尾瀬の風景はなぜ美しい

先日の週末、尾瀬にハイキングに行ってきました。
天気にも恵まれ、美しい尾瀬の風景を満喫してきました。
実際に行ってみて感じたのですが、尾瀬の風景はとても「絵になる」というか、写真写りが良い。
ただ自然に恵まれているということであれば、尾瀬の他にも幾つもの場所がありますが、
その中にあって、尾瀬の風景には他には無い、独特の持ち味があると思うのです。
その持ち味とは何なのか、撮ってきた風景写真を眺めつつ考えてみました。

尾瀬の風景の持ち味、それはまず「木道」にあるのと思うのです。
上の写真は、代表的な尾瀬ヶ原の写真です。
湿原の中に伸びた一本の木道、その上を行くハイカー、遠く見えるのは至仏山、確かに絵になる風景でしょう。
ここで試しに、上の写真から木道を除いてみたらどうなるか(デジタル加工)

まあ、悪くは無いのですが、上と比較すると見劣りがしませんか。
尾瀬っぽく無いというか、少々平凡な風景だという気がします。
同じことを、もう少しはっきりわかる写真でやってみましょう。

ここから木道を除いてみると・・・

何ともつまらない写真ですね。
上が「尾瀬の湿原」に見えるのに、下は「ただの空き地」にしか見えません。

なぜ「木道」が、これほどまで視覚効果を発揮するのか。
それは、遠くまで伸びる道筋が、距離感、空間の広がりを与えるからだと思うのです。
例えばこんな風に、青空だけの写真があったとしましょう。

つまらない写真ですね・・・本当の青空はとっても広いはずなのに、
この写真からはその広さが伝わってこない。
ところが、この何もない青空の傍に、一本の木を添えてみると・・・

こうなると、空の広さが伝わってくる。
木と比べてみて初めて、空間の広がりが見えてくるわけです。
物体の大きさを比べるために、傍らに「タバコの箱」を置くのと同じ理由です。

青空と同じように、単なる水平線というのも、絵としてはつまらないものでしょう。
本来広いものであるにもかかわらず、絵からはその広さが伝わってこない。

もし水平線の彼方に島があったなら、もう少しましな風景になることでしょう。
でも、これでも平凡な眺めに過ぎない。

そこで、例えばこんな風に、海上に奥行きを表す線を引いてみると、、、
いきなり「絵」になったように見えませんか。
これが当初に挙げた、尾瀬の湿原の風景の仕組みです。
1番最初の尾瀬の風景写真と、すぐ上にある島と船の絵を比べてみてください。

高い山からの眺望を無造作に写真に収めると、およそこんな風になりがちです。

これだって、実際に現地で見れば素晴らしい眺めなのですけれど、
こうして写真にすると、なぜかその広がりが伝わってこない。
なんだか緑のじゅうたんをペタッと敷いたみたいです。
本当はもっと素晴らしい風景だったはずのに、写真で見ると期待外れ、、、
そんなことって、ありませんか。
上の緑のじゅうたんみたいな眺めは、要は「水平線の絵」と同じことなのです。
実際に見る海はとても広いけど、写真に見る海は「一本の線」に過ぎない。

さて、尾瀬の風景に戻ると、まず第1に、尾瀬には「湿原の向こうに山がある」という独特の条件が備わっています。
日本にある大抵の山では「森林の向こうに山がある」のが一般的です。
これがどう違うのか。
「森林の向こうに山がある」場合は、「ペタッと敷いた緑のじゅうたん」になりがちです。
逆に言えば、遠くに見える山までの間に「広がりを感じさせる空間」があれば、それはとても絵になりやすい。
尾瀬に似た風景として、私は筑波山を思い起こしました。

(フリー写真素材集 >> http://sozai-free.com/sozai/01339.html よりお借りしました)
筑波山は周囲に何もない関東平野の一角に忽然と聳えているので、あたかも「平野に浮かぶ島」のように見えます。
湿原と平野の違いがあるとは言え、ここにはある意味、尾瀬と似た風景があります。
山そのものだけでなく、山までに至る広がりを感じさせる空間があって、初めて「絵」になる。
そうした空間の被写体が、尾瀬にはそろっているのだと思えるのです。

※ おまけ.
尾瀬の風景の秘密」は、何も山岳風景だけに留まらず、もっと別のものの見せ方にも有効です。
たとえば、こんな風に・・・

いかにも記念写真的に入っている人物と、

「空間的」に入っている人物を比べてみてください。
同じ姿勢であっても、後者の方が「広がり」を感じさせるでしょう。
結論: カメラの前では空間的に広がってみよう!