文字情報のイントロン

「若者の活字離れ」はウソではないかと思う。
社会調査の結果がどうなっているかは知らないが、私自身の身辺を見渡す限り、むしろ活字は増えているようにさえ思う。
ホームページを見よ、ブログを見よ、携帯小説を見よ、ライトノベルを見よ、ビジュアルノベルを見よ。
電子メディアの普及という変化はあるが、多くの人が活字そのものを離れているようには思えない。

だからといって活字の未来は明るいかというと、必ずしもそうでは無いように思う。
文字情報の上に現在進行中の潮流は、「軽く、短く、早く」なっていることではないか。
短い文章は伝達速度が早い。
もし同じ内容が伝達できるのであれば、1個の長い文章よりも、その1/10のサイズの文章が10個あった方が、世の中への浸透率は圧倒的に高い。
文章が短いほど、受け手の負担は小さく、焦点も集中し、伝達時間は短く、伝達におけるミスも少ない。
いいことずくめである。
広告やキャッチコピー、ビジネス文書やプレゼンテーション、学術レポートからプログラムコードに至るまで、「短いことは良いこと」なのだ。

であれば、短い文章は、いずれは徹底的に長文を駆逐するのだろうか。
そんなことはないだろう。
長文には長文にしか伝えられない、大切なものがある。
その「大切なもの」を探るため、ここで少し生物の持つ情報について考えてみることにする。

言うまでもなく文字は情報伝達の手段だが、一列に並んで情報を伝達するコードは、文字よりもずっと昔から生物の中に存在していた。
遺伝子コードがそれである。
もし「短いコードほど有利」であったならば、生物の持つ遺伝子は徹底的に短くなる傾向を有しているはずだろう。
では生物の場合、コードの長さと伝達速度はどのようになっているのだろうか。

生物の中には、徹底的に遺伝子コードを短くし、増殖速度を上げることによって成功した一群がある。
それは原核生物である。
  * 生命と進化
  http://green-forest.hp.infoseek.co.jp/seimei-4-3.htm
  「真核生物の出現 -- 原核生物と真核生物の2つの戦略」の章を参照

原核生物とは、細胞に核を持たない生物、簡単に言って細菌のことである。wikipedia:原核生物
それに対して、我々を含む動植物は、核を持つ真核生物である。wikipedia:真核生物
原核生物と真核生物では、細胞そのもののサイズや複雑さに決定的な違いがある。
特に着目すべきはDNAのサイズだ。
たとえばヒトのDNAサイズはどの程度かというと、
「半数体ヒトゲノムは約30億塩基対からなり、体細胞は2倍体であるため約60億塩基対のDNAを核内に持っている。」wikipedia:ゲノム
一方、現在知られている生物で最もゲノムが小さいのはカルソネラという細菌で、約16万塩基対、
「タンパク質をコードしている遺伝子は182しかな」いそうだ。
  * 理研プレスリリース
  http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/press/2006/061013/detail.html

wikipedia:ゲノムの表からもわかるとおり、必ずしも高等と思われている生物のゲノムサイズが大きいわけではない。
それでも、(原核生物のDNAサイズ) < (真核生物のDNAサイズ) は明らかで、
  ストレプトマイセス属 9×10^6  (最大級のゲノムを持つ真正細菌
  出芽酵母       1.2×10^7
となっている。

原核生物と真核生物の染色体を比べたとき、外見上の最も大きな違いは、原核生物の染色体が環状〜輪ゴムのように輪っかになっているのに対し、真核生物の染色体は線状になっていることである。
よく知られているように、DNAは2本の高分子鎖がらせん状にからみあってできている。
ここで洋服のチャックを思い浮かべるとわかるのだが、線状のDNAは何もしないと両端からほどけてしまう。
実際の真核生物では、DNAの両端に「テロメア」と呼ばれる、両端を保護するための特別な構造がある。wikipedia:テロメア
DNA末端という弱点を無くす、もう1つの方法は、DNA自体を輪にしてしまうことだ。
そしてこれが原核生物の採った方法だったのである。

原核生物と真核生物では、増殖速度に大きな違いがある。
原核生物がものの数十分で分裂するのに対し、真核生物では20時間程度を要する。
この違いは、主に転写すべき量による。
DNAサイズの違いは、単純に情報量の違いなのだろうか。
生物では単純にそうなってはいない。
原核生物と真核生物で際だった違いは、真核生物にはタンパク質の合成に直接寄与しない「無駄な」DNA部位が多く見られることだ。
この「無駄な」DNA部位は「イントロン」と呼ばれている。wikipedia:イントロン
それに対してタンパク質合成に直接寄与する部位は「エキソン」と言う。wikipedia:エクソン
一部の例外を除き、真性細菌のほとんどはイントロンを持たない。

