お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中

古来より、人間にはどれほど願っても叶わぬ夢が3つあるという。
錬金術、不老不死、永久機関である。
特に3つ目の永久機関は、このサイト作成に至る当初の原動力ともなっていた。
しかし、やはり永久機関は、依然叶わぬ夢のままである。
たとえこのサイトで主張している「マックスウェルの悪魔のようなもの」が実在したとしても、
永久機関は実現しない。


この事実をはっきり認めた上で、それでも仮に、永久機関なるものが発明されたとしたら、
世の中はどう変わるか、人類の未来はどのように変わるのか、考えてみた。


もしあなたが世紀の大発明、永久機関の作り方を見つけたとしたら、どうするだろうか。
極秘にして大もうけを企む?
あるいは真っ先に特許を取得して、それを元に大金持ちになるだろうか。
いやいや、その程度のことしか思い付かないようでは、
あなたは永久機関の真価をまだ理解していない。
永久機関が人類に与える影響は、そんなちっぽけなものではない。


もし永久機関が完成したら、私はその時点で働くことをやめ、財産を守ることもやめる。
なぜなら、永久機関が完成した時点で、労働という行為は過去のものとなり、
私有財産という概念も意味を失うからだ。
永久機関とは、無限のエネルギーをもたらす装置である。
もし無限のエネルギーがあれば、人類にとって物質的に入手できないものは無い。
例えば、現在の地球上には今なお、明日の食べ物に困っている人たちがいる。
永久機関があれば、植物繊維(セルロース)から、生ゴミから、あるいは空気からでも、
食料を無限に合成することができる。
「空気合成ビスケット」を食べている限り、人類が飢えに苦しむことはない。
無限のエネルギーがあれば、資源について悩む必要もない。
資源問題とは、要するに地球上に広く分散した物質をいかに集めてくるか、という問題である。
例えば鉄や金属類、その他の大半の資源は、海水から集めてくればよい。
目的とする元素が海水中にごく少量しか含まれていなかったとしても、
無限のエネルギーが休み無く、いくらでも物質を集めてくれる。
必要であれば、宇宙に出て行って小惑星を拾ってきてもよいだろう。
工場や交通機関ライフラインは全てオートメーションで、
基本的に24時間運転しっぱなしにする。
その際、コスト意識、効率的な設計、省力化といった、
かつて頭を悩ませていた問題は全く考えなくて良い。
とりあえずエンジンを付けておけば、何でも空を飛ぶようになる。
全ての工業製品は、公園の水道の栓をひねればいつでも水が得られるように、
誰でも欲しいときに、欲しいだけ持ってゆけるようになる。
そうなれば、物質的な所有財産は意味を持たなくなる。
道ばたの石ころや、空気のように、ただでいくらでも手に入るのだから、
もう誰もモノに対して所有欲を抱かなくなるだろう。
東京のような場所では土地不足に苦しんでいるようだが、それも無限のエネルギーが解決する。
空中に浮かぶ、巨大な浮遊島を作って、その上に家を建てよう。


人類の物質的な欲望は、全て無限のエネルギーが解決してくれるのだ。
永久機関+コンピュータ+オートメーション+ナノマシン」の黄金コンビで、
生活に必要な物資は全て自動的に生み出すシステムが構築できる。
そして、ひとたびシステムが完成すれば、もう働く必要はない。
人類は生存のための労働から解放されるのである。


こうしてユートピアが実現する。それは、
「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」
である。


あらゆるモノがただで手に入るのだから、お金はいらない。
機械が全て引き受けてくれるのだから、働かなくても良い。
他人より有利な社会的ポジションを確保する必要がないのだから、
(そういう種類の)勉強はしなくて良い。
素晴らしい世の中である。


そこまで全てが上手くゆくのだろうか。
たとえ無限のエネルギーがあったとしても、複雑な世の中の問題を、
100%完全解決できるのだろうか。


そこまで世の中甘くはないだろう。
まず、永久機関が解決するのは「物質的な欲望」だけである。
例えば「彼女(あるいは彼氏)がいない」という悩みを、永久機関は解決しない。
なので、ユートピアが実現したとしても、何らかの問題、悩み事は依然として残るだろう。
だからといって、それが永久機関ユートピアを否定する理由にはならない。
少なくとも、明日の食いぶちに困らないことは、人類にとって大いなる前進であろう。


