超光速ニュートリノ実験レポートを読む

ニュートリノの速度は光速よりも速かった」
先日発表されたこのニュースは話題を呼び、TVや新聞などにも大々的に取り上げられました。
* ニュートリノは光より速いのか - 相対性理論を覆す可能性をCERNが提示
>> http://journal.mycom.co.jp/articles/2011/09/25/neutrino/

もしこれが本当なら、相対性理論を基盤に据えた現代物理学を改めなければならないでしょう。

【成果の意義】-- 名古屋大学プレスリリースより
実験グループでは、この結果が科学全般に与える潜在的な衝撃の大きさから、拙速な結論や物理的解釈をするべきものでは無いと考えています。
今回の結果の公表は、素粒子物理学界ならびに関係分野にさらなる精査を求める為のものです。
-- http://flab.phys.nagoya-u.ac.jp/2011/wp-content/uploads/2011/09/PressReleaseJPlast20110923.pdf

ただ、相対論を疑う前に、どんな実験を行ったのか知っておくのが順序だと思います。
何せ 10ナノ秒(1億分の1秒)といった高い精度が要求される、難しい実験です。
ほんのわずかの見落としで、結果がひっくり返ってしまうかもしれません。
そこで、実験内容をまとめた、以下のプレプリントに目を通してみました。

* Measurement of the neutrino velocity with the OPERA detector in the CNGS beam
>> http://arxiv.org/abs/1109.4897

Abstract -- 要約

The OPERA neutrino experiment at the underground Gran Sasso Laboratory has measured the velocity of neutrinos from the CERN CNGS beam over a baseline of about 730 km with much higher accuracy than previous studies conducted with accelerator neutrinos.
グランサッソ研究所地下での OPERAニュートリノ実験は、約730kmの基線を越える CERN CNGSビームからニュートリノの速度を、かつての加速器ニュートリノから導かれた研究よりもより高い精度で測定した。

The measurement is based on highstatistics data taken by OPERA in the years 2009, 2010 and 2011.
測定は、2009年、2010年、2011年に OPERAで得られた高度に統計的なデータに基づいている。

Dedicated upgrades of the CNGS timing system and of the OPERA detector, as well as a high precision geodesy campaign for the measurement of the neutrino baseline, allowed reaching comparable systematic and statistical accuracies.
CNGSタイミングシステムとOPERA検出器のひたむきな改良と、それに劣らぬニュートリノ基線の高精度な測地への取り組みは、十分なシステマティックかつ統計的な精度をもたらした。

An early arrival time of CNGS muon neutrinos with respect to the one computed assuming the speed of light in vacuum of (60.7 ± 6.9 (stat.) ± 7.4 (sys.)) ns was measured.
CNGSミューニュートリノの到達時間は、真空中の高速度で計算した場合よりも (60.7 ± 6.9 (統計誤差.) ± 7.4 (系統誤差.)) ナノ秒だけ早く計測された。

This anomaly corresponds to a relative difference of the muon neutrino velocity with respect to the speed of light (v-c)/c = (2.48 ± 0.28 (stat.) ± 0.30 (sys.)) ×10-5.
この異常な結果は、光速度に対するミューニュートリノ速度の相対比率が (v-c)/c = (2.48 ± 0.28 (統計誤差.) ± 0.30 (系統誤差.)) ×10-5 ということに対応する。

つまり「これはCERNで作られた高エネルギーのミュー型ニュートリノの速さが、光速より約0.0025%だけ速い事を示すものです。」

ところで、ニュートリノって、どうやって作るのでしょうか。

* ニュートリノを作る心臓部
ニュートリノは、陽子ビームを炭素標的に照射することで発生させます。陽子ビームが炭素標的に衝突する衝撃でパイ中間子が生成されますが、そのパイ中間子は寿命が短く、数十メートル飛行するとミュー粒子とニュートリノに崩壊します。
-- http://legacy.kek.jp/newskek/2007/julaug/T2Ktargetstation.html

陽子を炭素標的(グラファイト)に当てる -> パイ中間子ができる -> ミュー粒子と(ミュー型)ニュートリノに変わる.
この図(Fig.2: Layout of the CNGS beam line.)が、CNGSのニュートリノ発生装置です。

