電子といっしょに動いたら

Q:電線の中を流れている電子といっしょになって自分が動いたら、周囲に発生している磁場は消えるのか?
A:ローレンツ収縮によって電荷密度が変化するので、力のつじつまが合う。

電線の中を流れる電子のスピードは、実は「人が歩く程度の速さ」であると以前のエントリーに書いた。[id:rikunora:20080628]
ということは、電流と同じスピードで電線の隣を実際に歩くことができるわけだ。
電子と同じスピードで歩いている人から見れば、そこにはあたかも電流は流れていないかのように見えるだろう。
ちょうど川の流れと同じスピードで下っている人から見れば、水が静止して見えるように。
ところで、電流が流れると、その周囲には磁場が発生する。
電流が無く、電子が止まっていれば磁場は発生しない。
ということは、電子と同じスピードで歩いている人から見れば、電流の周囲に発生している磁場は消えてしまうのだろうか。

もし磁場が消えてしまったら、おかしなことになる。
電磁石で鉄をくっつけているときに、誰かが電磁石の周りをグルグル回ったら、その人にとっては鉄はくっつかないのだろうか。
スピーカーには電磁石が使われているが、電流に合わせてスピーカーの周りを動き回れば、音が消えてしまうのだろうか。
もしそのとき、もう1人別の人がスピーカーの正面に座っていたとしたら、動いている人には音が聞こえなかったのに、座っていた人には音が聞こえるのか。
そんなはずは無かろう。
動き回っている人から見ても、座っている人から見ても、スピーカーからは実際に同じ音が聞こえてくる。(ドップラー効果を差し引いて)
ということは、動き回っている人から見て磁場が無くなったように見えても、その無くなった磁場を補うような形で何らかの補正が入っているのだと考えざるをえない。
そうでなければ、事実とつじつまが合わない。
この何らかの補正とは、「ローレンツ収縮」のことである。
動いている人から見る世界は、座っている人から見た世界と比べて、進行方向に対してほんの少しだけ「縮んで」いる。
縮むとそれだけ電線に入っている電荷の密度が上がり、電場が少しだけ強くなる。
そして、この電場が強くなった分は、ちょうど磁場が無くなった分を補う。
結果として、電子に対して動き回っていている人も、座っている人も、全く同じ現象を見ることになるのである。

こう書くと「ローレンツ収縮」という何やら神秘的なメカニズムがあって、それが空間を縮めたり伸ばしたり、想像を絶するアクロバットを行っているような印象を与えるかもしれない。
しかし、話の順序は逆なのだ。
電流や磁場のことを調べてゆくと、どこかでうまいこと調整しないと矛盾が生じてしまう。
その代表例が「見る人の移動速度によって、磁場が生じたり消えたりする」ことなのである。
この矛盾を解消するために、しわ寄せがいった先が「空間の長さ」だった。
そして(きっと最初は半信半疑で)空間の長さの調整方法をまとめたものが「ローレンツ収縮」と呼ばれるようになったのだ。

考えてみると「動いているときにだけ磁場が発生する」という現象は、とても不思議なことだと言わざるを得ない。
たとえ電子が(普通は地球に対して)止まっていたとしても、自分が動けば見かけ上電子は動いているように見える。
(地球に対して)空気が静止していても、自分が走れば風を受ける。
それと同じように、自分が走ればあちこちにある電荷から「磁場の風」を受けるはずだ。
ところが実際に、我々は「磁気嵐」の中に暮らしているわけでは無い。
つまり、空気に対する動きと、電流に対する動きは、どこか根本的にメカニズムが異なっているのである。

相対性理論の原理の1つに「光速度不変の原理」がある。
「真空中の光の速さは光源の運動状態に無関係に一定である」というものだ。
光速度不変の原理は「原理」と付くだけあって、何らかの理論や数式から導かれたものではない。
実験によって確かめられた事実である。
ただ、普通の人が日常で光の速さを測定することは、なかなか難しい。
なので相対性理論とは、どこか遠い宇宙の彼方の夢物語のように感じられる。
ところが、実のところ(特殊)相対性理論はごく身近なところにあって、確かめることも簡単にできるのだ。
光とは電磁波である。
光速度不変とは、電場と磁場に分解して考えれば「電気と磁石のふるまいがどこから見ても同じに見える」という事実に還元される。
光速度の測定が難しくても、電気と磁石の実験ならば簡単だ。
方位磁石を1個持ったまま、静電気の近くをあちこち歩き回るだけで良い。
その結果、磁石が常に南北を指していれば、やはり「磁場の風」は無かったのだということになる。

