エネルギーとは何か

私の高校時代に、クラス中が一目置く、すごい秀才がいました。名前を仮にI君としましょう。
あるとき何かのきっかけで、I君がこんな問題を出しました。
位置エネルギーっていうのは、わかったようで、よくわからないよね。」
そう言ってI君は、こんな図を書きました。

「質量mの物体を、高さhまで持ち上げたときの位置エネルギーって、こんな風にして計算するだろう。
 下向きに働く力mgと、ちょうど釣り合うだけの力Fで、hだけ引っぱる。
 だから位置エネルギーはmghなのだと教わる。」
「その通りだと思うけど。」
「でも、“ちょうど釣り合うだけの力”だったら、物体に働いている力は、打ち消し合ってゼロのはずだよね。
 そのゼロを、どんなに引っぱったってゼロじゃないか。
 なのに、ゼロを足し合わせたものが位置エネルギーmghになるなんて、おかしいよね。」
「いや、そんなはずはない・・・」
私を始め、クラスのみんなが「そんなはずはない」と反論したのですが、
結局誰もI君を論破することはできませんでした。
「引っぱる力の方が、ほんのちょっとだけ重力より大きいんじゃないか」
というのが、大方の反論だったのですが、それに対してI君は、
「そのほんのちょっとだけの差というのは、いくらでもゼロに近づけることができる」
という返答を用意していました。
考えてみると、位置エネルギーって、やっぱりよくわからない存在です。
運動エネルギーであれば、すごいスピードで運動する物体がエネルギーを有していることでしょう。
バネを引っぱって延ばしたのであれば、バネにエネルギーが溜まっていることが見てとれる。
しかし位置エネルギーというのは、文字通り位置が変わっているだけで、物体そのものは全く変わっていない。
何がエネルギーを持っているのか、いまひとつはっきりしません。
で、I君の問題は、誰も正解が答えられず、そのままうやむやになりました。

・・・あれから数十年経ったのですが、私には未だに正解がわかりません。
その後、風の便りにI君が物理学者になったという話を聞きました。
「ああ、あいつなら、そうなっているはずだよな。」
私だけでなく、たぶん当時のクラスの誰に聞いても、同じ感想を漏らすだろうと思います。
きっと物理学者になったI君に聞いてみれば、正解がわかると思うのですが、残念ながら連絡先がわからない。
もし今度、クラス会か何かで会うことができたなら、聞いてみようと思っています。
さすがに私も数十年間考えたわけですから、やれポテンシャルだとか、線積分だとか、適当な用語を並べて煙に巻くことはできます。
(もちろん、いつもこればっかり考えていた訳ではない、たまに思い出す程度。)
しかし、改めて位置エネルギーとは何か、と問われると、やっぱりよくわからない。
さんざん考えた挙げ句、思い至ったのが、こんなところ。
・「ちょうど釣り合うだけの力で引っぱる」というのは、高校までの便宜的な説明に過ぎない。
 どうも、この説明には欠けているものがある。
・どうしても“場”というものを導入せざるを得ない。
位置エネルギー、奥が深かった。

それでは、本題。
【問い1】エネルギーとは何か、100文字以内で書きなさい。
この問題は、連載科学マンガ カソクキッズ にあったものです。
* カソクキッズ [第1話] エネルギーってナニ?
>> http://www.kek.jp/kids/comic/01/index.html
   -- おもしろいマンガなので、ちょっと覗いてみてね。
WEB上で検索したら、こんな答が出てきました。
「エネルギーというのは、物体が仕事をする能力のことである。」
   * EMANの物理学 -- エネルギーとは何か
   >> http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/energy.html
「エネルギーとは「仕事をする能力」という意味を持つギリシャ語の「エネルゲイア」から派生した言葉」
   * ?を!にするエネルギー講座 -- エネルギーとは
   >> http://www.iae.or.jp/energyinfo/energykaisetu/kaisetu1.html
それでは、このマンガ カソクキッズの中では、どんな答が用意されているのでしょうか。
マンガの中ではフジモト博士という人物が登場して、こんなぶっとんだ答を出してきます。

