自分の給料を知らない人

およそまっとうに働いてながら「自分のもらっている給料がいくらなのか知らない」人はいるだろうか?
実は、ここにいる。
私がそうである。
私とて、もう充分なお金があって数える必要が無い、というわけではない。
単に頓着しないだけだ。
このことをあまりあからさまに言うと、周囲から「こいつは社会人として信頼できるのだろうか」という疑念を抱かれてしまう。
なので、普段は(そしてこのブログ以外は)あまり言わないことにしている。
でも本音を吐けば、最低限生きていけるくらいのお金さえあれば、あとはどうでも良いと思っている。
考えてみると、私はとても幸せな部類に属していると思う。
 ・まず、給料の額を正確に知らねばならないほど生活に追われていない。
 ・次に、家族から給料についてあれこれ言われない。
 ・そして、たいていの人がお金のために費やしている頭脳を、もっと他のものに振り向けることができる。
こうした生活が送れることに感謝しなければならない。

給料の額を気にする程度は人によってまちまちだろうが、特に社会人になって数年間は、同僚や友人間での違いが気になるものらしい。
ところがそんな中にも、給料の額面を知らない人は確実にいるのである。
私は昔、後輩とこんな話をしたことがある。
後輩:「○○さん(私のこと)、給料の額って大事なんですね。」
 私:「そりゃ生活の上では大事なことだと思うけど。」
後輩:「実は、尋ねられたときに額を答えられなかったの僕だけなんですよね。みんなよくそんなこと覚えてるな〜。」
ああ後輩よ、お前もか。
これで給料の額を知らない人間が、少なくともこの世に2人はいることが分かった。

私とこの後輩には共通点がある。
それは学生の時分、あまりお金を使わなかった、ということなのである。
どの程度が「お金を使った」ことになるのかの基準にもよるが、私の場合、1ヶ月の生活費は5〜6万円であった。
そのうち1万5千円は家賃に消えていたので、実質3万5千円〜4万5千円である。
学費は別に親から仕送りしてもらっていたので、この金額は食費、光熱費、衣料費、本代、等々である。
そして、この金額で特に不自由したとか、苦労したとか、そういった覚えは全くない。
必要充分どころか、むしろ少々余って娯楽に振り向けていたくらいである。
やろうと思えばもっと切りつめられたであろう。
後輩と2人していろいろやりくりし、食費に関しては1万円を切るのも夢じゃない、と常々言っていた。
そして、この金額は必ずしも私だけが特別低かったというわけでもない。
親から仕送りしてもらっている身分で、普通であれば数十万円といった金額であるはずがない。
程度の差こそあれ、周囲は皆こんなものだった。

上の金額は私が学生の時分の話なので、今から何年も以前のことになる。
なので、現在の金額と直接比較できない面もあるだろう。
ただ、私は金額の面において非常に有利な条件下にあった。
まず家賃の存在が大きい。
いまどき1万5千円のアパートなど、なかなか無いだろう。
私の住んでいたアパートも、最後にはついに2万円に値上げし、その後無くなって駐車場になった。
次に、大都会ではなく地方だったということがある。
暮らしてみればわかることだが、例えば東京と地方を比べると明らかに物価に差がある。
何かにつけ、地方は安く済む。
あと、学校から歩いて行ける距離に住んでいたので、交通費がゼロであった。
これはお金だけでなく、時間的にも相当得をした。

食費に関して言えば、学生食堂の存在がプラスになっていたように思う。
今でこそ当たり前になっているコンビニのおにぎりは、かなりの贅沢品だと思う。
コンビニのおにぎりが出た当初は「1個100円のおにぎりなんて誰が買うのだろう」と本気で思っていた。
その意味では、実はカップ麺もかなりの贅沢品なのである。
1個1個のカップ麺が高い、というのではない。
トータルで見ればカップ麺だけでは足らず、別のお菓子のような食品で補うことになるので、最終的に高くついてしまうということなのである。
同様に、スナック菓子も費用対効果の面で高価な部類に属する。
大体において、手軽にちょこちょこ買うものは高く付く。
いろいろやってみたところ、結局は「米を食う」のが一番安い。
最初にできるだけ一気に米をまとめ買いして蓄え、それを少しずつ食いつなぐ。
私の食事の基本は「もやし炒め、又は納豆+米」だったのだが、これが最も安上がりで、意外と健康的でもあった。
もう1つ、愛用していたのは「はしぱん」である。
切り落としたパンのみみを、パン屋で安く(10円程度)で売っていることがある。
これは朝食にもってこいだ。
「はしぱん」は、昔はただでもらえたものだが、現在でももらえる店があるかどうかはよく知らない。