それでは、電子といっしょになって動いている人から見て、電場と磁場はどのように「つじつま合わせ」を行っているのか、考えてみることにしよう。
まず予備知識として、光の速度が電磁気のふるまいによって記述できることを知っておく必要がある。
光速度をcとすると、
  c^2 = 1 / (ε0 μ0)
    ε0 : 真空の誘電率
    μ0 : 真空の透磁率
となっている。
真空の誘電率とは、離れている2つの電荷の間にどれほどの力が働くかを表した数のこと。
真空の透磁率とは、離れている物体に磁石がどれほど影響を及ぼすかを表した数のことだ。
要は「電場と磁場の固さ」がわかれば、そこから電磁波の速度がわかってしまうのだ。
実は、これが光が電磁波であることを示す1つの証拠なのである。

いま、非常に長い電線が2本平行に置かれていて、電線の中に電子がいっぱいつまっていた(帯電していた)としよう。

電線に電流が流れていなければ(電子が止まっているように見える人にとっては)、2本の電線の間には電荷同士の反発力が働いているように見える。
電線の単位長さあたりの反発力をfとすると、
  f = (q1 q2) / (2 π r ε0)
    q1, q2 : 単位長さあたりの電線が保有している電荷
    r : 2本の電線間の距離
となる。
(教科書などに載っている2つの点電荷の間に働くクーロン力
  f = (q1 q2) / (4 π ε0 r^2)
であって、上の式とは違っている。
上の式では長い電線=円柱を考えているのに対して、下の式は点電荷=球面を考えているのが違いだ。)
一方、電線に沿って速度vで移動している人から見れば、電線には電流が流れているように見える。
2本の電線に流れる電流をそれぞれ i1, i2 とすると、電流とは電荷の移動なのだから、
  i1 = q1 v
  i2 = q2 v
となる。
電流は周囲に磁場を形作り、2つの磁場同士は互いに引き合う。
2つの電流の間には働く引力Fは、電線の単位長さあたりで
  F = (i1 i2 μ0) / (2 π r)
となる。
問題となるのは、電子が静止している人から見れば反発力fしか働いていないのに、電流が流れている人から見れば引力Fも働いていることである。
ここで2人が感じる力が同じになるようにつじつま合わせを行うなら、電流が流れている人が感じる反発力を強引に増やすことになるだろう。
つまり、電流が流れている人が感じる反発力f’を
  f’= { (q1 q2) / (2 π r ε0) + (i1 i2 μ0) / (2 π r) }
といった具合に水増ししてしまうのだ。
式を整理すると
  f’= { (q1 q2) / (2 π r ε0) + (q1 q2 v^2 μ0) / (2 π r) }
    = (q1 q2) / (2 π r ε0) { 1 + ε0 μ0 v^2 }
ここで、先の「光の速度の予備知識」を使うと、
  f’= (q1 q2) / (2 π r ε0) { 1 + v^2 / c^2 }
    = f { 1 + v^2 / c^2 }
つまり、どういう理由か知らないが、もとの反発力fに { 1 + v^2 / c^2 } という補正を行えば、話のつじつまが合うことになるわけだ。

この { 1 + v^2 / c^2 } という補正は、どこから湧いてきたのだろう。
想像力をたくましくすればいろんな可能性があるだろうが、ここでは「人が速度vで移動する向きに電線の長さが縮む」のだと解釈しよう。
電線は、どの程度の割合で縮むのだろうか。
その縮む割合を、ここでは 1/γ という記号で書くことにする。
縮む割合の記号を用いて、改めて力のつじつま合わせの式を書き直してみよう。
電線が縮んだ分だけ電荷が圧縮されるのだから、圧縮された電荷
  q1' = q1 / γ
  q2' = q2 / γ
この電荷を「つじつま合わせの式」に代入してみると、
  f’= f { 1 + v^2 / c^2 }
  (q1' q2') / (2 π r ε0) = (q1 q2) / (2 π r ε0) { 1 + v^2 / c^2 }
  (q1 q2) / (2 π r ε0 γ^2) = (q1 q2) / (2 π r ε0) { 1 + v^2 / c^2 }
  1 / γ^2 = { 1 + v^2 / c^2 }
  γ^2 = 1 / { 1 + v^2 / c^2 }
つまり、電線が縮む割合γは
  γ = √{ 1 - v^2 / (c^2 + v^2) }
となる。
この式は、相対論で言うところのローレンツ変換とほぼ同じだ。
正しいローレンツ変換の式は
  γ = √{ 1 - v^2 / c^2 }
である。
vがcに比べて非常に小さければ、2つの式はほぼ一致している。

本当は計算の結果、正しくローレンツ変換が出てくると思っていたのだが、どこかに見落としがあるようだ。
なので、上の計算は泥縄式である。
たぶん速度vで移動している人から見れば、2本の電線間の距離は r 固定ではなく「斜めに」見えるのだと思う。
正しくローレンツ変換を導くには、やはり正道で4元ベクトルとかやらないとだめみたいだ。
それでも、「電子といっしょに動いたら」という疑問と、高校物理の知識だけでローレンツ変換もどきにたどり着けるのは、それなりに価値があるんじゃないかなあ。

(ちなみにカテゴリーが「電気屋さんの常識」となっているが、いつの間にか常識からかけ離れてきた。
いや、相対論は21世紀の常識なのだ。)

なぜ E = mc^2 なのか?