次に、たとえエネルギーと工業製品が無尽蔵に手に入っても、
労働がゼロになるかどうかは大いに疑問であろう。
サービス業、情報を提供する仕事、医者や弁護士、先生や相談役、
そういった労働は相変わらず残るのではないか。
もちろん、やらねばならない仕事は完全に無くなるわけではない。
しかし、機械任せにできないがゆえに人間に残された仕事は、
全て「やりがいのある、おもしろい」仕事ばかりである。
つまらない、やりたくない仕事、とは「機械的な仕事」のことである。
それらは全て、永久機関とオートメーションがやってくれる。
人間に残された仕事とは、政治家、裁判官、弁護士、スポーツ選手、ミュージシャン、
ディレクター、クリエイター、デザイナー、作家、建築家、医者、学校の先生、などなど、
どれも自ら手を上げて立候補し、買って出たくなるような仕事ばかりだ。


食生活を例にとってみよう。
最低限生きてゆくだけなら「空気合成ビスケット」を食べていれば十分だ。
しかし、人間であればもっとおいしいものを、
できれば高級レストランで食べたいと思うだろう。
一方、もし自分が料理人になることを夢見たならば、
コンビニ弁当の作り手となるよりは、高級レストランのシェフを目指すであろう。
(おいしいコンビニ弁当を作っている開発担当者、ごめんなさい。
これはあくまでも一般論です。)
ここにおいて、需要と供給は一致する。
永久機関には、合成ビスケットはできても、一流レストランのシェフの真似はできない。
それゆえに一流のシェフには価値があり、人間の為す仕事にふさわしい。
人間に残された仕事は、プライドとやり甲斐を満たす、素敵な仕事ばかりなのである。
単調な機械的作業、そして何よりも「金儲けをしなければならない」というプレッシャーから、
永久機関は解放してくれるのだ。


永久機関があれば、少なくとも「お金儲けのための労働」はいらない。
最低限、無料で提供される「空気合成ビスケット」を食べていれば生きてゆけるのだから、
もう生活のための金儲けに縛られる必要がない。
そうなると大半の人が何もせず、ゴロゴロしながら日々過ごすことになるかと思う。
あるいは「仕事が無くなったら、明日から何をして生きて行けばよいのかわからない」と、
途方に暮れる人がいるかもしれない。
心配ご無用。
もしすることがなかったら、何もせずゴロゴロしていればよいのだ。
もはや「怠惰は罪」という観念は過去のものだ。
胸を張って、気兼ねなくゴロゴロしよう。
全員が働く必要など、最初から無いのだ。
プライドとやり甲斐、生き甲斐を求める一部の人間だけが、
金銭ではなく、そのやり甲斐自体を報酬として生産活動を行えば十分だ。
現在のインターネット上にある無数のホームページ、
あるいは幾多のフリーウェアを見るにつけ、
人間は金銭的報酬なしでも十分に社会を運営してゆけると思うのである。


しかし、機械的ではなく、人間にしかできないのだが、
どちらかと言えばめんどくさく、やりたくない損な役回りもあるかと思う。
例えば町のゴミ回収係、交番のお巡りさん、道路や線路や電線の保守見回り、
そして何にも増して永久機関とオートメーション装置の保守点検作業がある。
こういった仕事は、地味だし、めんどうだし、できればやりたくないことかもしれない。
でも、こういった地道だが不可欠で大事な仕事は、
果たして金銭的報酬が無ければ絶対誰一人として行わないのだろうか。
いまいちど考え直してみて欲しい。
例えば、あなたの住んでいる家についてはどうだろう。
掃除に洗濯、ゴミ出しなど、誰かが、多くの場合お母さんが、
こういった地味でめんどうな仕事を無償で引き受けているのではなかろうか。
家庭内の掃除担当者は、金銭的報酬、あるいはおこずかいが無ければ掃除しないのだろうか。


「地味でめんどうな仕事は、金銭的報酬が無ければ誰も行わないのか。」
ここで私は、金銭的報酬が100%不要だと断言できる自信は無い。
この質問を突きつけられて、
「私だったらお金無しでも引き受けてもいい」という人がたくさんいれば、
お金無しでも成り立つだろうし、
「先立つものが無ければ、無駄なことは一切しない」という人がたくさんいれば、
やはりお金は人の世に不可欠ということになるだろう。


