いじめられ人形

※注意:深刻にいじめに悩んでいる方は、読まない方が良いかもしれません。

「パロ」という名の、アザラシ型のロボットをご存じだろうか。
ギネス世界記録公認「世界で最もセラピー効果があるロボット」なのだそうだ。
 http://paro.jp/
実際に催し物で、パロにさわってみたことがある。
シトッとした抱き心地で、撫でると「きゅー、きゅー」といって甘えてくる。
さすがは世界一の、むちゃくちゃ愛らしい「メンタルコミットロボット」である。

パロにヒントを得て、私は間違いなくメガヒットするであろう企画を思い付いた。
それは「いじめられロボット」である。
学校の教室で、あるいは職場で、いじめの問題が取り沙汰されている。
それというのも、そもそも「人間を」いじめるから問題なのだ。
最初からいじめられる目的の為に開発されたロボットであれば、何の問題も無い。
各教室に一体ずつ、あるいは職場に一体、家庭にも一体、いじめられ役を一身に引き受けるロボットを配布すべきである。
人間の負の欲望を一手に処理する機械。
これで、いじめ問題は全面的に解決するはずだ。

どういったロボットが「最もいじめ甲斐がある」だろうか。
まず、人間よりも愚直で、全ての面において劣っていなければならない。
いかなる側面においても、いじめる側よりも勝った点があってはならない。
劣ったロボットをいじめることで、人間はささやかな優越感にひたることができる。
しかし、取るに足らないようなつまらないものをいじめても、かえっていじめる側が矮小な気分になる。
なので、全くダメダメというより、むしろ適度な存在感があった方が良い。
この話題を友人と話したところ、「適度に生意気で、いちいち刃向かってくるような」ロボットが良いだろう、という結論に落ち着いた。
ロボットは愚直な機械らしい浅知恵を働かせて、つまらないゴタクを並べつつ、キィキィと刃向かってくる。
そこを「うるせーんだよ、この野郎!」と一喝して、ポカっと殴りつける。
するとロボットは急に勢いを失って、しりごみしたり、場合によっては泣き出したりする。
いじめる側は、その反応に満足を覚えるのである。

よく言われることだが、いじめに遭う人は、転校しても、職場を変えても、やはり行く先々でいじめに遭う。
残念ながら、やはり「いじめられやすい特性」といったものが、当人に備わっているように思える。
(だからといって、いじめに遭う人が悪い、というのではない。事実としてそうだということ。)
概して言えば、
* 劣っていること
* 異質であること
* 反応がいじめる側を満足させること
といったところだろうか。
しかし、事はそう簡単ではない。
いじめに遭う人は、どことなく「いじめて下さい」と言っているような雰囲気を身に纏っているのである。
いじめる側はこの雰囲気を、半ば本能的に嗅ぎ分ける。
なので、いじめる側からすれば「いじめられるやつが悪ぃーんだよ」といったことになる。
さて、「いじめられロボット」を開発するには、この「いじめられやすい特性」の把握が極めて重要だ。
いじめに遭いやすい人が共通に有する因子を解析し、それをロボットの上に再現するのである。
(まじめな話をすると、ロボットを作るかどうかにかかわらず、「いじめられやすい特性」の把握は社会的な重要課題であろう。
もし、いじめられやすい特性が正確に把握できれば、逆に特性を無くすこと、いじめを回避する手段を構じることもできるのではないか。
そんな特性は無いのだという人もいるが、いじめられやすい人はどこに行ってもいじめられる、という点からすれば、やはり何らかの要因が潜んでいるように思えるのである。)

ロボットの外見は、ドラえもんの「のび太」のような、ひ弱な少年がよいかもしれない。
のび太のくせに、生意気だぞ!」
という決めゼリフが使える。
あるいは、いちいちたてつく憎たらしい子犬、というのもよいだろう。
ここで、パロのように可愛らしい子犬にしてはいけない。
それだとみんなに愛されてしまう。
あくまでも醜く、小憎らしい、みんなからいじめられる存在でなければならない。
しかし、商業的なウケを狙うなら、やはり「薄幸の美少女」タイプではないかと思う。
ここで現実の話をしておくと、実際の「美少女」はほとんどいじめの対象にはならない。
現実にいじめられるのは、およそ容姿のぱっとしない子と相場が決まっている。
(この点、実に気の毒と言う他にない。いじめの理由は、およそ本人の努力と関係ないところにあるのだ。)
この現実を無視して、主に男どもの偏見に従うならば、いじめの対象には「不幸を絵に描いたような美少女」がふさわしい。
秋葉原あたりで探せば、その手のメディアは一抱えほども見つかる。
つまり、ここに大きな市場が見込めるのである。

