとしれた「バイブル」。
私の幼稚園は、教会学校と一緒だったので、そこで
しんやくせいしょ」とひらがなで表題の書かれた本をもらった。
幼稚園では毎日1言ずつ、聖書のことばとその解説をしていたとかすかに記憶しているが、
残念ながら1つも覚えていない。
その代わり、毎日唱えていた「主の祈り」だけは、今でもバッチリ覚とえている。

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主の祈り(The Load's Prayer)

天にまします我らの父よ
願わくは み名をあがめさせたまえ み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を 我らが赦す如く 我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず 悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは 限りなく汝のものなればなり
アーメン
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*** クルアーンコーラン

こんなところにリストアップしておきながら、クルアーンについてはほとんど馴染みがない。
聞くところによると、本物のクルアーンアラビア語の、
しかもその当時の古い言葉のものだけが正典であって、日本語訳などは注釈なのだそうだ。
クルアーンは、その当時のアラビア語で詠唱してこそ真価を帯びるらしい。
昔、世界史の先生が「モスクで詠唱されるクルアーンを聞くと、非常に美しい」と
言っておられたことを思い出す。

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開端 (アル・ファーティハ)

1. 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
2. 万有の主,アッラーにこそ凡ての称讃あれ,
3. 慈悲あまねく慈愛深き御方,
4. 最後の審きの日の主宰者に。
5. わたしたちはあなたにのみ崇め仕え,あなたにのみ御助けを請い願う。
6. わたしたちを正しい道に導きたまえ,
7. あなたが御恵みを下された人々の道に,あなたの怒りを受けし者,また踏み迷える人々の道ではなく。
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クルアーン
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/index.html
http://www.isuramu.net/kuruan/index.html(リンク切れ)


*** 般若心経

数ある仏典の中から、今の我々に最もなじみの深い「般若心経」をリストに加えた。
仏教本来の精神からすれば、仏典とは本当の教えではない。
「書かれたものは仏典ではない。
なぜなら、書かれていないからこそ仏典なのであって、
書かれた、書かれたというのは仏典では無いからだ。」
みたいなことになると思う。
しかし何もない「空の教典」を示すことはできないので、ここは代表格の般若心経とした。

私が最初に般若心経に触れたときは、正直に驚きであった。
なんだかよくわからんが、これはすごい、と思った。
それから少しだけ仏典に興味を持ち、岩波文庫を読み漁ったりしたのである。

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仏説摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識亦復如是 舎利子

是諸法空相 不生不滅 不垢不浄不増不減
是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故 菩提薩[タ] 依般若波羅蜜多故
心無[ケイ]礙 無[ケイ]礙故
無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚故
般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経
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*** ユークリッド原論

私は、キリスト教徒でも、イスラム教徒でも、仏教徒でもない。
「科学教徒」である。
おそらく多くの日本人と先進諸国の人たちが、特に入門した意識を持たぬまま、
私と同様「科学教信者」であろうと思われる。
そして、科学教の聖典となるのが、この「ユークリッド原論」である。

もし、いま宇宙人がやってきて、
「地球人の文明と精神構造について知りたいのだが、手頃な資料はないか」
と聞かれたら、私なら「ユークリッド原論」を差し出す。
これこそが人類の理性の原点であると思うからである。

ユークリッド原論 縮刷版

ユークリッド原論 縮刷版

これも昔の話となるが、私の中学には、ユークリッド原論
(正確には原論を元にした初等幾何学)を切々と教える先生がいらした。
私はたまたま席が一番前だったので、ノートを見られては、
ここが違う、ここは正した方がよい、などなど散々な目にあった。
テストでも平気で0点とか付けられた。
ところが、当時散々だった初等幾何学が、
後々になって私の考え方の原点を形作ったのである。
もし現在の私に多少なりとも論理的な思考があったなら、
それは中学の時分に触れた初等幾何学のおかげである。

私はたいへん幸運であったと思う。
というのは、大人になってから悠長に原論など読み直す時間など、
たいていの人は取れないと思うからである。
できれば、中学、高校くらいの時分に、この「聖典」に巡り会っておくことは、
「科学教徒」にとって非常に有意義であると思う。