もっと昔の話をすると、私は小学校の頃にわとりの飼育係だったことがあって、そのために近所の店で「はしぱん」と「はし野菜」をもらっていた思い出がある。
(ちなみに1番人気はうざぎの飼育係だった。にわとりは2番目くらい。)
「はしぱん」と「はし野菜」はにわとりだけでなく、人間でも食べられる。
今になって白状すると、ちょっとだけ食べていた。
なので純真な小学生であれば、決して飢えることはないのである。
もっともこの話は数十年前のことなので、現在でも通用するかどうかは分からないが。

さて、こんな貧乏話をしたのは、最近になって貧乏というものが遠い第三世界の話ではなく、ごく身近なものになってきたと感ずるからである。
ワーキングプア下流社会、といった言葉が話題を呼んで久しい。
こういった問題に直面したとき、世の中がどうだとか、社会がこうあるべきだ、といった方面に考えが行きがちだ(特にネット上では)。
もちろんそういった社会派の議論も大事だが、その前に、もっと身近な自分自身のお金の使い方を見直すべきかと思ったのである。
1つには、たとえ今の世の中が悪い方向に向かっていて、それが悪しき資本主義や企業の理論の結果だったとしても、それを変えるには何十年もの時間がかかる。
今、問題に直面している人は、そんなに待っていられる余裕はない。
今すぐに何らかの対策が必要なのである。
そこでまっさきに着手できるのは、まず自身のお金の使い方ということになる。
そしてもう1つ、社会の犠牲者と呼ばれるような人たちの中には、よく見ると「どうもやり方がまずいな」と思える点がちらほら見受けられるのである。
それは私が実情を良く理解していないからかもしれないし、必ずしも全てのケースに当てはまらないのかもしれない。
それでも、実際に私が過去に出会った幾つかの例から外挿すると、多くの場合、まだ自分で何とかできる余地が残されているのではないかと思えてならないのである。

たとえば、フリーターのうちの幾人かは「ネットカフェ」に泊まり、「コンビニでカップ麺を選んで」いると聞く。
私から厳しく言わせてもらえば、どちらも贅沢品の部類に属する。
長い目で見れば、ネットカフェより安アパートの方が良いに決まっている。
最初の敷金が出せない、というのは本当だろうか。(もちろんどうあがいても出せない人もいるとは思うが。)
例えば、親や親戚を頼み込んで最初の敷金を借りてくれば、後にネットカフェとの差額で敷金の分は返せると思うのだが。
仮に私が1人暮らしであって、似たような立場に立たされたとしたら、最低限「家賃4万+生活費3万」という数字を出す。
もちろん住んでいる場所や、種々の事情はあるだろう。
それでも月に10万あれば、私は(1人であれば)今でも充分やって行ける自信がある。
そして、最低限7万、ないし10万、といった数字を出すのは不可能なのだろうか、と少々考え込んでしまうのである。
もちろんこの数字は、家族とか、背負っているものがあるなら当然変わってくるだろう。
また、気楽な学生と働いている社会人では生活体系が全く違うことも重々承知している。
それでも私は、かなり多くの人が「10万円ライン」で、さして苦しくない生活を送れるのではないかと思っている。
以下の話は、家族を背負っている家庭人ではなく、どちらかといえば「若い人に対する説教」になる。
そのつもりで読んでほしい。

出費について見直しをかける最短の方法は「家計簿を付ける」ことだ。
そんなに立派なものでなくてもよい。
あまりきちんと付けようと気構えると、めんどくさくて挫折するので、多少ルーズな方が良いかもしれない。
私の場合、手帳にメモ書きで、だいたい何に何円使ったかをちょこちょこ書く程度だった。
そんなメモでも後から見直すと、確実に全体の傾向が読み取れる。
私の場合、意外に「お菓子」に消費していたというのが1つの発見だった。

そうして出費を見直せば、実は生存以外のために用いられるお金が案外多いことに気付くのではないか。
生存のためのお金とは、
* 家賃
* 食費
* 水道・電気・ガス代
くらいのものである。
ちなみにクーラーは贅沢品に数える。
住んでいる地方にもよるが、暖房費も一部贅沢と見なす。
必要ない場合は布団に潜る。
電気ストーブは不可。
割安なのは灯油ストーブだ。
携帯電話も贅沢品である。
「生存」とは、そういったレベルの話である。

そうした生存のためのお金を除くと、実のところ何にお金を使っているのだろうか。
ほとんどの人にとって最も多い出費とは、
* 世間体を保つためのお金
* 不安を解消するためのお金
* 仲間や友人とつながっていたいがためのお金
なのではないか。