Q. E = mc^2 という関係式は、どのようにしてできたのか?
A.そのように考えると、どこから見ても電磁気現象の結果が同じになり、つじつまが合う。

 エネルギー(E)= 質量(m)×光速度(c)の 2 乗

これは物理学上最も有名な関係式だと思うが、この式がどこから出てきたかについては、それほど有名ではない。
この式を理解するためには、まず「光の運動量」というものを知る必要がある。

光は質量がゼロなのに、なぜ運動量を持つのか?
これはもっともな疑問だ。

話は電気と磁石の関係にまでさかのぼる。
前回の「磁力線は磁石にくっついているのか?[id:rikunora:20080702]」の中で、
単極誘導では磁石の運動は起電力に関係しない、と書いた。
単極誘導でなくても一般に、電荷に影響を及ぼすのは「磁界の置かれている空間そのもの」であって、磁石ではない。
天井がN極、床がS極となっているような一様な磁界で満たされた部屋の中で電荷を動かせば、
電荷は磁界から力を受けて向きを変える。
ところで、物体が運動の向きを変えるときには、必ず「何かをけって」向きを変えているはずだ。
私たちが走ることができるのは「地面をけって」いるからであり、
船が進むことができるのは「水をかいて」いるからであり、
飛行機が飛べるのは「空気を押して」いるからである。
同じように、磁界の中で曲がる電荷も「何かをけって」いるはずなのである。
その「何か」とは、何か?
磁界から力を受けているのだから、その発生源である磁石をけっているのか?
もしそうであれば、磁石の運動が電荷に直接影響を与えてもよさそうなものだが、実際にはそうなっていない。
ということは、電荷はやはり「磁界の置かれている空間そのもの」をけっているのである。

「物体が運動の向きを変えるときには、必ず何かをけっているはず。」
これは、いわゆる「運動量保存の法則」というやつである。
磁界の中に置かれた電荷の運動量はどうなっているのだろうか。
1.電荷は磁界の置かれている空間そのものをけっている。
2.運動量保存の法則は、電磁気では成り立たない。
この2つのどちらが正しいかは、実験によって確かめるしかない。
実験した結果、正しかったのは 1. の方だったのである。

どういうことか。
つまり、電磁場は運動量を持っていた、ということなのである。
電荷が向きを変えるとき、その反作用として、変化した電磁場は運動量を有する。
そして変化した電磁場は、運動量を有したまま空間を伝わり、どこか吸収される先に運動量を伝達することになる。
「空間を伝わる変化する電磁場」、これこそ電磁波のことであり、また、光のことでもある。
光が運動量を持つ、というのはこういうことだったのだ。
確かに、電磁波=光に質量は無い。
しかし、変化する電磁場が運動量を持つと考えなければ、電荷が「何かをけって」動いているはず、
というところでつじつまが合わないのだ。

電荷が空間そのものをけって動いている、という事実は、
理屈では解かっても感覚的にはとても不思議で受け容れがたい気がする。
私自身も正直に言うと、空間そのものが運動量を伝達するというのは、いまだもって謎だと感じている。
磁石が遠くのものを引きつけるのも不思議だが、電磁波が何もない真空で何かを伝えていることは、もっと不思議だ。
ただ、人が不思議と思おうが、あたりまえだと思おうが、とにかく実際に測定してみると、光は運動量を持っていたのである。

光が運動量を持つ証拠として、まっさきに挙げられるのが「光電効果」、そして「コンプトン効果」であろう。
光電効果とは、光の持つエネルギーは波長に比例する、ということを示した実験。
コンプトン効果とは、原子に光を当てたときに、跳ね返ってきた光と、はじき飛ばされた電子から、
光の運動量がわかるという実験である。

ここの説明がわかりやすいかと思う。
 「ミクロの世界」 − その1 − (原子の世界の謎)
 第3部: 光の粒子の発見
  光量子仮説 と 光電効果
* http://www2.kutl.kyushu-u.ac.jp/seminar/MicroWorld/Part3/P36/photo_electron.htm
  コンプトン効果
* http://www2.kutl.kyushu-u.ac.jp/seminar/MicroWorld/Part3/P37/Compton_effect.htm

コンプトン効果や、光電効果の実験から、光の運動量について次のようなことがわかった。
 E = hν   -- 光の持つエネルギーは、周波数に比例する。
 p = h / λ  -- 光の持つ運動量は、波長に反比例する。
 c = λν  -- 光速とは、波長x周波数のことである。
上の3つから、光の運動量とはこうなることがわかる。
 p = E / c  -- 光の運動量 = エネルギー / 光速

以上、詳細をはしょったが、アインシュタインの関係式を理解するためには、
最低限、実験によって p = E / c という結果が得られた、ということを認めれば充分だ。

さて、いよいよ本題の E=mc^2 にとりかかろう。
以下に書くことは、アインシュタイン自身が1946年に発表した証明方法である。
私はそれをさらに、「アインシュタイン相対性理論」{M.ボルン、林一訳} という本で見たので、孫引きである。

