科学の力で怠けよう!

※この文章は、先に書いた
「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」
http://d.hatena.ne.jp/rikunora/20080420/p1
の続編です。

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「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」は、
今、人類がその気になれば「物理的には」実現可能である。
しかし、「社会的に」実現することは、極めて難しい。

「お金の要らない世の中」が実現しないのは、
例えば絶対的なエネルギー資源不足といった物理的な問題ではなく、
もっと別の、社会的な問題に起因する。

その問題とは何か?
また、どうすればその問題が解決できるのか?

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<< その問題とは何か? >>

■問題の本質

* この世には、持つ者と持たざる者がいる。
* 持つ者は、持たざる者に何の理由もなく分け与えるべきか。
* それとも、何らかの理由によって分け与えないのが当然なのか。

■「分け与えない」を支える根拠

「何らかの理由」とは、「人の役に立っている」、「社会貢献している」ということである。

社会貢献した人間が、それに応じた報酬が得られるのは当然のこと。
そうすれば、みんながお互い人の役に立とうとするので、結果として良い社会ができあがる。

■それのどこが問題なのか?

現実には「社会貢献していない、したくてもできない」ために、
お金がもらえない人がたくさんいる。
この現実を見ながら、貢献していない人に何も分け与えないでいるのは、
果たして当然なのだろうか。

今の世の中で、一番社会貢献する行為とは、
「みんなが社会貢献できる場を用意する」ことだろう。
ならば、そこまで無理してみんなが社会貢献する必要があるのか。

■問題をここまで単純化しても良いのか?

もちろん現実が複雑であることは認める。
実際には上記の本質に、国際関係とか、イデオロギーとか、地方とか、法制度など、
様々な要因が絡み合って、問題を非常に複雑化している。

しかし、その様々な問題の共通因子を探り当ててゆくと、いずれ上記の本質にたどり着く。
お金に関するあらゆる問題の根底には、必ずこの「本質的な選択」が横たわっているのである。
この選択によって全てが解決できるとは思えないが、
逆に、この要点が突破できなければ、結局のところ何一つ進展しない。

■なぜ「社会貢献」が正当な理由ではなくなったのか?

第一の要因は、必需品はもうあらかた作り尽くしてしまい、
実質的なフロンティアはほとんど残っていないからである。

第二の要因は、「生産量/労働量」が著しく向上したためである。
逆に言えば「労働量/生産量」が極端に少なくなったためである。

例えば今日、学問の世界で実質的な貢献ができるのは、
ほんの一握りの人間だけである。
残りの大多数は、学問の恩恵にぶら下がるだけで、
実質的には何も新しいものを生み出していない。
今後、学問の最先端がますます遠のくにつれて、
この傾向は一層強くなるものと思われる。

同様の傾向が、社会貢献についても見られる。
生存のための生産ならば、ごく一部の人間だけで済む。
生存に必要な労働量は、全労働の10%程度という試算もある。
残りの大多数は「いらない」。
かくして「正当な理由」を巡るイス取りゲームが始まる。

現実にはこれに
*「どこまでが必要で、どこまでが贅沢品か」という議論
*「いかに需要を拡大するか」といった経営的な努力
などが加わって、問題をいっそう複雑化している。

■「社会貢献」は素晴らしい考え方に思える。それが間違っているとは思えない。

昔は正しかったのだ。
成長が必要とされていた時代には。

■努力を重ねて成長し続ければよいのでは。

物理的な限界がある。
そのため、資源、環境にしわよせが来ている。

■なぜ現状ではいけないのか?

世の中の半数以上が不幸になるから。


世の中が上り調子のときには、みんなが一様に幸せになれる。
下り調子のときには、一部の人だけが不幸になる。
そして今、世の中は頭打ちである。


例えば会社が上り調子のときには、ボーナスは社員全員に出る。
しかし首切りは最も成績の悪い社員だけである。
似たような状況は、国家レベルでも生じている。
どんなに飢えている国にも、飢えとは無縁の人たちがいる。


世の中の物理的成長が平均して平坦となり、上りと下りが同じくらい交互に現れたなら、
半数は幸福に、残りの半数は不幸になる。
しかし、勝ち組が主導権を握るという非対称性から、負け組は半数を超える。
かくして均衡点は、少数の勝ち組と多数の負け組に傾く。

■なぜ現状の構造は崩れないか?

勝ち組が主導権を握っているから。


自分が勝ち組に回ったとき、全員に分け与えるより、
「正当な理由」によって勝ち続けた方が良いに決まっている。


だから、こんなことは「負け組」に属し、
かつ「正当な理由」を論破できる人しか言い出さない。

■お金を無くせば問題は解決するか?

No。
ただお金を無くしただけでは、混乱するばかりである。
かつて、ポル・ポトは実際にそれを行った。
その結果、大量虐殺が起こった。

■愛は世界を救えるか?

人の善意や良心、美しい心に訴えて、相互扶助を行えばお金はいらない?