そこで、いまから「科学教徒」を育てるにはどのような聖典を読むべきか、
これも私の勝手な嗜好で選び出してみた。
もし私が文部省の役人だったら、次のようなカリキュラムを組む。

* 中学前半     : ユークリッド原論
* 中学後半〜高校前半: プリンキピア
* 高校後半     : 数とは何か
* 高校後半〜大学前半: アインシュタインの奇跡の3本セット

これだけ読めば、科学教徒としてはパーフェクトであろう。
(ちなみに私はずっと大人になってから、これらの聖典に触れた。
 もし上記の時期に、これらの聖典を読みこなしていたら、
 今頃ひとかどの人物になっていただろうに。)

聖典」の素晴らしいところは、その迫力とありがたみにある。
例えば「プリンキピアをひもとくぞ」と構えれば、そこにある種の気迫が生じないだろうか。
たとえ同じ内容を持った現代的な教科書を開いたところで、
聖典の持つ「神聖な雰囲気」はなかなか得られないのである。
極端に言えば、最初に読んだときは意味なんて分からなくてもよいのだ。
「お経」のように、ただただ読み上げるだけでよい。
お経のように唱え、神聖な雰囲気を感じ取る。
これこそ正に、科学教の教えにふさわしい。


*** プリンキピア

これを見れば、ニュートンがいかに巨人であったか、実感できる。
プリンキピアの特徴は、現代風の数式ではなく、
全てユークリッド風の幾何学によって構成されていることだ。
これは一般には難解だと言われているが、
微積分というものが無い地点から運動を理解するには、
この方法以外考えられないように思う。
驚いたことに、ニュートンは単に古典的な解析学を完成させただけではない。
今日の非線形と呼ばれる分野、解析学の限界まで、ニュートンは見通していた感がある。
恐ろしいまでの直感力である。

これほど有名でありながら、原典が読まれていない本も珍しい。

これを書いている現在、日本語訳は古本でしか入手できないようだ。
プリンシピア―自然哲学の数学的原理 (1977年) 中野訳
私は、その代わりに

チャンドラセカ-ルの「プリンキピア」講義 (KS物理専門書)

チャンドラセカ-ルの「プリンキピア」講義 (KS物理専門書)

という本を入手した。
この本は、まともに買うと\1,2000。
いかに聖典とはいえ、これをポンと買う人は少ないだろうと思う。
私は古本で入手したのだが、それでも数千円はした。
装丁が聖典にふさわしくゴージャス。
ところで、このタイトルにある「一般読者」って誰のこと?


*** 数とは何か

これは他の聖典よりも無名かもしれない。
著者はデデキント岩波文庫から出版されている。
この本は私に「現代数学とは何か」を教えてくれた。
この本を見るまで、私には数学というものが何をやっているのか、よくわかっていなかった。
デデキントカントールの先輩格にあたる人物である。
代数学集合論を基礎にしているのだが、その基礎に当たる部分は、
この「数とは何か」によって形作られているのである。


*** アインシュタインの奇跡の3本セット

「奇跡の年」に発表された3つの論文。
* 特殊相対性理論
* 光電効果
* ブラウン運動
この3つは「アインシュタイン選集1」[共立出版] という本に収録されている。

アインシュタイン選集 1 ―特殊相対性理論・量子論・ブラウン運動―

アインシュタイン選集 1 ―特殊相対性理論・量子論・ブラウン運動―

特殊相対性理論だけなら岩波文庫から出ている。
前半の「1.運動学の部」であれば、高校生でも十分に読める。
平易かつ明瞭な理論を組み立て、遥に高い領域に到達する。
正に思考のお手本である。
私はこれ以上の物理のテキストを知らない。
物理学とは何か、と聞かれれば、
それは「運動している物体の電気力学について」のことである、
と断言してもよい。

ブラウン運動は、このサイトの主題からして、外せない。
私は原論文にあたってはみたが、さすがに解説がないと苦しかった。
幸いインターネット上には、優れた解説が幾つもあった。
そういった解説に助けられつつ聖典を読めば、
アインシュタインの到達した領域に、少しでも近づいた気持ちになれるのだ。