質量Mの静止している物体に対して、左右両側からエネルギー E/2 だけの光を当てた状況を考えてみる。
光は物体に吸収されるのだが、左右から同時に当てているので、特に物体が動き出すわけではない。

同じことを、上から下に、一定速度 v で運動している人から眺めてみる。
この人から見れば、光は物体の斜め下から当たっているように見える。

斜め下から当たったのであれば、光は運動量を持つのだから、物体は上に加速するはずだ。
ところが実際に物体は加速するわけではないから、それだけ物体が重くなったのだと考えるよりない。
つまり
* 相対性原理 -- 静止した人から見ても、一定速度で動いている人から見ても、現象の結果は同じに見えるはず。
* 運動量保存の法則 -- 登場するもの全ての運動量の総和は、常に等しい。
この2つのつじつまを合わせるためには、物体の質量が増加したとするしかないのである。

物体の質量の増加分を m とする。
光が当たったことによって、物体が得た運動量は
  p・(v / c) = (E / c)・(v / c) = Ev / c^2
である。
(v / c) のところは図を見ればわかると思うが、見かけ上の c の値が一定だという所に
* 光速度不変の原理 -- 光の速さはどこから見ても(異なる慣性系から見ても)常に一定値 c となる。
という前提が入っている。
光だからこそこうなるわけで、たとえば野球のボールが当たっても(ほとんど)こうはならないことに注意。

物体が得た運動量が質量の増加分に等しいのだから、
  Ev / c^2 = m v
となる。つまり、
  E / c^2 = m
そして、
  E = m c^2
という結果たどり着く。

途中の式の変形だけを見ると、結果を合わせるために、半ば強引につじつま合わせをしているように見えなくもない。
「物体の質量が増加したとするしかない」といった理屈で、m を導入しても許されるのか?
それが許されてしまうのは、何もアインシュタインが有名だからではない。
結局のところ、このように半ば強引かつ大胆につじつま合わせした結果が、実験に合っていれば勝ちなのだ。
そして E = m c^2 は、その後明らかになった実験事実に一致していたのである。

つまるところ、 E = m c^2 とは
* 相対性原理
* 運動量保存の法則
* 光速度不変の原理
を守ろうとつじつまを合わせた結果、出てきた考え方なのである。
そして、この一見奇抜に見えた考えが、その後世界を驚かす事実を生み出すきっかけとなったのだ。

磁力線は磁石にくっついているのか?

Q.磁力線は磁石とくっついて、一体となって動くのか?
  それとも空間に放たれた時点で、もとの磁石とは切り離されるのか?

A.どちらかと言えば、切り離されると考えた方がよい。

電気と磁石の関係は、想像以上に不可思議だ。
次の装置は「ファラデーの単極誘導」として知られる発電機である。

この発電機は、1枚の金属円盤と、1個の円柱形の磁石を、同一の軸線上に置いた形をしている。

1.磁石を固定し、その上で金属円盤を回すと、金属円盤の中心と縁との間に起電力が生じる。
 これはたぶん中学校の理科で教わったことだろうと思う。

それでは、クイズ:
2.金属円盤を固定し、磁石を回したら、起電力は生じるだろうか?
3.金属円盤と磁石を、合わせて両方回したら、起電力は生じるだろうか?

答:
2.磁石だけを回しても、起電力は生じない。
3.合わせて両方回すと、起電力が生じる!

これはちょっと意外な結果だろう。
起電力とは、磁石と電荷の相対運動の結果ではなかったか。
つまり磁石に対して電線が動くか、あるいは電線に対して磁石が動いたときに生じるのではなかったのか。
なのに、
2.電線に対して磁石が動いているはずなのに、電力が生じない?
3.電線と磁石の位置関係は変わっていないのに、電力が生じている!

気の早い連中は、これは「現代の物理学では解明されていない」とか、
「この仕組みを利用して、空間から無尽蔵にエネルギーが取り出せる」とまで主張している。
そんなはずは無いと思うのだが、それではどう解釈すれば、この現象がすっきりと理解できるのだろう?

単極誘導の結果をそのまま受け止めるなら「磁石の回転は、起電力には無関係」だということになる。
これは、学校で教わった知識「磁石を動かすと電気が生じる」とは食い違う。
なぜだろうか。

表題の「磁力線は磁石にくっついているのか?」という疑問は、ここから来ている。
もし「磁力線は磁石にくっついたまま」、もとの磁石の動きに合わせて動くものだったなら、上のような結果にはならないだろう。
では、学校で教わった「磁石を動かすと電気が生じる」といった状況はどんなものだったか、もう1度復習してみよう。
磁石を動かすと電気が生じる場面は、主に次のようなものだったと思う。