また、高等生物の間では見かけ上の複雑さとDNAサイズにはっきりとした相関が見られない。
ある生物の、一倍体細胞あたりのDNAの全量のことを、C値(C value)と言う。
そして、C値が必ずしも系統上の複雑さと一致していないことは、C値パラドックス(C-value paradox)と呼ばれている。
  * 進化論的計算手法の研究スタイル
  http://www.ieice.org/ess/ESS/newsletter/N15/ga.html
C値パラドックスの主たる理由は、真核生物の染色体が機能のはっきりしないイントロンをさまざまな形で含んでいるからである。

まとめると、
* 原核生物 :
  小サイズ、環状の染色体
  無駄なイントロンを持たない
  増殖速度は高速
* 真核生物:
  大サイズ、線状の染色体
  機能のはっきりしないイントロンを多く持つ
  増殖速度は低速
ということになる。

さて、原核生物と真核生物のありさまを見ていると、ここから「短い文章 vs 長い文章」の進化について、ある程度類推できるのではないかと思う。
当然のことながらDNAと文字情報では「一列に並んで情報を伝達するコード」という以外に何ら共通点を持たない。
なので以下はヨタ話として読んでくだされ。

短い文書の戦略とは、要するに原核生物の戦略なのではないかと思う。
その代表例は、キャッチコピーであろう。
キャッチコピーの場合、とにかく「感染力」が大切だ。
そのためには可能な限り、早く、短く、印象に残る言葉を選び出さねばならない。

キャッチコピーほどではないにせよ、不特定多数の目に止まるための文章は、ひと目で見渡せて、その場で最後まで一気に読めるサイズ以下が望ましいであろう。
文章の長さには「1回で読み切れるかどうか」に1つの壁があるように思える。
これは、私自身がいろいろとインターネットを見て回って感じたことだ。
私が文章を探す場合、まず目的に合ったキーワードで検索し、有望そうなページを幾つか拾い読みする。
その場合、読めるのは長くて1ページである。
1回に読み切れなかったページは、よほどおもしろければブックマークに入れるかもしれないが、そこまでして読破するページは希となる。

しかし、これを繰り返すうちに、どうもインターネットには足りないものがあるように感じられてきた。
ネット上にある知識の総量が足りないのではない。
それらの知識が、ほとんど1ページ以下の小さなブツ切りになっていることが、最も不足していることなのではないか。
原核生物には、自ずと限界があるのだ。
知識のブツ切りを増やすのは、いってみれば細菌の増殖のようなものである。
ある程度以上に体系立った知識を得るには、どうしても「1回で読み切れる」以上の領域に達する必要がある。
そうした長領域の知識を、安直にネットやテレビで得るのはどうも難しいように思える。

DNAサイズと長文との間に、もう1つあてはまるアナロジーがある。
それは、文章というものも、長さと内容の間に明確な相関が見られないことだ。
生物のC値パラドックスと同様、文章の長さと内容の間にも1つのパラドックスがある。
そのパラドックスの理由も似ていて、長い文書には一見目的に合わない冗長な「イントロン」が数多く含まれているのである。

タンパク質合成に直接寄与しないイントロンは、全く無駄なものなのだろうか。
どうやらそうでもないらしい。
イントロンは一見無駄に見えるが、選択的スプライシングや、エキソンシャッフリングを可能にし、
 また、mRNAを核から運び出す過程や、翻訳効率などに関わっていることがわかってきた。」
あと、一見無駄に見える部分だと変位を起こしても死に至らないので、そのあたりが進化のメカニズムに関係しているのではないか、といった話も聞いたことがある。

生物の上での真偽の程は定かではないが、一見冗長な部分が進化を生むという見方は、文章の上にあてはめると非常におもしろい。
目的に合わせてガチガチに最適化されたレポートよりも、文章の端々に置かれた冗長な部分に、次なる発展のヒントが隠されているケースが多いのではないか。

文章を短く、短くまとめることばかりに血道を上げると、いつしか思考が「単細胞な」ものになってしまう。
未来に渡って文章が進化し続けるためには、多分にイントロンを含んだ文字コードに接することも、また大切なのではないかと思うのである。

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(2008/08/13追記)
若者の活字離れについて、こんな記事を見つけた。
*「最近の若者は本を読まない」本当の理由
>> http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/06/post_1e56.html
確かに。やはり「若者の活字離れ」はウソだった。
活字離れは明確な数字にも出ていないし、身近に感じる感覚にも一致しない。
まあ、マスコミ陰謀論や、語りおやじうぜえ、っていうのは少々ひっかかるけれど、
ブログっていうのは白黒はっきりしないと面白くないからね。