左から Proton Beam(陽子ビーム)が入ってきて、Target(グラファイト)にぶつかって、Pion/Kaon(パイ中間子/K中間子)が生成されます。
中間子は長さ1kmほどの Decay tube を通る間に Muon(ミュー粒子)と Neutrino(ニュートリノ)に変わります。

実験方法については、次の箇所に書かれています。

3. Principle of the neutrino time of flight measurement -- ニュートリノ飛翔時間測定の原理

The time of flight of CNGS neutrinos (TOFν) cannot be precisely measured at the single interaction level
since any proton in the 10.5 μs extraction time may produce the neutrino detected by OPERA.

CNGSニュートリノの飛翔時間 (TOFν) は1個の相互作用レベルで正確には測れない、
10.5マイクロ秒の抽出時間内のどんな陽子も、OPERAで検出されるニュートリノを生成するかもしれないので。
(CNGS = CERN Neutrino Gran Sasso)
(OPERA = Oscillation Project with Emulsion-tRacking Apparatus)

However, by measuring the time distributions of protons for each extraction for which neutrino interactions are observed in the detector, and summing them together,
それでも、ニュートリノと相互作用する陽子の時間分布を個々の抽出ごとに観測して、互いに足し合わせれば、

after proper normalisation one obtains the probability density function (PDF) of the time of emission of the neutrinos within the duration of extraction.
適切な正規化の後、ニュートリノ放出の時間に対する確率密度関数(PDF)を、抽出の持続時間内で得ることができる。

Each proton waveform is UTC time-stamped as well as the events detected by OPERA.
各々の陽子の波形は世界標準時でタイムスタンプが打たれ、それが OPERAで検出される。
(UTC = Universal Time Coordinate)

The two time-stamps are related by TOFc, the expected time of flight assuming the speed of light [13].
2つのタイムスタンプは光の飛翔時間、光の速度での予想時間、で関連付けられる。
(TOFc = Time of Flight C)

It is worth stressing that this measurement does not rely on the difference between a start (t0) and a stop signal
but on the comparison of two event time distributions.
この測定では、スタート(t0)とストップの信号の間の時間を信頼してはおらず、
2つのイベントの時間分布を信頼している、ということを強調しておこう。

The PDF distribution can then be compared with the time distribution of the interactions detected in OPERA, in order to measure TOFν.
確率密度関数の分布は、OPERAで検出される相互作用の時間分布と比較できるので、そこからニュートリノ飛翔時間が測定できる。

The deviation δt = TOFc - TOFν is obtained by a maximum likelihood analysis of the time tags of the OPERA events with respect to the PDF, as a function of δt.
偏差 δt = TOFc - TOFν (光とニュートリノの飛翔時間の差) は、δtの関数としての確率密度関数(PDF)について、OPERAでタイムタグ付けされたイベントを最尤法で解析することによって求めた。

 (Fig. 5: Schematic of the time of flight measurement.)
この実験では、直接的に「スタートとストップの信号の間の時間」を測っているわけではありません。
というのも、ニュートリノを作りだす仕組みからわかるように、粒子を1個だけ正確に作りだして、測定する、といったことができないからです。
その代わりに、まずニュートリノを作る前の陽子ビームの波形を GPSに基づいた時刻に対して正確に記録しておきます。
そして、ニュートリノが到着する側でも同じGPSに基づいた時刻に対して、到着する数を記録しておきます。
出発地の陽子ビーム波形と、到着地で数えたニュートリノ数の分布を重ね合わせることによって、飛翔時間を割り出すという方法を採っています。

The total statistics used for the analysis reported in this paper is of 16111 events detected in OPERA,
corresponding to about 10^20 protons on target collected during the 2009, 2010 and 2011 CNGS runs.
この論文で報告されている解析に用いた統計データは、OPERAで検出された 16111回のイベントであり、
それらは CNGSが稼働する 2009年、2010年、2011年の間にターゲット上で集められた約10の20乗個の陽子に対応する。