たとえ金銭的報酬を用いずとも、労働意欲を維持する要因はいくらでもある。
地味な労働への感謝の気持ち、この仕事が不可欠なのだという理解、
地域への愛着、世間に対するプライド、近隣の相互監視、
持ち回りの当番制、法律による義務化、道徳や宗教的信条、などなど。
これらを総合的に用いることによって、
金銭的報酬無しで社会を運営することは十分可能と思われる。
歴史を振り返れば、人類には長い期間、金銭抜きで生きてきた実績があるのだから。


お金は現代社会の中心である。
いかに永久機関が浮世離れしているとはいえ、
お金が無くなった世界など想像もできない、という人は多いのではないかと思う。
そこで、あと3点ほど「お金の要らない世の中」についての疑問に答えておこう。


1.お金がないと、本気で仕事をしないのではないか。
私はむしろ、お金に追われる強迫観念がない方が、のびのびと良い仕事ができる。
そして、この質問に対する正確な答は、各人がそれぞれ胸に手を当てて自問自答してみるしかない。
私と同じような性質の人もいるだろうし、そうでない人もいるだろうから。
ただ、永久機関ユートピアの場合、全員に労働を強いる必要がないので、
一部にお金なしで本気に仕事ができる人がいれば、それで十分なのである。


2.お金がないと、現在よりもサービスの質、量共に低下するのではないか。
たぶんそうなるだろう。
これも最終的には個人の好みの問題だが、
私には、お金で動いている現代社会の方が、不要にサービス過多であるように思える。
その不要に多いサービスとは、お金の力で仕方なく行っているサービスのことである。
サービスを受ける側としては、お世辞でも営業スマイルでも、
それなりに嬉しいのかもしれない。
しかし、仮にサービスを受けた側の満足感以上に、
サービス提供者が負担を強いられていたとしたら、
全体としてはマイナスであろう。
であれば、最初からサービスが無かった方がトータルでは良かったことになる。
お金が無くなった時点でサービスを受ける側の満足は低下するだろうが、
サービス提供者の負担は軽減するので、全体として世の中が悪くなるわけではない。
ただし、お金の分配によってこれまでサービスを受ける側だけにいた人にとっては、
確実に世の中悪くなったと感じるであろう。
反対に、いつもいやいやながらサービスの提供ばかりしてきた人にとっては、
確実に良い世の中になる。


3.自発的なボランティアが損な役回りを引き受けて、
働かない人はゴロゴロするだけで全く何もしないだろう。
何と不公平なのだろうか。


1点目、ボランティアをこなした人は、自分自身の経験、
周囲からの信頼と尊敬などを含めて、本当に「損」しているのか。
2点目、仮にゴロゴロの人と比較して「損」していたのだとして、
それがどうしたというのか。
3点目、ならば、お金を導入すれば不公平のない正しい分配が行われるのか。


どうだろうか。
人類の夢、永久機関がどれほどすごいものか、お分かりいただけただろうか。
永久機関があれば、
「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」
が実現できる。
無限を手に入れるとは、そういうことなのである。

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さて、いままで「もしも永久機関があったなら」という仮定のもとで話をしてきたが、
この仮定は本当に必須なのだろうか。
永久機関がなければ、
「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」
は実現できないのだろうか。
改めて考え直してみたい。


確かに人類は永久機関を有してはいないし、今後有することもないであろう。
その代わり人類は、あと50億年は持つであろう、巨大な核融合炉を有している。
これでは役不足なのか。


宇宙に出て太陽エネルギーをかき集めてくれば、人類は現在と比較して、
ほぼ無尽蔵に近いほどの巨大なエネルギーを入手できる。
そうすれば、上の永久機関ほどではないにせよ、
それにかなり近い形でユートピアを実現できる。
「空気合成ビスケット」は非現実的かもしれないが、
ただの「合成ビスケット」であれば、人類全体に行き渡らせることは十分に可能だ。
栓をひねれば湯水のごとくあふれる工業製品は無理かもしれないが、
地球上の全家庭に、浄水器、冷蔵庫、洗濯機、パソコンとインターネットを
配る程度なら実現できるだろう。