ラグランジアン(L)が時間に対して一様であることを計算する。
つまり、
\frac{d L}{d t} = \sum_{i} \frac{\partial L}{\partial q_i} \dot{q}_i + \sum_{i} \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \ddot{q}_i

がゼロということ。書き直すと、

\frac{d L}{d t} = \sum_{i} \dot{q}_i \frac{d}{d t} \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} + \sum_{i} \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \ddot{q}_i = \sum_{i} \frac{d}{d t} ( \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \dot{q}_i ),

結局、
\frac{d}{d t} ( \sum_{i} \dot{q}_i \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} - L ) = 0,
ここで、このかっこの中の量(E)
E = \sum_{i} \dot{q}_i \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} - L
   = P \cdot V - L
をエネルギーと呼ぶ。

相対論的粒子では
 L = -mc^2 \sqrt{1 - \frac{v^2}{c^2} } で、 p = \frac{m v}{ \sqrt{1 - \frac{v^2}{c^2} なので、
 E = \frac{m c^2}{ \sqrt{1 - \frac{v^2}{c^2} }

ここでもし、粒子の速度がゼロ、即ちv=0のときは、

 E = m c^2 となる。

   -- 引用元: http://www.kek.jp/kids/comic/01/imgs/kokuban.gif
なんじゃこりゃぁあああ!
常識的な答とは、全然違う。博士の考えてることは、一般人には全く理解できん・・・
なぜ、普通の人が簡単な言葉で説明できる「エネルギー」を、博士はここまで難しくしてしまうのか?
その秘密を、かつての秀才少年I君に説明してもらいましょう。

少し問題はずれますが、かつてのクラス仲間で「波とは一体何か」ということが話題に挙がりました。
上下左右に行ったり来たりしている運動だ、とか、空気や水のようなものの振動であるとか、
いろんな意見が出たのですが、そのときのI君の答は、これ。
「うーん、波っていうのは、波動方程式に従うようなものだって言っておけば、間違いないよね。」
わかりますか?
今にして思えば、I君の先見の明に驚くしかありません。
方程式が先、実際の物理的な事象が後、なんです。
空気の振動や、水の動き、電波などなど・・・
そういったものが先にあって、それらをまとめて整理したものが方程式、というのが普通の順序でしょう。
ところが、いったん方程式が完成してしまうと、順序の逆転が起こるんです。
「○○とは何か?」「○○の定義を述べよ」
改めてそう聞かれたとき、満足に答えられるものって、いったい幾つぐらいあるでしょうか。
例えば「波って一体何?」と聞かれたとき、「空気や水のような媒体の振動」と答えておくと、
「じゃあ電磁波は波じゃないの、電磁波の媒体は何なの?」という疑問が残ってしまいます。
この疑問を断ち切るために、物理学が編み出した方法が、“方程式ファースト”。
波動方程式に従うようなものだって言っておけば、間違いない」
そう思うと、フジモト博士の一般人離れした答が、少しだけわかってくるでしょう。
エネルギーっていうのは、物体をすごいスピードで動かしたり、電気を流したり、物を熱くしたり・・・
そんな様なものだ、と言っていたのでは、いつまで経っても満足の行く答にたどり着けません。
そこで、先にエネルギーが満たすような方程式を用意しておいて、
「この式にあてはまるのがエネルギーだ」ってことにすれば、間違いないわけです。
方程式が完成するまでの順序は「実際の物理的事象 => 方程式」。
ところが、一度完成してしまったら、順序の逆転が起こって「方程式 => 実際の物理的事象」。
前者はわりと普通の感覚で、理解しやすい。
ところが後者になると、いきなり方程式ありきなので、どこか壁にぶち当たったような感触を覚えます。
これが、博士がぶっとんでいる理由なんです。

方程式にあてはめた定義という点で、エネルギーは格好の材料だと思います。
よく考えてみてください、エネルギーなんてものは、極論すると「実在しない」んです。
それがはっきりとわかるのが、位置エネルギー(ポテンシャルエネルギー)というもの。
位置エネルギーという「もの」が、どこかに存在していますか?
* EMANの物理学 -- ポテンシャルエネルギーの正体
>> http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/potential.html