A.十分長いまっすぐな電線の上で、棒磁石を横に振ってみる。
B.円環状の電線に対して、棒磁石を近づけたり、遠ざけたりする。

両方の場面に共通するのは、磁石が近づいたり、遠ざかったりすること、つまり「磁場の強さが変化している」のである。
学校で普通「磁石が動く」と言っているのは、より正確には「磁力線の密度が、上がったり、下がったりする」ことなのだ。
この意味において、磁石の動きは起電力を生じる、と言ってよい。

一方、単極誘導の場合、円柱形の磁石を回したところで磁場は強くなったり、弱くなったりしない。
磁力線の密度自体は変化していない。
これだと、磁石の動きは電気に全く関係ないのである。

もし表面に何の模様もない、ツルツルの円盤が回転していたら、ちょっと見には回転しているかどうか見分けがつかないだろう。
ジェットエンジンの吸気口にあるタービンの軸には、渦巻きの模様が書いてある。
あの模様は、エンジンが回っているかどうかぱっと見でわかるようにとの配慮らしい。
ジェットエンジンのタービンはあまりにもきれいに回るので、回っているかどうかの見分けがつきにくい。
回っていることに気付かず、エンジンに吸い込まれてしまう事故を未然に防ぐため、タービンにはわざわざ模様が付いているのだ。
もし回転する物体に何の模様もなく、全くのツルツルで摩擦も無かったら、そもそも回転しているかどうかの区別が付くのだろうか。
(回転軸を動かしてみれば、力のかかり具合で回っているかどうかの判断が付く。
 しかし、物体を外から見ただけでは、回っているかどうかの手がかりが全くない。)
単極誘導で回転する磁石は、これに近い。
外から磁力線の様子を調べただけでは、回転しているか、していないかの判断が全く付かないのだ。
なので、単極誘導の場合、磁石の動きは電気に何の関係も無かったのである。

こんなわけで、表題に掲げた「磁力線は磁石にくっついているのか?」という質問の答はやや複雑になる。
磁石の動きは、磁力線の密度が変化する場合には意味があり、そうでない場合には意味がない。
なので、この質問に対しては、「どちらかと言えば切り離されている」と答えるのが良いように思う。

磁力線という言葉は、また誤解を生みやすい。
というのは、磁石から1本、2本と数えられる目に見えない線が出ているのではないか、と思ってしまうからだ。
本当は線など出ていない。
地図の上に「等高線」という線が引かれているが、実際にその場所に行ってみても、特に何も見あたらないのと同じだ。
磁力線も等高線のような1つの記号であって、単に場の向きと強さを表しているに過ぎない。
こんなこと当たり前だろうか?
恥ずかしながら私は、かなり長い間「目に見えない線」があるものだと思っていた。
というのも、磁力線は「実験的に見る」ことができるからだ。
磁石の上に紙を置いて、その上に砂鉄をパラパラまくと、砂鉄は「磁力線」の上に並んできれいな模様を作る。
どう見ても「線」だ。
しかし、だとすれば磁力線が 2.5 本といった整数値でない状況では、一体何が起こっているのだろうか。
また、磁力線と線との間隔は、実際には何ミリなのだろうか。
この疑問は、なぜ砂鉄が線になって並ぶのかを考えれば説明が付く。
磁場の中に置かれた砂鉄は、磁化されてお互い同士の頭と尻尾がくっつき合う。
近くにあった砂鉄の粒同士が引き寄せられ、くっつき合って、結果として線の形を形成するのだ。
なので砂鉄の線の本数は、砂鉄のつぶの粗さや密度、敷いた紙の状態などによって異なってくる。
「砂鉄の線の本数=磁力線の数」ではなかったのだ。
この事情は電気力線についても同じだ。
実際に「線」が出ているわけではない。
むしろ「空間全体がのっぺりと傾いている」といったイメージに近い。
こんなこと、知っている人にとっては当たり前なのだろうが、私のような先入観を持ってしまった人も少なからずいると思うのだ。

さて、単極誘導のような装置で磁石の動きが関係ないのだとすれば、次なる疑問が生じてくる。それは、
 電線は「何に対して」運動しているのか?
ということだ。
元になる磁石の運動が関係ないのだとすれば、「磁場の置かれている空間そのもの」に対しての運動だということになる。
この疑問をはっきりさせるために、次のような状況を考えてみるとよい。

中華料理屋などによくある「回転するテーブル」を用意し、その中心に単極誘導発電機を置く。
そして、今度は金属円盤を直接回すのではなく、反対に、我々自身がテーブルに乗っかって金属円盤のまわりを回転してみるのである。
我々自身が回転した場合、起こり得るのは次の4つの場合がある。

4.金属円盤と磁石は静止し、我々が発電機の周りを回転する。
5.磁石は静止し、金属円盤と我々が一緒になって磁石の周りを回転する。
6.金属円盤は静止し、磁石と我々が一緒になって金属円盤の周りを回転する。
7.金属円盤、磁石、我々の全てが一緒になって回転する。

さて、それぞれ一体何が起こるのだろうか?

