宇宙は役に立たない

最近、このブログには珍しくトラックバックを頂きました。
「物理や数学の理論など何の役にも立たない」[id:rikunora:20080408] についての意見でした。
  そりゃあ、そうだよな?。。
そんなことがあって、「役に立たない」という言葉について、ちょっと考え直してみました。
  ※このトラックバック先のブログは物理ファン必見! T_NAKAの阿房ブログ
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「役に立たない」と数学は、常に隣り合わせにあるようです。
たまたま手元にあった「理系への数学」という雑誌を開いてみたら、
「初等数学教育さらには大学数学教育の現場でも学生の「数学は何の役に立つのか」という学ぶ側の声は常にある。」
と書いてありました。
Googleで「役に立たない」を検索したら、関連検索に「数学 役に立たない」と出てきました。
(数学の他に、「経済学 役に立たない」「MBA 役に立たない」も出ていました。
 ここでは特に数学に的を絞りますが、これを経済学や、他の学問に置き換えても話は同じだと思います。)
これほどまでに「数学=役に立たない」という声を耳にするので、私も事あるたびに
「数学って役に立つんでしょうかね?」といったことを、さりげなく人に聞いて回っています。
その結果、「その通り、数学なんて何の役にも立ちませんよ!」と全面的に異を唱えた人は、いまのところ皆無です。
皆それぞれに理由をつけて、最終的には良いことがあるのだ、といったことを答えてくれました。
なので、本当に役に立たないと信じている人は、実は世間で騒がれているほど多くはないのだと思います。
 ・なんだかんだいっても、みんな数学の価値を認めている。
 ・たまたま私の周囲に数学に好意的な人が集まっていた。
 ・私の聞き方が誘導尋問的であった。
真実は、この3つのうちの1つ(あるいは複数)ですね。

それでは、いったい誰が「役に立たない」をさかんに主張するのでしょうか。
次の3タイプがあるのだと、私は思っています。

Type1: いやいやの「役に立たない」
好きでもないのに強制的に学ばねばならない学生。
これ、わかりますよね。
もしあなたが数学が得意だったなら、不得意だった別の科目に置き換えてみましょう。
もしあながた全く不得意のないパーフェクト人間だったら、、、たぶんこの気持ちは分からないですね。
私が学生の頃、なぜ数学の先生はあんなに教えるのが下手なのだろう、ということがしばし話題に上がり、
話し合った結果「先生はもともとできるので、分からないということが分からないのだ」という結論に至りました。

Type2: プロジェクト中止の「役に立たない」
プロジェクトに反対の人。
要するに、儲からない。
ある意味基準が明確で分かりやすい。
でも、真実はやってみるまで分からない。

Type3: 人生の岐路に立つ「役に立たない」
数学者になるかどうか決めかねている人。
自問自答。
こういう人には、自分で答を見出してもらうしかない。
あるいは、なり損ねた人。
すっぱいブドウ。

以上の3タイプを眺めると、反対に、この3タイプにあてはまらない人は、
特に「役に立たない」を主張する理由が無いことにも気付くでしょう。
それが「役に立たないと信じている人」が、私の身の回りに皆無であることの実情なのだと思います。

で、この3タイプのうち、反論のストーリーを用意する必要があるのは、Type1の「いやいや型」です。
なぜ反論の必要があるのかというと、未来の可能性が1つ減ってしまうから。
いや、どうしても当人がいいって言うんなら、いいんですけどね。
残りの2タイプについては、当事者が自力で解決してください。