物理的に実現可能なユートピア修正案、
「太陽オートメーションシステム」とは、次のようなものだ。
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宇宙に進出して太陽発電所を築き、膨大なエネルギーを確保する。
一方地上では、コンピュータ+オートメーション+ナノマシンの開発に注力し、
主要な生産物を、ほぼ全自動で作り出すシステムの完成を目指す。
この太陽オートメーションシステムの目標は、次の3項目である。


* 地球上の全員が、とにかく「食っていける」だけの食料生産。
* 地球上の全員が、健康で文化的な生活を維持できるだけの工業生産。
* 圧倒的に少ない労働量。


なお、太陽発電所を通じて宇宙からエネルギーを取り込むことになるので、
地球規模の温暖化に備え、大規模放熱システムの配備を怠ってはならない。
放熱システムには人類の英知を投じる必要がある。
例えば軌道エレベータに付随して、巨大放熱板を建造するとか、
高々度まで一定密度に大量の放熱気球を上げるとか、そういったものが想像される。
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太陽オートメーションシステムの主眼は「働かざる者食うべからず」という、
従来の常識を打ち破ることにある。
最低限食ってゆけるという保証があれば、大半の労働者が「無理にあくせく」
活動する必要がなくなる。
結果として、現在の社会に見られる「無駄な大量消費」はほとんど無くなるので、
必要なエネルギーは思ったよりもわずかで済む。


あらゆる革新がそうであるように、この太陽オートメーションシステムを導入した場合、
得られるものと失うものがある。


現代社会と比べて失うものは、
* 提供されるサービスの質と量。
* 一極集中した富と、極端な贅沢、高級品の類。
* 社会変化と技術革新のスピード。


反対に得られるものは、
* お金が要らない。
* 働かなくても良い。
* 勉強しなくても良い。


総じて、現在一部の先進国が享受しているような「豊かさ」が失われ、
その代わりに圧倒的な時間の自由が手に入る。
何よりも「食っていけないのではないか」という不安に怯える必要がない。
世界中の全員が。


最終的に人類がどちらを望むかは、私の一存では決められない。
働かなくても良い世界は確かに魅力的だが、
かゆいところまで手が届く情報サービス、次々と登場する新型デジタル機器や、
世界各地から集めた食材のグルメ料理はあきらめなければならないだろう。
もちろん、私個人は「太陽オートメーションシステム」に一票を投じる。
なぜなら私にはやりたいことがたくさんあるので、そのための自由な時間を望むからである。

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以上の「太陽オートメーションシステム」によって、人類はその気になれば
「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」
を実現できるのである。
もちろん人類が「社会的に」このシステムを受け容れられるかどうか、幾多の疑問が残る。
ただ、少なくとも「物理的に」は実現可能だ。


遠い将来、あるいは想像よりも近い将来、人類は宇宙に進出して
巨大なエネルギーを手にするときが来るであろう。
その暁には、日々の労働から解放された、真に自由な人々の姿を目にすることだろう。
しかしながら、これを読んでいる読者にとっては、遠い将来のことよりも、
すぐ近くの明日の方が切実であろう。
人類の宇宙進出を待ってはいられない。
できれば自分が生きているうちに「働かなくても良い世の中」が実現しなければ、
あまり恩恵に預かることができない。


そこで、さらに考えを進めよう。
いままで「もし膨大なエネルギーが入手できたら」という仮定のもとで話をしてきたが、
この仮定は本当に必須なのだろうか。
膨大なエネルギーがなければ、
「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」
は実現できないのだろうか。


少し考えてみればわかるだろう。
答は「実現可能」である。
少なくとも、物理的には。
「合成ビスケット」を地球上の全員に行き渡らせるだけならば、
現在の地球の生産力でも十分まかなえる。


太陽発電による膨大なエネルギーが無かった場合、
現時点で実現可能なユートピアの姿は、上に記したものよりもさらに制限が厳しい。
地球上の全家庭に配れるのは、合成ビスケットと浄水器くらいになるだろう。
それでも、もしこの2つが地球上の全員に配れたのなら、
人類は革命を成し遂げたと言ってよいだろう。


現時点で実現可能な、ユートピア再修正案は次のようなものだ。
-------- * -------- * -------- * -------- * -------- * -------- * --------
コンピュータ+オートメーション+ナノマシンの開発に注力し、
主要な生産物を、ほぼ全自動で作り出すシステムの完成を目指す。
このシステムの目標は、次の3項目である。