回転する物体ではややこしいので、話をもう少し単純化してみよう。
問題のエッセンスは「磁場の中で、自分も電荷と一緒に動いたとき、一体何が起こるのか」という点に集約される。

一様な磁場の中に(例えば部屋全体の天井がN極、床がS極となっている中に)、1個の電子を放り込んだらどうなるか。
例えば電子が部屋を南から北に向かって直進しようとすると、電子は磁界からローレンツ力を受けて東に曲がろうとする。
(電子の電荷がマイナスであることに注意)
それでは、同じことを部屋の中で電子と一緒になって北に向かう人から眺めたらどうなるか。
この場合、電子は相対的に「運動していない」ことになる。
であれば、磁界からのローレンツ力は働かないので、電子は曲がらないのだろうか?
そうはならない。
磁界の中を一定速度で移動している人から見れば、部屋の中は一定の、東から西へ向かう電界で満たされているように見える。
そして電子は、電界に従って東に移動するのである。

同一の現象でありながら、磁界と電界についての説明の仕方は、静止している人と、移動している人で異なっているのだ。
ややこしいので再度まとめると、
・人が部屋に対して静止、電子は人に対して運動 => 電子は磁場からローレンツ力を受ける。
・人が部屋に対して移動、電子は人に対して静止 => 電子は電場に沿って移動する。
つまり、磁場や電場(の解釈)は、見方によって変わってくる、ということなのだ。

さて、こうなると、電子は「何に対して」動いているのか、いよいよわからなくなってくる。
「磁場の置かれている空間そのもの」に対してだろうか。
上の説明だとそんな気がするが、それは最初から空間内の電場がゼロだったと仮定しての話なのだ。
もし、この部屋がうんと大きい、真っ暗な無重力空間で、
天井と床が磁石になっているだけでなく、同時に外側から一定の電場をかけていたとしたら?
部屋の中にいる限り、何が静止していて、何が動いているのか、区別する方法は無いのだ。

このお話は、実は有名なアインシュタイン相対性理論「運動している物体の電気力学について」の冒頭に書かれている。
相対性理論は、
 「電磁気の現象が、誰から見ても同じになるためには、どうすればよいのか」
という疑問から出発しているのだ。
電線と磁石の問題は、実は中学校の理科では終わらない、奥の深い問題なのである。

相対性理論の観点からすると、
 ・電場と磁場は渾然一体となって相互に変換可能であり、
 ・見る人の立場(慣性系)によって、結果が変わることはない
のである。

(さっきの4.〜7.の答はどうなるか?
 もう答はわかるはず、なので自力で考えてみてください。私はかなり悩みました。)

                                                                                                                                              • -

「単極誘導」というキーワードで検索したら、こんな素敵なページが見つかった。

* ファラデーの単極誘導 / 単極モーター の実験
 http://sysplan.nams.kyushu-u.ac.jp/gen/hobby/elec/Motor/UniMotor.html

実際に製作された、いくつかのタイプのモーターの動く姿をムービーで見ることができる。

電気が流れるスピードは

Q:電子が電線の中を移動する平均速度はどれくらい?
A:人が歩く程度の速さ。

電気は電線の中のどこを流れて行くのだろうか。
電線は普通、固い金属でできている。
穴があるわけでもないし、溶けて液体になるわけでもない。
その中を、何らかの実体を持つ電子が移動するというのは、考えてみれば実に不思議な話だ。
およそ物質というものは、原子核と電子から成り立っている。
電子は、原子の中心である原子核の周囲を「波のように雲のように」取り巻いている。
量子力学のつまずきの石 [id:rikunora:20080417] )
電流とは電子が移動することなのだから、つまり「物質の構成要素そのもの」が移動している、ということになる。
そう思うと、ここで1つの疑問が湧いてくる。それは
 「電流が流れることによって、物質が溶けてしまわないのか?」
ということだ。
電子は物質の構成要素そのものなのだ。
それが移動する、ということは、物質そのものが溶けてしまうか、少なくとも変形くらいしてもよさそうなものだ。
しかし、実際に電流を流して金属が変形したという話は、(よほど強烈な電流でもなければ)聞いたことがない。

これと関連するのが、表題の疑問「電子は電線の中を、どのくらいの速さで移動するのか?」ということである。
物理に多少詳しい者であれば、「電気信号は光の速さで伝わる」と答えることができるかもしれない。
しかし、物質の構成要素が電線の中を一斉に、光の速さで移動するというのだろうか。
もしそんなことが起こっていたら、電線はもっとメチャクチャになっているはずではないか。
実のところ「電気が光の速さで走る」という答は、半分正しく、半分間違っているのだ。
ここのところが明確になっていないと、電気が流れるイメージをつかむことができないのである。