ポテンシャル・エネルギーと言うのは、「運動エネルギーがどれくらい失われたか」を記録しておく手段であって、それ以上の意味はないのである。

あるがままの現実は、こうでしょう。
「物体の運動を観察していると、高い山に登るときに遅くなり、山から下るときに速くなっている。」
それを見ていた人が、後からこう付け加えたのです。
「まるで、エネルギーというものを、山の高さと物体の速さに配分しているみたいだ。」
最初から、エネルギーという実体があったわけではないのですよ。
まるで、あるかのように、見えるだけ。
昔、熱とは何かということがよくわからなかった時代に、「熱素説」というものがありました。
何か熱の元になるような「熱素」というモノがあって、熱素がたくさん集まると温度が高くなる、そんな説です。
現実に、熱素というものはありませんでした。
それでも、熱が高温から低温に移るという過程だけを見れば、
あたかも熱素という流体が移動しているように見えるではありませんか。
ならば、エネルギーというモノは、熱素とどう違うのでしょうか。

さて、ここまで来てようやくフジモト博士の答を解読する準備が整いました。
まず、初っぱなに登場する「ラグラジアン」って何でしょう。
これがたいへんわかりにくいもので、とりあえず「運動のルール設定をまとめたもの」だと思ってください。
* ラグランジアンに意味は無い >> [id:rikunora:20090327]
* 3つの運動方程式 >> [id:rikunora:20090505]
なぜ、直接的な意味に乏しい「運動のルール設定」を重宝するのか。
上に書いた「高い山に登るときに遅くなり、山から下るときに速くなっている」というくだりを見てください。
元を正せば、エネルギーって、この運動ルールから来ているんです。
なので、まずは運動ルールがまとまったLという式を取り出してみる。
次に、「ラグランジアン(L)が時間に対して一様であることを計算する。」
これは何が言いたいのでしょうか?
時間に対して一様である、つまり、変化しない一定の保存量がある、ということが言いたいわけです。
運動を観察していると、その背後に、変化しない一定の量がありそうだ。
それを運動のルールの中から見出すことはできないだろうか。。。
ラグランジアンというのは、位置と運動量の関数  L( q(t), \dot{q}(t) ) でした。
そこで、ラグラジアンの時間変化しないということを、数学的に   \frac{d L}{d t} という形にして解いてみる。
すると、時間変化しない部分が、3番目の式のような形で取り出せます。
で、このかっこの中の量(E)こそが、運動を通じて変化しないようにみえる量、すなわちエネルギーのことです。
相対論的粒子では・・・以下のところで、ラグラジアンに実際の運動ルールをあてはめています。
運動ルールには、我々に馴染みのある古典的なルールではなくて、相対論のルールを使っています。
すると、有名な E = m c^2 という結果が自然に出てきます。
もしエネルギーの定義が「仕事をする能力のこと」だったなら、原子爆弾が完成するまで、質量はエネルギーの一部だとは見なされないはずですよね。
方程式ファーストだと、それが先に予測できるわけです。

フジモト博士のエネルギーの定義がわかりにくいのは、
まず“方程式ファースト”という考え方に馴染めないからではないでしょうか。
「方程式 => 実際の物理的事象」という順序さえわかれば、なぜこんなことをするのか、意図だけは組めると思うのです。
最後に、エネルギーとは何かについての、私の解答。
 「系の運動を特徴付ける、時間に対して不変な保存量。」

※追記: さて、ここでふと、有名なファインマン物理学という本を見直してみると、
これが実に本質を穿った説明であることに、改めて気付かされます。
* とね日記 -- ファインマン物理学 I: 第13章、第14章
>> http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4b3b65b71165f8da5ed1b2beb959ab76
ファインマン物理学は、明らかに“方程式ファースト”ではありません。
「実際の物理的事象 => 方程式」という、普通に理解しやすい流れを大切にした本です。
そして、私がさんざん考えた末に思い至った、
・どうしても“場”というものを導入せざるを得ない。
という気持ちも大切にしているように感じられました。