複素数の固有ベクトル

固有ベクトルとは、一次変換で動かない(向きが変わらない)ベクトルのことです。
例えば、
  x' = 2 x + 1 y
  y' = 1 x + 2 y
という一次変換があったとき、斜め45度にある2本の軸は向きを変えません。

ベクトル( 1, 1 )と、ベクトル( 1, -1 )は向きを変えません。
この2本の、向きを変えないベクトルが固有ベクトルです。
同じ向きを変えないベクトルであっても、2つのベクトルでは、その移動の仕方が違っています。
ベクトル( 1, 1 )は、一次変換を施すとベクトル( 3, 3 )に移ります。

つまり、大きさが3倍になっています。
この「3倍」といった拡縮の大きさを「固有値」と呼んでいます。
固有値とは、固有ベクトルの長さの拡縮倍率のことです。
この例では、ベクトル( 1, 1 )に対する固有値は 3 ということです。
もう一方のベクトル( 1, -1 )は、この変換で( 1, -1 )に移動する(全く動かない)ので、拡縮倍率はちょうど1になっています。

つまり、固有ベクトル( 1, -1 )に対する固有値は 1 です。
固有ベクトルの意味は何か? について、私は『変換の軸』というイメージを持っています。

固有ベクトルは、上の例のような実対称行列であれば最も見やすいのですが、
変換の種類によっては、極めて見えにくいこともあります。
例えば、平面を回転する変換には、向きが変わらないベクトルは無いように思えます。
確かに、話を実数に限定すれば、回転変換に固有ベクトルはありません。
では、話を虚数にまで拡張したら、どうなるか。
(二次元の)一次変換の固有ベクトルは、実質的に二次方程式を解くことで得られます。
二次方程式は、たとえ実数の範囲に解が無くても、複素数まで含めれば必ず解があります。
ということは、どんな一次変換であっても、複素数まで考えれば必ずどこかに固有ベクトルがあるはずです。

具体例をあたってみましょう。
90度回転を表す変換行列は、
  ( 0, -1 )     ※本当は上下合わせて1つの()なのだが、ページの都合上こう書いた.
  ( 1, 0 )
この変換についての固有ベクトルは、( i, 1 ) と ( -i, 1 ) の2本。
それぞれの固有値は i と -i です。

では、45度回転だと、どうなるか。
  ( 1/√2, -1/√2 )
  ( 1/√2, 1/√2 )
 固有ベクトル: ( i, 1 ) と ( -i, 1 )
 固有値: (1 + i)/√2 と (1 - i)/√2

固有ベクトルは、90度回転と45度回転で全く同じでした。
ただ固有値は異なっています。

さらに、30度回転では。
  ( √3/2, -1/2 )
  (  1/2, √3/2 )

 固有ベクトル: ( i, 1 ) と ( -i, 1 )
 固有値: (√3 + i)/2 と (√3 - i)/2

やはり固有ベクトルは同じで、固有値だけが異なっています。

一般に、θ回転の場合、
  ( Cosθ, -Sinθ )
  ( Sinθ, Cosθ )

 固有ベクトル: ( i, 1 ) と ( -i, 1 )
 固有値: (Cosθ + i Sinθ) と (Cosθ - i Sinθ)

つまり回転変換では、
 ・固有ベクトルはいつも ( i, 1 ) と ( -i, 1 ) になっている。
 ・固有値の実数成分はCosθ、
 ・固有値虚数成分はSinθ、
といった挙動を示すわけです。

以上、回転変換で“向きを変えない”固有ベクトルの数値が分かったのですが、
では、この複素数固有ベクトルを絵にするとどうなるのか。
実のところ、複素数固有ベクトルを1枚の絵にすることはできません。
というのは、2つの複素数 x = a + bi, y = c + di には、a, b, c, d 4つの成分が含まれているので、
全部描くには4次元空間が必要だからです。
まずは4つの成分を、2つの実数成分と、2つの虚数成分に分けて描いてみます。

この2枚の絵を強引にくっつけたら、こんな感じです。

ここで、うんと想像力を働かつつ絵を眺めると、実数と虚数の狭間に、
とある軸線が浮かび上がってこないでしょうか。

軸線を中心に「かさ歯車」みたいなものがあって、歯車が回転すると、
実数平面と虚数平面を巻き込んで空間全体が回転する。
このとき、歯車の中心軸に相当するのが「回転変換の複素固有ベクトル」というわけだったのです。

※もっとよく絵を見ると、実数平面を巻き込むように歯車を回したとき、
虚数平面を巻き込む歯車の回転がかみ合っていない(互いに反対向きの回転になっている)ことに気付きます。
※これは虚数だからこうなるわけで、虚数の世界では、むしろ歯車が反対向きになっている方が当を得ているのです。

以上で回転変換のイメージは掴めたと思うのですが、
改めて一次変換全体を俯瞰したとき、この“回転軸”はどれほどの意味合いを持つのでしょうか。
まず、一次変換において、実数の固有値がある場合と、無い場合の違いを考えてみましょう。
一次変換の行列は、2本の基底ベクトルが、変換後に何処に位置するかを示しています。
つまり、行列
  (a, b)
  (c, d)
によって、(1, 0) -> (a, c) に、(0, 1) -> (b, d) に移ります。

ここで変換後の2本の基底ベクトルに着目すると、大別して2つの場合があることに気付きます。
・Case1.2本の基底ベクトルの向きが、互いに寄り添う(あるいは互いに反発し合う)場合。
・Case2.2本の基底ベクトルの向きが、同じ方向に回転する場合。

Case1 の場合、2本の基底ベクトルが挟みつけた領域内に、向きを変えない固有ベクトルが存在すると見て取れます。
また、挟みつけた領域の“裏側”にあたる、2本のベクトルが反発し合った領域にも、
もう1つの、向きを変えない固有ベクトルが在ることになります。

Case2 の場合、2本の基底ベクトルが同じ方向に移動するのだから、固有ベクトルは実数平面上の何処にもありません。
となると、この場合、固有ベクトル複素数の領域に存在することになります。

上で見た回転変換は、このCase2 の特殊な場合であったと考えられます。
一般に Case2 では、大きさの異なる歪んだ「かさ歯車」があって、
それが虚数空間のどこかで回っているのだと思えば良いでしょう。

では、Case1 の場合、虚数空間はどうなっているのでしょうか。
実は、Case1 では固有ベクトルは「軸」になっているのではなく、「面」になっているのです。
実際、実数上で (1, 1) という固有ベクトルを持つ変換であれば、
(i, i) も固有ベクトルですし、 (1+2i, 1+2i) だって固有ベクトルです。
つまりCase1の場合、実数でも虚数でも同じ挙動を示すという、トリビアルな結果となります。
Case1 の「固有ベクトルの面」を、強引に絵にすれば、こんな感じだと思います。



まとめ: 回転変換の軸は、複素空間上にある。