たとえば携帯電話は絶対手放せない、という人がいる。
そのお金は結局のところ「仲間や友人とつながっていたいがため」のものなのではないか。
しかし、携帯電話が無ければつなぎ止められない仲間や友人とは、あなたにとって一体何なのだろう。
その仲間や友人とは、単なる遊び友達ではなく、生きるための情報ソースであり、社会とつながるために不可欠な存在なのだと思い込んでいるかもしれない。
そうであれば、あなたはたぶん「つながりが切れたらどうしよう」という不安から逃れられずにいるだけだと思う。

あるいは、出費がかさむとわかっている飲み会や、付き合いに顔を出さざるを得ない状況が、往々にしてあるだろう。
こういったお金も、よくよく考えてみれば仲間の輪から切れることを恐れての出費なのである。
ここで落ち着いて計りにかけてみよう。
付き合いが悪いと言われるマイナスと、実質的な出費と時間の浪費との、どちらが大きいか。
(会社の営業マンであれば、仲間の輪から切れることは実質的なマイナスにつながる。しかし、多くの友人関係は必ずしもそうはない。)
服がぼろっちいとか、部屋の調度がみすぼらしいとかいうのは、つまるところ世間体に対するお金である。
たぶん、あなた自身が思うほど、世間はあなたの服を気にしてはいない。
機能だけに着目すれば、部屋の物置は段ボールで何とかなる。
私はこれまでずいぶんいろんな人がお金に苦しい、苦しい、と言っているのを聞いたことがあるが、実際に見てみると
「えっ、本当にこれで苦しいの?」
と思えることが多々ある。

既にお気づきのように、私の生活基準は世間一般から見るとかなり厳しい(貧乏くさい)。
もちろん私の価値観に無理矢理あてはめる必要はない。
お金が足りない、足りないという人は、自分なりの価値観で、生存に必要な最低限のお金はどれほどなのか、一度見直してみてほしい。
つまるところ、お金の使い方は習慣なのだ。
学生の時分にお金を使う習慣を全く身につけなかった私は、幸運なことに、お金が少ないことを不幸に思う気持ちがほとんど無い。
(単にそこまで追いつめられたことが無いだけかもしれないが。)

私に言わせれば、お金が足りないというほとんどの人は(少なくとも過去に私が見てきた人は)、生存のためではなく、世間という目に見えないもののために徒に出費を重ねているように見える。
出費の量は、貧乏をみじめと思うかどうか、苦痛と思うかどうか、にかかってくる。
そして貧乏をみじめと思う気持ちが無ければ、おそらく出費はあなたが考えているものよりもずっと少ない。

貧乏をみじめと思うかどうかは、ある気持ちの持ち方に大きく依存している。
それは「夢を持つこと」。
夢があれば、貧乏は苦にならない。
その点で、学生の貧乏はたいして苦にならず、年寄りじみた言い方をすれば甘い。
なんといっても学生は若い。
それに私の時代には、まじめに学校に通っていれば、まだそれなりの将来が保証されていた。
(少なくともそのつもりでいた。)
今にして思えば、夢という言葉の響きほどロマンチックなものではなかったと思う。
単に「保証された、ちょっと良い未来」だっただけに過ぎない。
それでも、この「保証された」という点が気持ちの上では非常に大きくて、それゆえどんな貧乏暮らしも大して苦にならなかったのだ。
仮に同じ暮らしを送っていたとしても、将来の保証も展望も得られなかったとしたら、おそらく不安に耐えきれなかったに違いない。
夢について言えば、私のころはまだ「古き良き時代」であったと思う。
そしてこの点については、後から来る、夢を持てない人たちに同情する。

しかし、世の中が悪いとか、夢を持てと説教しても始まらない。
私の体験と、これまで見てきた実例から、貧乏を切り抜ける具体的アドバイスを付け加えておこうと思う。
以下のアドバイスが、夢や目標を持つ人たちに何らかの参考になれば幸いである。


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1:とにかく家賃を何とかする

衣食住のうち、最も大きく削りにくいのは家賃である。
私が過去に見てきた例では、結局は家賃を払うために日銭を稼がねばならず、いずれ挫折する、というパターンがとても多い。

そこで第1のアドバイス
「可能であれば、実家に住むこと」
妙な独立心や意地から、必要もないのに実家を離れて1人暮らしを目指す人がいる。
その気持ちも分からなくもないが、全体を見た場合、計画的でなない。
どれほどウザイと思っても、最後には親は味方である。
そして間違いなく、世間は親よりも冷たい。
だから、つまらない意地を張って高い家賃を払い続けるのは、実にばかばかしい。

