逆境の確率

テニスのサーブには2回のチャンスがあるので、たいていの人は、こんな打ち方をするようです。
1本目は失敗しても構わないので、上から思いっきり打つ。
もし1本目に失敗したら、2本目は確実に入るように、安全に打つ。
ところが、これは凡人の打ち方であって、トップクラスは違うのだという話を聞いたことがあります。
「私は、一本目は全力で打つ。
 もし一本目を外したら、二本目は一本目以上に、全力で打つ。」
確か、テニスの女王、ナブラチロワの言葉だったと思います。
古い記憶であいまいなのですが、とにかく2本目で安全確実を狙うといった、
そんな中途半端な打ち方はしないということです。
さすが、王者のテニスは違う。
ブログを検索したら、こんな記事がありました。
* サーブ2本の意味…
>> http://kodagirisan.seesaa.net/article/26281472.html
確かに、サーブが入る確率は、1本目であろうが2本目であろうが同じ条件です。
であれば、あえて1本目の確率を下げて、2本目の確率を上げる意味は無さそうです。
さらに相手が「きっと2本目は緩く来るな」などと期待していたのであれば、
裏をかいて「一本目も二本目も全力」は有効な戦略です。
(私はテニスというものをほとんどやったことがないのですが、テニスの得意な方、いかがでしょうか。)

以前、人から「ギャンブル必勝法」というものを教わったことがあります。
簡単のため、確率1/2の丁半博打で、買ったら2倍、負けたら0、ということにしましょう。
最初に1円賭けます。
負けたら掛け金を2円にします。
さらに負けたら次は4円にします。
さらに負けたら次は8円にします。
もしここで買ったら、トータルでプラス8円になりますから、これまでの負けは全部返せます。
そして、次回は改めて1円から再スタートします。
こういった具合に、次の掛け金を「前回の負けが全て返せるだけ」つぎ込めば、いつかは勝って元に戻ります。
ただ、これだけだとプラスマイナス0ですから、得するためには
「前回の負けを全て返して、それ以上に儲かるだけ」つぎ込む必要があります。
つまり、最初の1円で負けたら、次回は2円+1円=3円賭けます。
3円負けたら、次回は6円+1円=7円賭けます。
・・・これを繰り返せば、いつかは必ず儲けが出るはずです。
ただし、この方法を信じて全財産を失ったとしても、私は何の補償もしませんので、あしからず。

実際に試してみるかどうかはともかく、この「ギャンブル必勝法」を改めて見直すと、
どうも人の心理は「必勝法」の反対をいっているような気がします。
 ・買っているときは、イケイケで、どんどん投資を大きくする。
 ・負けているときは、しょんぼりで、手堅く投資を抑える。
これが、普通の人が取る態度でしょう。
「必勝法」は、この逆なんです。
 ・負けているときほど、次の投資を大きくする。
 ・勝ったときは、堅実に、次の投資を抑える。
テニスの王者は、はからずもこれを実践していたわけです。
おそらく心理的に一番難しいのは「勝って兜の緒を締めよ」ってところではないでしょうか。
大勝ちしたら、次は1円に戻す。
たとえ運良く勝ったとしても、その直後に締めておかないと、勝利のプラスは将来に残らないのです。

分の悪い賭けに臨んだとき、どうすべきか。
例えば勝率1/3で、勝ったら3倍、負けたら0になるという賭けがあったとします。
手元に100円あったとき、次の3つの賭け方のどれがベストでしょうか。
A.100円全てを1度に賭ける。
B.50円ずつ、2回に分けて賭ける。
C.20円ずつ、5回に分けて賭ける。
それぞれの期待値を計算してみます。
A.3 * 100 * 1/3 + 0 * 2/3 = 100
B.3 * (50+50) * (1/3 * 1/3) + 3 * 50 * 2 * (1/3 * 2/3) + 0 * (2/3 * 2/3) = 100
C. 3 * 100 * 1 * (1/3)^5
  + 3 * 80 * 5 * (1/3)^4 * (2/3)
  + 3 * 60 * 10 * (1/3)^3 * (2/3)^2
  + 3 * 40 * 10 * (1/3)^2 * (2/3)^3
  + 3 * 20 * 5 * (1/3) * (2/3)^4
  + 3 * 0 * 1 * (2/3)^5 = 100
実はどれも100円で等しい、つまり、平均値を見る限り、どの賭け方も同じということです。
ならば、どんな賭け方であっても結果は同じと言えるでしょうか?
次に、それぞれの分散を見てみましょう。

A.{ 1/3 * (300-100)^2
  + 2/3 * ( 0-100)^2 }
   / ( 1 + 1 )
  = 10000

B.{ 1 * (1/3 * 1/3) * (300-100)^2
  + 2 * (1/3 * 1/2) * (150-100)^2
  + 1 * (2/3 * 2/3) * ( 0-100)^2 }
   / ( 1 + 2 + 1 )
  = 2500

C.{ 1 * (1/3)^5 * (300-100)^2
  + 5 * (1/3)^4 * (2/3) * (240-100)^2
  + 10 * (1/3)^3 * (2/3)^2 * (180-100)^2
  + 10 * (1/3)^2 * (2/3)^3 * (120-100)^2
  + 5 * (1/3) * (2/3)^4 * ( 60-100)^2
  + 1 * (2/3)^5 * ( 0-100)^2 }
   / ( 1 + 5 + 10 + 10 + 5 + 1 )
  = 460.91