混乱の原因は、「電子を動かす力」と「実際に電子が移動すること」をごっちゃにしている点にある。
この2つは、実は別のことなのだ。
電子は物質の構成要素なのだから、電線とは、たとえて言うなら「水がつまったホース」のようなものである。
しかし電気と水が似ているのはここまでであって、実際に流れが生じるメカニズムは、電流と水流では異なっている。
水流の場合、水源からわき出した水が、まず隣にある水(の分子)を押し出す。
押し出された水は、また隣にある水を押し出す。
これを繰り返して、ちょうど玉突きのように、順番に押し出し続けることによって水流が生ずる。
要するに水流とは、ラッシュアワーの人混みや、車の渋滞のようなものだ。
だから、水流のメカニズムは感覚的に理解しやすい。

ところが電気の流れ方は、これとは異なっている。
電流の場合、まず「電子を動かす力」だけが先に伝わる。
力が伝わった後で、その力に従って、実体である電子がおもむろに動き出すのである。
例えて言うなら、まず号令が電線いっぱいに行き届き、次に号令に従って個々の電子が行進を開始する、といった具合だ。
電子を動かす力は「電場」と呼ばれている。
そして、光の速さで伝わるのはこの「電場」なのである。
実際に電子が移動する速度、実体である電子の行進は、号令である電場の伝達速度よりずっと遅い。
電子の移動速度は、電気の流れる量なのだから、つまり電流の大きさということである。
(より正確に言えば、電流は [電子の移動速度] x [電線の太さ] である。)

「電子を動かす力」は、たとえ電子という実体が無くても、それだけで真空中を伝わることができる。
つまりそれが電波である。
水流には電波に相当するものは無い。
物質的な実体無しに空間を伝わるものには、電場、磁場、重力場といったものがある。
磁石は離れたものを引きつけるが、これは感覚的には実に不思議である。
この「離れた実体を動かす不思議な感覚」が、電磁気の関わる現象には常につきまとうのだ。

実際にどのくらい電子が流れているのか、直接体感する方法は「電気分解」を見てみることだろう。
食塩水の中に電極を2つ差し込んで、直列に電池をつなげば、電極からジワーっと泡が出てくる。
あの出てきた泡の分だけ、電子は食塩水中に移動してきたのだ。
つまり電子の移動量は、感覚的にジワーっといった程度なのである。
もし電子が光の速さで動いていたのなら、泡はもっと爆発的に出てきてよさそうなものだ。
食塩水の電気分解は簡単にできる実験なので、一度やってみることをおすすめする。
 * おもしろ実験と自由研究「電気分解燃料電池」: http://www.eneene.com/omoshiro/22nen/
ただし、出てくる泡は塩素という毒ガス、残った水は水酸化ナトリウムなので、扱いには細心の注意を払うこと。

さて、電子の移動速度が実はかなりゆっくりなのだ、ということが分かれば、当初の疑問
「電流が流れることによって、物質が溶けてしまわないか?」
にも答えることができる。
実は、ほんのわずかではあるが、電流によって金属は変形することがあるのだ。
極端に小さく作られた集積回路では、電線の太さはわずか数マイクロメートルにも満たない。
そこまで細い電線だと、電流の流れる勢いによって、電線が変形して切れてしまうことが問題となってくる。
この現象を wikipedia:エレクトロマイグレーション という。
極細の電線を電子顕微鏡で拡大すると、電線は、多数の金属結晶がモザイクのように集まったものであることがわかる。
強く電流が流れると、このモザイクとモザイクのつながった隙間を押しのけて、電線にヒビが入ってしまうことがあるのだ。
やはり電流とは、電子という実体が移動するものだったのだ。
しかし、電子の移動は想像するよりもずっと穏やかで、また物質を構成する電子の一部しか移動していなので、よほど細い電線でなければ「溶けてしまう」ところまで至らないのである。

電線が溶けてしまうかどうかは、もっと身近なことからも想像が付く。
電線に強い電流を流せば熱くなる。
あれは電子の激流が原子にぶつかって、原子を揺り動かしているのである。
だから、本当に強烈な電流を流せば、電線は実際に熱で溶けてしまうだろう。

電場が先に伝わり、その後電子がゆっくりと移動する。
このことがわかると、電気回路についていろいろと見えてくるものがある。
その昔、私が疑問に思ったのは、
「どうして電気は流れる前に、回路の先に何があるのかあらかじめ知っているのだろうか?」
ということだった。
学校でオームの法則を習うとき、電池の先に抵抗をいろいろとつなげて、どこに、どのくらい電気が流れるか、電流や電圧を計算せよ、という問題が出る。
しかしなぜ、電子はまだ通過していない回路の形状や配置に従って、先に「我が身の振り先」を決めることができるのだろうか。
自分が電子となって、先の分からない迷路の中を探検する様子を想像してみると良い。
たとえ行き先に大きな抵抗が待ちかまえていたとしても、そこまで行ってみなければ、抵抗があるかどうかを手前の分岐で知ることができないではないか。
この疑問の答には、2つの要因が絡んでいる。
1つは、電子はある意味、回路全体の様子を「あらかじめ知っている」ということ。
なぜなら電子が移動するより先に、電場が回路全体に行き渡るからである。
もう1つは、電子は1個ではなく、電線の中をびっしりと満たしているということ。
なので、先に抵抗があって渋滞している道には、次の電子は自ずと入りにくくなるのである。