Type1への反論のストーリーはいろいろ考えられるでしょうが、私が編み出したのはこんなものです。
 「数学と、絵画と、音楽。
  この3つの実体は1つの同じもの。
  1つの同じものを、
  ロジックの世界に広げたものが数学、
  2次元のキャンバスに広げたものが絵画、
  時間軸に沿って広げたものが音楽。」
ゲーデルエッシャー・バッハ”っていう本がありますよね。
つまりそういうことなんですよ。
この3つの制作手順には、根底に非常に似通った、共通パターンがあるんです。
これはもう、やってみて下さいとしか言いようがありません。
確かに、数学を知らなくったって絵は描けます。
でも、数学との共通パターンを知っていた方が、明らかに1ランク上の絵が描けます。
特に、画面を「構成」しようと思ったら、数学的な思考パターンが必要不可欠です。
たとえ式に表すことができなくても、描いている本人が数学と意識していなくても、です。
(そんなに高尚な話ではないのですよ。
 私なんか、絵画はマンガとアニメに、音楽は初音ミクに教わったんですから。)

しかし考えてみると、絵画も、音楽も、数学と同じくらい「役に立たない」という気もします。
3つまとめて、全部「役に立たない」という烙印を押されると、答に窮してしまう。
なので、もう1段上のストーリーも用意しておく必要があります。
何もかも役に立たないと言い張る人には、ならば、一体何が役に立つのかと、逆にとことん問うてみるのが良いでしょう。

お金儲けこそが、役に立つことなのか。
稼いだお金で、何をするのか。
例えばそれが、おいしいものをたらふく食べるためだったなら、役に立つ=美食ということなのか。
ならば、最終目標が美食であるような人間が、世の中の役に立つのか。
そんな人間が居なかったとしても、世の中はあまり困らないのではないか。
そもそも人間が生きていること自体、何かの役に立っているのか。
人間は、地球の役に立っているのか。
別に人間がいなかったとしても、地球はあまり困らない。
人間がいてもいなくても、同じように太陽の周りをグルグル回っていることだろう。
では、地球の存在は、何か宇宙の役に立っているのだろうか。
別にちっぽけな星の1つや2つ無かったとしても、宇宙はたいして困らない。
いや、1つや2つどころか、全部の星が崩壊して砕け散っても、別に宇宙は気にも留めないだろう。
宇宙は、あるがままにある・・・

こうして最終段階にたどり着きます。※
そもそも、宇宙が無かったとしても、何一つ困らない。
困る主体が無いのだから、困らない。
もし宇宙が何かの役に立つという状況があるのだとしたら、
それは神様が、別の神様に見せびらかすために宇宙を作ったのだ、ということくらいしか思いつきません。

「うまい具合に宇宙ができたぞ。ほら、ここんとこよーく見てご覧。
 青い星の上に、ちっちゃいのがいっぱい動いていて、おもしろいよ。」
「どれどれ、見せてよ。」
「だーめ、ただでは見せられないね、1回100円。ちゃり〜ん」

・・・せこい、神様せこすぎるよ。
まさかそんなことのために宇宙創造したんじゃないだろうな。
ということで、明確な証明は無いのだけれど、きっと宇宙は経済原理で作られてはいません。
であれば、やっぱり宇宙そのものは何の役にも立っていない。
ということは、そもそもこの世に何か、絶対的に役に立つものがあるのだと考える方が間違っている。
「役に立つ」という考えは、経済人が作り出した幻想。
物事は本質的に、何かの役に立つように作られたわけではなく、ただ在るだけ。
宇宙のように。

だから、数学が役に立たなくても、それは本質的なことなのであって、全く困ることではないのです。
そんでもって、その役に立たない数学で、役に立たない宇宙の仕組みを解明するのだ。


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ここにもっと良いことが書いてあったので、マジメに考えたい人は覗いてみてね。
 * ようこそ/さようなら。
 http://www.math.sci.hiroshima-u.ac.jp/~m-mat/NON-EXPERTS/YOUKOSO-SAYOUNARA/soujin7.txt


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※ 最終段階に至る手前で「役に立つ=自己の欲望の最大化」ってあたりで止まると、
そこで話が完結してしまうんですよね。
役に立たない論争って、
・自己の欲望の最大化を結論に持ってくるか、
・そんなことは虚しいから、それ以上の悟りに達するか、
というところに最大の分岐点があるように思う。