先生の話

最近、身の回りに2つの変化がありました。
それに合わせて、このブログのタイトルも「悪魔の妄想」から小人さんの妄想」変更しました!
1つ目は、この4月から、とある学校で非常勤講師を始めること。
2つ目は、とても印象深い人との出会いがあったことです。

まず1つ目。
4月から半年間、週に1時間だけ、コンピュータ関連の授業を受け持ちます。
学校という場で教えるのは初めてのことですが、教えるべき内容については、
誠実に、飾らずに、いつもの通りやればいいと思っています。
しかしここに、ちょっとした問題が残されています。
それは、他ならぬこのブログの存在です。
学生が検索すれば、このブログは簡単に見つかってしまう。
そのときになって「先生、”悪魔の妄想”って何ですかぁ〜」などと訊かれると、たいへん恥ずかしい。
そこで、この際タイトルを変えてしまえと思った訳です (^_^;
以前のタイトルを付けたときには、まさかこんな日が来ようとは思ってもいなかった。

さらに、もう少し困った問題があります。
それは、このブログに時折見られる「萌え系」の存在です。
もし学生に「先生、”萌え系”って何ですかぁ〜」などと訊かれると、たいへん恥ずかしい。
しかし、こればかりは今さら取り繕っても無駄なので、開き直ることにしましょう (;^_^A アセアセ・・・

さらに、もっと困った問題があります。
それは「先生」と呼ばれてしまうことです。
「萌え系」の存在からも明らかなように、私自身は先生と呼ばれるほど高潔な人格を有しているわけではありません。
にも関わらず周囲から「先生」などと呼ばれると、とってもコソバユイ。
それでも向こうから見れば、一応「先生」なわけで、、、これは困った。
そこで、私自身の過去を振り返って、いままで自分の先生から教わってきたことの中で、
「最も先生らしいこと」とは何だろうと思い返してみました。
以下に書き留めておくのは、いずれも私の中学校時代の先生の話です。
もし学生に訊かれたら、今度は私がこの話をすべきかと思っています。


■ 上り坂、下り坂
「私は何てダメな人間だろう」
そう思っている人は、今、上り坂の途中にあります。
なぜかと言うと、過去の自分が、現在の自分よりも低いところにあるからです。
反対に、「私は何て立派な人間だろう」と思っている人は、今、下り坂の途中にあります。
なぜかと言うと、過去の自分が、現在の自分よりも高いところにあるからです。
ダメと感じるのは、まだ上に向かう可能性が残っている、ということです。
ダメということさえ感じ取れなくなったら、上に向かう可能性は無くなります。
ダメが恥なので無い。
ダメから目を背けているのが恥なのです。

■ 認めた人
あなたの得意なこと、好きなこと、打ち込めるものを、何か1つ挙げてみてください。
そして、なぜそれが得意なのか、好きなのか、打ち込めるのか、ちょっと考えてみてください。
きっとその影には、あなたのことを「認めた人」がいるはずです。
「認めた人」とは、得意になるきっかけ、好きになるきっかけ、打ち込めるきっかけを作った人のことです。
それは、親かもしれないし、兄弟かもしれないし、親戚やいとこかもしれないし、
先生かもしれないし、先輩かもしれないし、友人かもしれないし、彼氏・彼女かもしれないし、
ひょっとすると、ただその場を通り過ぎただけの人かもしれません。
とにかく最初に、あなたのことを認めてくれた人がいるはずです。
よくよく思い返してみてください。
現在、あなたが得意であって、好きで、打ち込み続けていられるのは、
元を正せば、あなたの存在を「認めた人」のおかげではありませんか?
確かに、物事には、才能も、努力も必要なのかもしれません。
しかし、才能にも努力にも増して、真っ先に必要なのは、実は「認めた人」の存在なのです。
認めた人がいるからこそ、才能が開く。
認めた人がいるからこそ、努力することができる。
つまるところ人の力は、人に認められることから生じるのです。

「認める」というのは、「誉める」のと表面的には似ていますが、実は違います。
いくらお世辞を並べても「認めた」ことにはなりません。
お世辞はその場では気持ち良いかもしれませんが、決してあなた自身を引き上げる力にはなりません。
逆に言えば、たとえ一言も誉めなかったとしても、
相手の存在を心底認めていれば、それが相手を引き上げる力になるのです。
技術や知識、マニュアルで伝達できることは、人間を介さずとも伝えることができます。
ところが「認める」という行為だけは、人間でないと伝えることができません。
そして、人間でありさえすれば誰でも、相手に認める力を伝えることができます。
その意味では、誰もが先生になれるのです。

先生ありがとう。
こんな話が、今ごろになってようやく、役に立つときが来た。

・・・あっと、2つ目の変化について書き忘れたけど、
これについては、いずれまた。