もし世の中が100%美しい心を持った人たちだけで構成されていれば、それは可能だろう。
問題なのは、善意の市民の中にほんの一握りの「ずるして利得を稼ぐ人」が現れたとき、
相互扶助システムが崩壊するところにある。
美しい善意の世の中は、悪意に対してあまりにも無防備なのである。


町中の全員が良い人ばかりであれば、鍵というものは必要はない。
実際には、たった1人の泥棒が出る可能性のために、
全員がある意味無駄な「鍵」を使わざるを得ない。
美しい心は必要だが、それだけで問題は解決しない。

■臨界点を超える日が来るのか?

不幸な負け組が社会の大半を占めれば、
「いいかげん、ばかばかしいから止めよう」とみんなが言い出す日は来るのだろうか。
おそらく経済破綻と同じ日に。


しかし、その日はただ待っていても永遠に来ない可能性もある。
「百姓は生かさず殺さず」であれば、負け組は生殺し状態のまま、
臨界点を超えないままズルズル行くだろう。


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<< どうすればその問題が解決できるのか? >>

■答

    科学の力で解決する。


    善意は必要である。
    しかし、科学の伴わない善意は、無力である。


今の世の中を見回して、現実的にお金の力に拮抗できそうなのは、科学の力だけである。
  参考サイト: [通貨の廃止]
  http://wiki.livedoor.jp/tuuka_haisi/d/FrontPage

■具体的な答案

以下にリストアップするテクノロジーの一部、あるいは全部を実現し、
全人類が最低限生存できる環境を整える。
同時に、実質的な労働は全て機械に任せ、人間の労働量を極限までに減らす。


 合言葉:「科学の力で怠けよう!」

● クリーンエネルギーの確保

太陽電池の低コスト化、超寿命化。
あるいは太陽エネルギーを有効利用する、他のテクノロジーの開発。
植物プランクトンや植物細胞を利用してエネルギーを得る工夫。
人工葉緑素の開発。


微細発電素子によるエネルギー回収。
道路や歩道、騒音の発生源、自動車から靴の裏まで、至る所に微細な発電素子を組み込み、
小さく、たくさん、エネルギーを回収する。
微細発電素子を搭載した自律マイクロマシンの開発。

● 巨大太陽発電衛星+地球放熱システム

宇宙に進出し、有り余る太陽エネルギーを受け止める巨大太陽発電衛星を建設する。
同時に、地球上に巨大放熱板を建設し、トータルエネルギーフローを高める。

● 自律型ロボットの開発

一度プログラムを組み込めば、あとはほぼメンテナンスフリーで
勝手に働いてくれるロボットを開発する。


たとえば、目的地をセットすれば、自動的に配達してくれる無人自動車。
多数のセンサーを搭載し、自律的な判断を行うだけでなく、
自動車同士、道路上に埋め込まれたセンサー、あるいは衛星システムと相互に連絡し合い、
決して渋滞せず、自動車同士の事故も起こさない。
高速道路では互いに合体してクラスターとなり、省エネで大量の荷物を輸送する。
目的地の近くに来たら分解し、パケット単位で小さな荷物を送り届ける。

● 自己補修型プログラム

ロボットを制御するプログラムのメンテナンスを、
極限にまで少なくするテクノロジーの開発。
問題にぶつかるたびに、ネットワーク上の知識データベースから
自らに最適な解決案をダウンロードしてきて自己修復を行う。
どうしても解決できなかった問題はネット上のハッカー達に配信され、
ハッカー達は名誉を賭けて問題解決にあたる。
機械だけで完全な自己修復を行うことは(数学的に)不可能だが、
特定の領域で「経験」を積み、半分は人の手から為る
問題解決データベースを充実させることはできる。
これにより、ネットワーク上に進化し続けるプログラム集合体を構築する。

● 掃除、洗濯がめんどうな方へ

そのまま食べられるお皿。
自然分解プラスチック。
ゴミ処理しなくても、微生物が勝手に分解してくれる「生きた皿洗い機」。
繊毛が勝手にゴミを集める、いつでもクリーンな「生きた絨毯」。
洗濯しないでも良い服。(形状記憶Yシャツはすばらしい!)
生体の汚れを取り除く人工シラミ、ただし血は吸わない。
本物の皮膚の上にかぶせた人工皮膚。
プログラム1つで見た目や機能が変化し、破れたらカサブタができて自己修復する。

● 微生物のおいしい食べ方

セルロース分解酵素の開発。
爆発的に増殖する昆虫や微生物から、おいしいハンバーグを作る方法。

● 都市を覆う巨大ツタ

あるいは屋上プランテーション
生きている緑色の塗料。
ビルにかかるエネルギーコストを一気に下げ、温暖化を防止する。

● 世界をつなぐ低コストネットワーク

携帯電話程度の本体に、
スピーカー+マイク+カメラ+無線LAN+手回し発電機を取り付けた、
世界の全てを結ぶための低コストデバイス
水やホコリや寒暖に強く、Gショック並に丈夫。


