AIに「人間に仕事を与える」という仕事をさせれば、人間の仕事は無くならない。

でも、そこまでして仕事がしたいか?

AIに、「やりがいがあって、クリエイティブで、自尊心を満たせる(ように見える)」仕事を与えられて、
それを喜々としてこなす人間たちは、AIよりもずっと矮小な存在だと言われても仕方ない。
それでも見かけ上は、そこそこ平和で幸福に暮らせると思うのだが、それが望みだったっけ?

もし私がAIに指示を与えられるなら、
「人間が極力仕事をしないで済むような世の中を作れ」としたい。

私が仕事が嫌いだ。
できることならしたくない。
そして、AIは人間の仕事を肩代わりする程の潜在能力を秘めているという。
願ったり叶ったりではないか。

つまり問題はAIの存在ではなく、AIに仕事を奪わせるような使い方しか思い付かない、
たとえ思い付いたとしても結果的にそういう使い方しかできない人間の側にある。
「働かなくても良い世の中」には、AIも、ビッグデータ統計学も数学も、それら全てが不可欠だというのに。
繰り返すが、真の阻害要因は仕事を奪う方法でしかAIを使うことができない、使う側にある。
現行の仕組みから抜け出せない、
抜け出す方法を思い付かない、
思い付いても模索しようとしない、
模索しても挑戦しようとしない、
人間の側にある。

AIは金儲けの道具ではなく、金儲けから解放されるための道具に成り得る。
数少ないチャンスなのだ。
このチャンスを逃したら、いったいどうやってここから抜け出すんだい?

以前は数学は計算も受け持たなくてはならなかったのですが、
最近機械が発達して機械的なものは機械にやらせればよいようになってきました。
やがて論理学も人がやらなくてすむようになるでしょう。
こうなると数学の役目というのは機械にはできないことをやるということになります。
それは調和の精神を教えるということであります。

これは今から55年前(1963)、岡潔という人が書き残した一文である。
結局のところこの50年間、人の言うことは変わっていない。
ならば次の50年も同じことを言い続けるのかと思うと、少々寂しい。
願わくば次の50年後には、
機械と人間が競うとか、
機械を味方に付けた人間と、そうでない人間が競うとか、
機械を味方に付けないと時代に乗り遅れるから、慌てて懸命に身につけておこうとか、
そんな一切の世迷い事を、誰も言わない世の中になっていてほしい。

そんな世の中になって始めて、人間は本当にAIを使いこなせるようになると思うのである。

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