気になるGPSの精度については、通常GPSの100ns程度の精度では不十分であり、もう1系統別のシステムを用意したとのこと。
(Cs4000: 高精度システムには、すっかり有名になったセシウム原子が使われているようです!)
CERNOPERA 間での時間差は、(2.3 ± 0.9) ns だったということです。

以上の方法で計測した波形の結果が、下のグラフ(Fig.11)です。

左列が1回目、右列が2回目。
上が、陽子ビーム出力波形(赤線)とニュートリノ計測数(バー付き黒点)を飛翔時間0として重ね合わせたもの。
下が、飛翔時間 1048.5ns として重ね合わせたものです。
この 1048.5ns という数字は、最尤法(maximum likelihood)という統計手法を用いて算出されています。
簡単に言えば、飛翔時間を少しずつずらしていって、尤もあてはまりの良い点を探したということです。
(Fig.8 のグラフは、飛翔時間に対する尤度関数、つまりあてはまりの良さを示しています。)
確かに、2つのデータはぴったりあてはまっているように見えますね。
感心したのが "blind analysis" を行った、と書いてあったこと。
"blind analysis"というのは、データ解析者に目的を知らせずに解析を行わせることで、
要は分析者の「結果がこうあってほしい」という心理的バイアスを除くための処置です。
今回のデータ解析では、まずわざと2006年当時の測定器の遅延時間(setup configuration)を用いて解析を行い、
後から最新の遅延時間に補正して最終結果を求めています。
その、2006年の測定器の遅延時間と、最終的な遅延時間の対比表が、以下の(Table 1)です。

上の波形の重ね合わせから得られた 1048.5ns から、測定器の遅延時間 987.8ns を差し引いて、
最終的な結果 60.7ns を得たわけです。

この他にも、およそ考え得る限りの要因に注意が払われています。

Data were also grouped in arbitrary subsamples to look for possible systematic dependences.
系統誤差を見出すため、データを任意の小サンプルにグループ分けした。

For example, by computing δt separately for events taken during day and night hours,
例えば、δtを計算するため、昼と夜を個別に採ってみたところ、
the absolute difference between the two bins is (17.1 ± 15.5) ns providing no indication for a systematic effect.
2つのグループの絶対差は (17.1 ± 15.5) ns であり、何らの系統的な影響は無かった。

A similar result was obtained for a possible summer vs spring + fall dependence, which yielded (11.3 ± 14.5) ns.
同様に、夏と春秋の依存性については (11.3 ± 14.5) ns という結果が得られた。

さらに、得られたデータを高エネルギーと低エネルギーの2つのグループに分けて比較したところ、
ニュートリノの飛翔時間にはエネルギーに依存する有意差は認められられなかったということです(Fig. 13)。

以上、このレポートを読んでわかったことは、とにかく考え得る限りの点に注意が払われているということでした。
少なくとも「GPSが狂っているんじゃないか?」とか、「ニュートリノ生成のタイミングがずれている?」などといった、
私が思い付く程度のことはとっくに検証済みらしい。
同時に、この実験がとてつもなく巨大で複雑な仕組みだということもわかりました。
この複雑な仕組みの中に1点でも見落としがあれば、結果が変わってしまうのです。
なので、しばらくは徹底的な検証ということになるでしょう。
アインシュタイン級の説明は、検証の後でも十分ということで。


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さて、放射能のときも薄々感じていたのですが、今回も一部のマスコミでは
 「現代物理学は間違っていた!」「タイムマシンか!」
といったセンセーショナルな見出しが目につきました。
それに比べて、ネット上で物理の記事を発信している人たちの方が、よほど冷静な受け止め方をしているように思えます。
以下のとねさんの日記からたどってみてください。
* ニュートリノの速度が光速より速いという実験結果について
>> http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/da5a64d0f21cd0ce13236bd2522224c0

こと物理方面については、マスコミよりもネットの方が信頼できると常々思っていました。
それとも、私がたまたま物理方面に関心があるから気付いただけで、実はどの分野の報道もこんなものなのでしょうか。
(全てのマスコミが、とは言いません。
 最初に挙げたマイコミジャーナルのレポートは、とても誠実な内容。
 悪い方の例は、あえて言わない(笑))