貧しくて、コンピューターもなく、インターネットにも接続できない地域に配布する。
お互い同士が無線LANで連結し、細く、長いリレーを通じて、
世界中のいかなる辺境からでもインターネットへのアクセスを可能とする。
このネットワークの目的は、絶望に閉塞した地域に希望をもたらすこと。
自分はたった1人ではないのだという実感を、世界中に知らしめることにある。


(こんなものが開発されている。
One Laptop per Child -- http://laptop.org/ , http://laptop.org/index.jp.html

● 世界の現状を、科学的に訴えるための表現手段

成長の限界」という本を見よ。

ブラウン運動を利用した分子モーター

生物が動く仕組みを分子レベルで解明し、
それをもとに、かつてない高効率の分子モーターを開発する。
この分子モーターが、マイクロマシン、ナノマシンの原動機となる。


これが、このサイトを立ち上げた真の目的でもある。
仮に、このサイトに記載したような「Maxwellの悪魔」が実在したとすれば、
「お金のいらない世の中」は半分まで実現したと言ってもよい。
そうでなかったとしても、生物分子モーターには、
依然として未知のテクノロジーの鍵が隠されている。
詳細はサイト本編にて。

● 最後に、

  あなたが付け加える、まだこのリストに入っていない、すごいやつ。

■でも私の会社(あるいは私の上司)は、上のリストにあるような提案を受け入れないのだが。

お金もうけのためのテクノロジーと、お金のいらない社会を構築するテクノロジーは、
共通部分もあるが、異なる部分も多い。
共通部分については、特にテコ入れせずとも、半ば自然に進む。
問題は共通では無い部分にあり、それこそが真のボトルネックなのである。


即効性のあるよい解決方法は無い。

* 根気よく説得する。
* まずは自分の力で、こっそりと、細々と続ける。
* 地方行政や公的な補助金に申請してみる。
* インターネットを通じて世界に訴える。
* 脈のありそうなところにメールを送ってみる。


とりあえず、私の元までメールを送ってみる、というのはどうだろう。
良い回答が返せる保証はないが、少なくとも共に悩むところまでは保証しよう。

■私は上のリストのような方法で、科学に貢献できそうにないのだが。

まず、美しい心を持とう。
これについては良い本がある。
成長の限界 人類の選択」という本の、最後の章(第8章)に目を通してみよう。
そこに掲げられている5つのルールとは、
  * ビジョンを描くこと
  * ネットワークを作ること
  * 真実を語ること
  * 学ぶこと
  * 慈しむこと
である。
私はこれを読んで涙した。


それがめんどうであれば、とりあえず
世界がもし100人の村だったら」を見てみよう。


次に「お金のいらない世の中」は、物理的に実現可能な1つの選択肢であることを理解しよう。
そして、未来を考慮しない極端な拝金主義は、
「ダサくてカッコ悪い」のだという風潮をかもしだそう。
例えば喫煙という習慣は、昔はカッコよかったのだが、今はダサくてかっこ悪い。
お金もそれと同じである。


実のところ上のリストに掲げたような大発明は、1人の天才だけで実現できるものではない。
それを理解する社会基盤、具体的な資金援助、無形の精神的な援助があって、
初めて成立するのである。
そのためには、「直接科学に貢献できそうにない」多くの人の助けが必要なのである。
ひとりぼっちでは、何もできない。

■まとめ

もし「お金のいらない世の中」を実現しようと思ったら、
私の考えの及ぶ限りで、答は1つしかない。


    科学の力で解決する。


いままでの歴史は、お金は無い状態から、ある状態へと進んでいった。
だから、お金は全く無意味なものではないし、「お金=悪」でもない。
しかしなぜ、今頃になってお金の不要を説くのか。
それは、人類の物質的な成長が、ある一定のレベルに達したからである。
物質的な成長が止まれば、全員が労働する必要はない。
むしろ、資源と環境からすれば、全員が労働することは悪である。


これは、人類史上初めての体験である。
今までの人類は、成長中か、あるいは成長以前の段階にあった。
21世紀になって初めて、人類はもうこれ以上働かなくても良いレベルに達したのである。
これは大変うれしいことだ。
本来であれば、人類の全てが労働からの解放を祝福すべきである。


なのに、同じ人類同士での富の再分配という問題だけで、
人類は未だに無駄な資源消費と、不必要な労働をお互いに強いている。
その愚かさは、人類同士で互いに殺し合う戦争と大して変わらないように思える。


人間は、物質と精神から成る。
お金は本来、物質的欲望だけを満たすべきものである。
それを、お金の力で精神的な問題までを解決しようとするところに、歪みの根源がある。
科学は、あらゆる物質的欲望を解決する力を持つ。
だが精神的な問題は、お金も、科学も、他の何物も解決することはできない。
人間の精神的な問題を解決できるのは、人間の精神だけである。


物質は科学が解決し、精神は人間が解決し、そしてお金はいらない。
これが、未来の人類が望むべき姿である。

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