こういうロボットを教室に1人混ぜておいて、「さあ、今日からみんなでいじめよう!」ってなことをする。
もともといじめられるために開発された機械である。
思いつく限りのイジワルをしたところで、誰も、何も咎めない。
こっそりノートに落書きしておいて、「ひどいっ!誰がこんなことを・・・(うるうる)」と叫ばれても、みんなニヤニヤとうつむくばかりで、誰一人として返事をしない。
会話の中に入ってこようと近づいてきたら、急によそよそしい態度をとってみる。
シャーペンの芯を折っておいたり、上履きに画鋲を入れてみたり、お弁当(あるのか?)にチョークの粉をふってみたり、インターネットの掲示板に悪口を書いてみたり・・・
何をやっても構わないのだ。
ロボットの方は、それらのいじめに対していちいち過敏に反応する。
ひどく落ち込んでみたり、オロオロしたり、泣き叫んだり、「やめてよねっ!」っとつっかかってきたり、ときどきあえて無視したりする。
とにかくいじめる側を喜ばせるように、ロボットには多彩な反応がプログラムされているのである。
あまりいじめすぎると、ロボットは先生に言いつけに行ったりする。
しかしロボットなので、先生が同情する必要はない。
「いじめられる側にも原因があるんだぞ。」といって、突き放してみたりする。
すると、さらに落ち込む。
すごく良くできたロボットだ。
先生も、そこまで演技する必要があるのだろうか・・・
それでも、この先生の言葉で、いじめる側はますます喜ぶこと間違いない。
こうして、全国津々浦々でいじめぬかれたロボットから、いじめられやすい性質、シチュエーション、いじめの手口、行動パターン、などなど、いじめに関するあらゆるデータを回収する。
その中から「いじめられやすい特性」因子を抽出し、ロボットの完成度にますます磨きをかけるのである。

実のところ、いじめられロボットの真の目的は、それだけに留まらない。
ロボットの使われ方からして、場合によっては一週間を待たずして、ロボットはボロボロになることが予想される。
そのタイミングで、ふと我に返って、オンボロになったロボットを見直してみるのである。
どういう気分になるだろうか。
例えて言えば、
酔っぱらった勢いにあかせて熱唱したカラオケの録音を聞かされたような、
使い古してヨレヨレになったエロ本を白日の下に晒して見るような、
そんな気持ちになる。
もし自分の「いじめられロボット」が、とてもよく使い込まれていたとしたら、何かひどくやるせない気持ちになるのではないか。
できることなら、ここで記録しておいた「いじめ行動データ」を見直してみると良い。
その際、この行動は良いとか、この行動はいけない、などといった評価は一切行わない。
ただ冷静に、過去に行われたいじめの記録を見直すのである。
すると、どうなるか。
いじめた側は、鏡に自分の姿を映し出されたような気持ちになる。
自分のしてきたことが、ひどくつまらない、低級な行いに思えてくる。
機械をいじめて何が楽しいんだ?

そうは言っても、所詮相手は機械である。
壊れたら、いくらでも代替えが効くのだ。
ロボットの調子が悪くなってきたら、それは回収して、翌日には新しいロボットと取り替えておこう。
「さあ、また新しいロボットが来たぞ! 何の遠慮もいらん。好きなように、自由にいじめてごらん。」
こうして、ロボットいじめの日々を再開させる。
いじめが流行る理由の1つに、「それが悪いことだから」という点が挙げられる。
なので、あからさまに「何の遠慮もいらない、好きなようにやれ」と言われると、とたんにやる気が萎えてしまうのである。
それでも、良くできたロボットであれば、やはりいじめは止められないかもしれない。
世の中には、二次元の画面にさえ、あれほど萌える人がいるのだから、三次元で反応豊かなロボットであれば、相当「やり込める」に違いない。
再び、機械はボロボロになる。
そのタイミングで、過去の行動記録を見直して、再び新しいロボットに置き換える。
この段階でかなり多くの人が、いいかげんロボットいじめに飽き始めると思う。
どんなにいじめても、再び何事も無かったかのように、新しいロボットがやってくる。
そこで過去のいじめはリセット。
再びゼロから、同じようないじめを再開することになる。
いくら表情豊かとはいえ、同じようないじめを行えば、同じような反応しか返ってこない。
当然、行動も予想がつくものばかりになる。
しかも、もういじめの手口もあらかたやり尽くしている。
いじめという行為が、単なる作業と化してくるのである。

これを3回繰り返す。
いいかげん大半の人が、いじめを卒業するはずである。
いじめを防止する1つの方法として、いじめたいという欲望を、一度とことんまで満たしてやったらどうだろう。
好きなだけロボットをいじめれば、もうお腹いっぱいになるのと同時に、所詮いじめなどつまらない、ひどくばかばかしいことだと気付くのではないか。
もちろんこの方法にも問題が無い訳ではない。
やってみると案外面白くて、クラス中が一致団結して、新たないじめ開発に熱を上げるかもしれない。
強化してどうする!
なので、できるだけいじめはつまらない、単調なものにしておく必要がある。
この点については相手が機械なので、特別な努力を払わずとも、すぐに単調でつまらない作業になるだろうと予想される。
いま1つの問題は、ロボット相手はつまらないが、人間相手だとおもしろいのだ、と分けてとらえられることだろう。
これについてはテクノロジーの限りを尽くし、人間と見紛うほどの、少なくとも人間として感情移入できるほどのロボットの開発が望まれる。
いじめる側にとって、ロボットだ、人間だといった区別が意識が上らないほど良くできていれば、この問題は消失するものと思われる。
それほどまでのロボットであれば、犯罪率の低下にも役立つのではないか。
そのように私は思うのである。

さて、最後に残された問題は、3回繰り返しても、相変わらずロボットいじめを止めない人間が残るかもしれない、ということである。
はっきり言って、ここで残った人間はクズである。
精神鑑定に回すか、いっそロボットと一緒に独房に閉じこめておくのが良い。
ロボット相手のいじめに飽きないのであれば、彼の相手には人間ではなく、ロボットこそがふさわしい。
完全オートメーション化した工場にでも放り込んで、一生ロボット相手に作業を続ける、というのが彼にふさわしい労働環境である。
ロボットをいじめるような人間は、最後にはロボットからいじめられるのだ。
いとよろし。