もちろん都合上実家を遠く離れなければならないことは多いだろう。
そこで第2のアドバイス
「なるべく都会ではなく、地方に住む」
交通費との兼ね合いになるかとは思うが、生活コストまで考慮すれば、やはり地方に分があると思う。

上の2つはあえて私が言うほどのこともない、自明のことだろう。
それでもここであえて述べるのは、実際にこの2つの原則をそれぞれ貫いて成功した例を見たことがあるからだ。
1つめは、非常に気まずく実家に居たくないという状況にもかかわらず、全体的な判断からやはり実家を選んだ例。
もう1つは、金銭的な事情から遠隔地に居を構え、長距離通勤をクリアーした例である。
それぞれの成功例を見て感じるのは、やはり成功する人は、計画性がある、見通しがある、ということなのだ。
苦しいときには、やはり何かをがまんしなければならない。
そこで、何をがまんすべきか、何は妥協できないか、後に成功する人は最初からはっきりと決めている。
この態度が重要なのだと思う。

さて、実家も無理、住む地域も限定されているという人には、やはり
「共同生活」
という手段だろう。
今風に言えば「ルームシェア」。
私の「家賃1万5千円」も共同部屋であった。

改めて金額比較:
ルームシェア -- 最安で 20000円程度
・ネットカフェ -- 3時間パック 800円 x 30日 = 24000円

家賃という面からすればルームシェアは合理的な選択なのだが、最大の注意点は「ルームメイトとの相性」である。
お互い相手しかいない2人っきりの生活だと、どれほど仲の良い友人であっても必ず何らかのトラブルが発生する。
特に掃除と家賃滞納。
お互いが嫌になってからでは遅いので、入る前に何らかの協定を敷いておくとよい。

最初からルームシェアの物件であれば問題ないが、場合によっては手頃な物件が見つからないこともあるだろう。
そこで最後の手段は
「直接大家さんに事情を話して交渉してみる」。
たとえば、1人暮らし用の部屋に複数で入れるよう、相談してみたらどうだろうか。
もちろんこれは全く成功の保証はない。
それでも事情が事情であれば、また、問題を起こさず部屋をきちんと使う約束をすれば、あるいはOKが出るかもしれない。

いずれにせよ、出費の基本は家賃で決まる。
めんどくさいからといって安易な目の前の選択にすがるのではなく、とにかくあらゆる手段を構じて基本出費を抑える体制を作り上げるべし。


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2:片手間の仕事はしない

最も典型的な失敗例はこんな風になる:
* 種々の理由でやる気が全く起こらない。
=> でも、最低限の食費、家賃は必要だ。
=> 手頃なバイトで食いつなごう。

これは架空の例ではない。
そしてこのパターンに陥ってうまくいった人を、私は見たことがない。
なので、こういったズルズル生活は人生の無駄である。
とにかく「片手間に」という発想は、即刻止めるべし。
もし仕事をするのなら(それが派遣、バイトであっても)必ず何らかの意味でプラスになる仕事をすること。
それがどうしても不可能というのなら、いっそ仕事などしない方がいい。

私が過去に見たことのある、成功した人には2タイプいるように思う。
1.2足のわらじをはく人
2.ひきこもって強行突破する人
どちらが楽で安全な道かと言うと、圧倒的に1.である。
1.ができない人は、ほぼ間違いなく 2.もできない。
なので、本当に肉体的、精神的に「それがどうしても不可能」と思えるところまでは 1.の路線で行くこと。

2足のわらじというのは、それほど悪いことではない。
そして、2足のわらじと「片手間に」は、また別のことなのである。
不思議なことに、2足のわらじを履いて成功した人は、必ず両方ともそこそこ成功している。
もちろん体は1つなので、2つのことを完璧にこなせる人などまずいない。
私の知る2足のわらじの人は、仕事の上ではおもいきり付き合いが悪かった。
いろいろ陰口をたたかれたりもしたのだが、とにかく文句を言われないだけの仕事はこなしていた。
この辺に成功の秘訣があるように思う。


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いろいろな成功例、失敗例を見るにつけ、成功する人には何というか、戦略、見通し、計画性というものが備わっているように感じられる。
そして金がないときにこそ、その差が歴然として現れるのだ。
しつこく繰り返すが、ネットカフェよりルームシェアの方が安く、カップ麺より米の方が安い。
こんなことは、少し考えれば誰でも分かる。
何も難しいことではない。
基本は使ったお金のメモを取ること、ただそれだけのことだ。

えっ、人の成功例ではなくて、私ですか?
まあ、そのうちに成功して見せますよ。
うっふっふ。

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