* 地球上の全員が、とにかく「食っていける」だけの食料生産。
* 地球上の全員が、とにかく人間として最低限生きてゆけるだけの工業生産。
* 圧倒的に少ない労働量。
-------- * -------- * -------- * -------- * -------- * -------- * --------


「お金の要らない世の中」に欠かせないのは、
働かなくても最低限生きてゆける、という安心感なのである。
そこまで実現すれば、たとえ物質的に多少の不自由を被ったとしても、
それを補って有り余る自由な時間を、残る多くの問題解決に充てることができるだろう。

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ここで1つ、現実的なお話を付け足そう。


これを書いている時点での日本国の借金はざっと773兆円だった。
1家庭への負担額は、約1643万円となっていた。
  日本の借金時計
  http://www.takarabe-hrj.co.jp/clockabout.html
  http://www.takarabe-hrj.co.jp/clock.htm


この借金を、現実的に返済できると考えている人はいるのだろうか。
無理?
ならばどうするか。


私は1つの答を用意している。


「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」にする。


これが日本の借金問題に対する、私の答案である。
お金が要らなくなれば、もはや借金を返す必要もない。


そんなアホな、と思われるかもしれない。
それでは、もしこれがアホ思うなら、これ以外(と財政破綻以外)の具体的な答案を、
私の元まで送ってきて欲しい。


「お金の要らない世の中」は一見奇抜なようだが、
よく考えてみるとこれが最も人道的、かつ最も無理のない解決方法に思える。
「まともに返済する」という選択子は、すでに現実的ではない。
であれば、どのみちどこかに「チャラにする」という過程が入る。
そして、「チャラにする」過程で受けるショックをいかに小さくするか、
ということが今から具体的に取れる方策なのである。
どのみちもう墜落は避けられない。
であれば、いかにソフトに軟着陸させるかを考えた方が良い。
ショックを小さくする具体的な方法とは、
可能な限りお金に対する依存度を下げておくことだ。
お金が大事だと思うからショックなのである。
お金なんてどうでも良い、いっそ無くてもよい、という状態になれば、
問題は自然消滅する。


「お金の要らない世の中」をアホと思うかどうかは勝手だが、
何もしなくても、どのみちいつか破綻は生じる。
ならば駄目もとで、あがいてみるのも悪くないだろう。

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大量のエネルギーさえあれば、人類に不可能はない。


こんなことを言い出したのは、何もこれが最初ではない。
20世紀初頭、人類はかつて無い、桁外れのエネルギーの存在に気付き始めていた。
もし原子核から巨大なエネルギーを取り出すことができれば、もはや人類に不可能はない。
あらゆる問題は、科学の力で解決できる。
当時の科学者の中には、無邪気にそう考えていた人もいたらしい。
今となっては想像するしかないが、当時としてはむしろ
希望+楽観論の方が主流だったのではないか。


それから100年が経った。


原子力は人類にいろんなものをもたらしたが、
残念ながら人類は、100年前に無邪気に思い描いた通りにはならなかった。


ということは、ただ扱えるエネルギーを増やしたからといって、
それだけでユートピアが実現できるわけではない、ということだ。
仮にいま無限のエネルギーが手に入ったとしても、扱い方が悪ければ、
原子力と同じ歴史を繰り返す可能性の方が高いであろう。


今後、人類は宇宙に進出して太陽発電なりスペースコロニーなりを建造するのだろうが、
そこまで世の中が進んだとしても、ある種の心構えができていない限り、
いつまで経っても「お金の要らない世の中」、
あるいは「世界中の全員が飢えない世の中」は実現しないであろう。


結局のところ、エネルギーの多寡は「お金の要らない世の中」に対して、
決定的な要因(パラメータ)ではないのだ。


「お金の要らない世の中、働かなくても良い世の中、勉強しなくて良い世の中」は、
* 仮に無限大のエネルギーがあったと考えれば想像しやすく、
* 膨大なエネルギーがあれば実現は比較的容易であり、
* 現状通りのエネルギーしか無くても、なお実現可能であり、
* 現状より少ないエネルギーしか無かったとしても、心がけによっては実現できる、
そういう世の中なのである。


  >> 「科学の力で怠けよう!」へ続く
  http://d.hatena.ne.jp/rikunora/20080421/p1

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