細かく分割するほど、分散が小さくなってゆくことがわかります。
極端な話、1円ずつ100回とか、1銭ずつ10000回といった具合に、
うんと細かく多数の賭けをすれば、結果は安定して一定の勝率に近づくわけです。
なので、安定した結果を臨むなら細かく小出しに賭ける。
波乱を呼びたいのなら一発勝負で全額賭ける、となります。
以上からすれば、賭け方の戦略は次のようになるでしょう。
・分の良い賭け=勝率50%以上の場合
 できるだけ小分けにして、安定した勝ちを狙う。
・分の悪い賭け=勝率50%未満の場合
 できるだけ一つに集中して、一か八かの博打を打つ。
これは例えば、大企業対ベンチャーといった状況にあてはまると思います。
ちなみに、二択の勝ち負けを累積した結果は、二項分布と呼ばれる確率分布に従います。
* コインを投げたら二項分布、パスカルの三角形 (サイトの宣伝も兼ねて)
>> http://miku.motion.ne.jp/stories/05_BinDist.html

以上をまとめると、
「負けているときは、むしろ縮こまらずに、思い切って大胆な行動に出よ」
となります。
コーナーに追いつめられたゴキブリが唯一生き残れる道は、敵に向かって飛ぶことです。
(ゴキブリって飛ぶんですよね。実際これで2回ぐらい逃したことがある。)
逆境に強い勝負師であれば、多かれ少なかれ、思い切りの良い決断力を持ち合わせていることでしょう。

ところが、世の中には上とは全く逆の教えもあります。
「苦しいときは、辛抱していれば、チャンスは必ずやってくる」
「形勢が悪くなったら厚く打て」
これは、囲碁の世界での心構え。
ヒカルの碁勝利学」という本に載っていました。

ヒカルの碁勝利学 (集英社文庫)

ヒカルの碁勝利学 (集英社文庫)

ヒカルの碁」というマンガを読んだら、あまりにもおもしろかったので、勢いで読んでみました。
囲碁というゲームは長丁場なので、実力伯仲していれば、一局に一度は必ず苦しい局面に立たされる。
そのときに、どうするか。
「じたばたと新たな戦いを挑んだりせず、あわてずさわがずじっくり腰を落として打つ」のだそうです。
考えてみると多くの生き物は、夜間や冬といった悪条件の中を、睡眠、冬眠といった「じっとがまん」で乗り切っています。
あわてずさわがず、忍耐。
これはこれで含蓄のある教えなのですが、先ほど上で得た結論とは正反対です。
つまり、逆境に臨んだときに取るべき態度には、2種類の正反対の教えがあるのです。
[攻].テニス・ギャンブル型: 思い切って全力で勝負に出る。: 短期決戦: 信長タイプ
[守].囲碁・冬眠 : あわてずさわがず、じっと忍耐。: 長期持久戦: 家康タイプ
思い起こせば、勝負の名言といったものは結局、上の [攻].[守].どちらかに分類されるように思いませんか?
少なくとも、中途半端な戦略、というものは在りません。
戦力を少しずつ小出しにしてみるとか、多方面に渡って分散するとか、最悪のやり方でしょう。
攻めるなら攻めるで、全力決戦。
守るなら守るで、徹底的に忍耐。
中間はありません。

それでは、上の [攻].[守].は、どちらか一方が正しくて、他方が間違いなのでしょうか?
そんなことは無いようです。
状況と局面によって、この2つのどちらを適用すべきかが決まるからです。
してみれば、本当に重要なのは、今が [攻].[守].のどちらの局面なのかの判断です。
もし判断が誤って、逆の指針を適用してしまったら、最悪の結果になるからです。
では、一番大事な判断の指針、[攻].[守].の判断基準はどこにあるのでしょうか?
それにはいろんな要因があって、単純な結論は引き出せないのですが、
ここでは1つだけ判断基準を挙げたいと思います。
 「将来に希望があれば[守].今、やらねばならないのなら[攻].」
囲碁は長丁場ですから、今は苦しくても、いつか「チャンスは必ずやってくる」のです。
冬眠は、待てば必ず春が来ることが分かっています。
だから、囲碁も冬眠も、損失を最小限に抑えて守るのが最良の策。
一方、テニスやギャンブルは、待ったからといって、今より良くなる可能性はありません。
今、ここでやるしかない。
だから、全力で[攻].

今、世の中は不景気で、どこへ行っても「苦しいねぇ」という言葉しか聞きません。
この逆境へは、どう対処すべきか。
私は基本的には[守].であるように思います。
その理由は、上に挙げた通り。
景気というのは長丁場で、将来いつか「チャンスは必ずやってくる」からです。
でも、もしこの不景気が世界的な構造の帰結で、どんなに待っても良くはならないとか、
もう事情が事情で、どうしても今、やるしかないのであれば、全力で[攻].に回るべきでしょう。


※ 2010/10/21: 今頃になって分散の計算間違いに気付いたので訂正した。