みにゆかん

学校での国家斉唱がとりさたされるご時世なので、私からも1つ提案。
「さくらさくら」を第二の国歌にしたらどうだろう。
散り行くさくら花は「もののあはれ」を感じる日本人の美意識そのものであろう。
何よりも当の子供達が、この国の国歌は胸を張って堂々と歌えないものなのか、と当惑するのが一番困る。

そう思ってWEBを見ると、
 wikipedia:さくらさくら
 一部の論者には「君が代ではなく、この『さくらさくら』を日本の国歌とすべきだ」と言う者もいる。

みんな(一部?)そう思っていたのか。
だったら、次の憲法改正に合わせて国歌も変えれば良いと思う。

さて、このように国民的に親しまれている「さくらさくら」なのだが、歌詞を最初に覚える小学生にとっては、やはり難解である。
昔々、私が最初に「さくらさくら」を歌ったとき、歌詞の意味でわかったのは最初の「さくらさくら」の部分だけだった。
そのほかに、もう1カ所だけ自分なりに解釈した部分がある。
それは、歌の最後の「みにゆかん」だ。

「みにゆかん」とは、おそらく「みかん」に似た柑橘類の一種なのだろう。
「ぽんかん」とか、「いよかん」とか、そういったものの親戚に「ゆかん」という果物があるに違いない。
そして、最初の「みに」は「ミニ」、つまり「小さなゆかん」のことであろう。
子供心に私はそう考えた。
さらに、正月の鏡餅の上に乗っている、あれがどうも怪しい。
当時、我が家では正月にお供えの鏡餅を飾っていたのだが、餅の大きさが小さく、それに比してみかんが不釣り合いに大きかった。
きっと鏡餅というものは、正式にはみかんを乗せるべきではないのだ。
「ミニゆかん」であれば、ちょうど収まりよく餅の上に乗っかるに違いない。
「さくらさくら」の式典めいた感じと、正月のめでたい感じがあいまって、私は長い間「ミニゆかん」の存在を信じて疑わなかったのである。

もう1つ、これは人から聞いて印象に残った話。
鉄道唱歌に「海のあなたにうすがすむ」というくだりがある。
この「うすがすむ」とは、さるかに合戦の「臼が住む」のことであろう。
さるかに合戦の後、臼は海を渡り、今では遠い島で平和に暮らしているに違いない。
その人は長い間、この「さるかに後日談」を胸に抱いていたそうな。
(パソコンで「うすがすむ」を変換したら、一発で「臼が住む」と出た。)

「重いコンダラ」は頻出なので、パス。
 wikipedia:コンダラ
 日本コンダラ製鉄株式会社
しかし、こんなページまであるとは。。。

歌の話題からは外れるが、もう1つ、子供のころに大きく勘違いしていたものがある。
それは朝食に出る「アジの開き」だ。
さいころ私は、アジというものは、あのように平べったい魚なのだろうと、ずっと思っていた。
言うなれば、カレイやヒラメの親戚のような魚である。
「左ヒラメに右カレイ」、そして中央はアジ。
ところが、あるときもしやと思い、開きをたたんでみたところ、ピッタリと一本の美しい魚になったではないか。
これは驚きの大発見だった。

この話を人にしたところ、やはり私と同じように「ぺったんこの魚」だったと思っていた人がいた。
しかもこの人はアジだけではなかった。
さらに、もしやと思ってスシに乗っているエビをたたんでみたところ、ぴったり。
世界が1つ広がった。

もう少々、子供の頃の勘違いをば。
猫と犬は実は同じ一種類の動物で、オスが犬、メスが猫。
昆虫や鳥なんかには、オスとメスの姿が大きく異なるものもいるではないか。
あれと同じだろうと思っていた。

もう1つ。
「サビ」と「カビ」は同類で、金属に付くのが「サビ」、食べ物に付くのが「カビ」。
つまり「サビ」は生きている。
子供のころ、私はそのように思っていた。
実は今でも「サビ」と「カビ」の違いはさほど大きくないのではないかと疑っている。
生物というものは、環境から物質やエネルギーを取り込んで、自身のコピーを増やすものだろう。
 ・「サビ」は鉄や金属を食べて生きている。
 ・おまけに酸素呼吸もする。
 ・明らかに増殖する。しかも、かなり複雑なパターンで。
生物といえども、要は化学反応の集まりではないか。
であれば、「サビ」と「カビ」の違いはどこにあるのだろう。
こればかりはアジの開きと違って、子供の頃から未解決な問題の1つである。