電気の流れをよく表した名問題の1つに、こんなものがある。
電池の先に、直列に3つの豆電球をつなぐ。
電池と、3つの豆電球の間を結ぶ線が非常に長かった(数十万キロ程度)としたら、電池をつないだとき豆電球はどの順番で点灯するのだろうか。

このお話は、確かブルーバックス等の著述で有名な「都筑卓司」という先生の書かれた本に載っていたと記憶している。
私が読んだのはずいぶん昔のことだったので、正確には覚えていない。
ふと思い起こしてネットで検索したところ、どうやら「物理トリック=だまされまいぞ」という本だったようだ。
このページに書いてあった。
「電子は、牛歩(ぎゅうほ) 戦術がお好き?」
  http://socyo.high.hokudai.ac.jp/More_HTML/buturi/news/bsn0003/a04.htm
ここでは意地悪して答を書かないので、ちょっと悩んでみてください。

デジタル電気はどっち向き

Q:デジタル回路の電流は、信号線の上をどっち向きに流れるか?
A:両方。

**** 前口上 ****
ご存じだろうか、デジタル回路の電流が、どちらの向きに流れるかということを。
現代社会はデジタル抜きでは語れない。
インターネットも、パソコンも、携帯電話も、家電も、全てデジタル電子回路でできている。
ところが、そのデジタル回路の中身がどうなっているか、知っている人はいったいどれほどいるのだろうか。
例えばパソコンについて相当詳しく、ばりばりソフトウェア開発を行っているような人であっても、
その中を流れる「物理的な電流」については全く想像が及ばない、ということがよくあるのだ。
電気回路に直接関わりのないほとんどの人は、デジタル電子回路というブラックボックスの上で生活しているのである。
これは専門分業化の進んだ社会では仕方ないことかもしれないが、ある意味、とても不安で恐ろしくもある。

私はたまたま、仕事の上でデジタル回路の中身に接する機会があった。
なので、デジタル回路の中をどのように電気が流れているのか、ひととおりは知っているつもりだ。
別にそんなに難しい話をするつもりはない。
私の知っている程度のことは、電気屋さんの間では常識なのである。
その「電気屋さんの間の常識」があまりにも狭い範囲にしか通用せず、普通の人の常識に全く入っていないことが、恐ろしいのだ。

電気屋さんの常識」程度の話であれば、当然インターネット上に載っているのではないか。
そう思ってインターネット上を探してみたのだが、どうも専門的に、難しく書かれているサイトが多いように思う。
単に私の探し方が悪いだけなのかもしれないが、電気屋さんの常識レベルの話を、ごく普通の人に知らせる機会は少ないように思えるのである。

私がそう思うに至った直接のきっかけは、このブログにある。
2ヶ月ほどの間、このブログにいろいろな駄文を載せてみたが、その中で最も人気があるのはどうやら
 「フリップフロップはどのように動くのか:[id:rikunora:20080526]」
らしいのだ。
こんな記事にアクセスが集まるのは、いかにデジタル回路が知られていないかの表れであろう。
私は最新の高度なデジタル回路について書くことはできないが、「電気屋さんの常識」レベルの話であれば、幾つか書き連ねることができる。
そう思い立って、ささやかながら、ここに「電気屋さんの常識」を書き残すことにした。

**** 前口上、おしまい ****

さて、デジタル回路の常識No.1は、表題に挙げた
 「デジタル回路の中では、電流はどちらの向きに流れるのか」
ということである。
電気回路の基本と言えば、電池と豆電球であろう。
電池と豆電球をつなげば、電流は電池のプラスからマイナスへと(電子はマイナスからプラスへと)流れてゆく。
それと同じように、パソコンの回路基盤上に配線してあるたくさんの信号線の中でも、当然どちらかの向きに電流が流れているはずだ。
パソコンの中を見ると、CPUやメモリー、ハードディスクなどを差し込む場所がある。
差し込み口には普通、たくさんの線が集まっているが、その中でプラスとマイナスが決まっているのはほんの一部(場合によっては電源線の2本だけ)だ。
それ以外の線、信号を伝える線では、どこがプラスで、どこがマイナスになっているのだろう?
同様に、ネットワークケーブルにもたくさんの線が入っているのだが、あの中を流れる電流は、パソコンからルーターに向かって流れているのだろうか、それとも逆向きだろうか?
ならば、2台のパソコンを直接ケーブルでつないだら、どっちからどっちに向かって流れるのか?

実はこの疑問、私が最初にデジタル回路を教わったときに「へ〜っ!」と思ったポイントだったのだ。
ぶっきらぼうに答えれば、信号線上の電流は「どちらの向きにも流れ得る」。
というより、デジタル回路上の電気の流れは、電池と豆電球の感触とはちょっと違うのだ。
信号を伝えるのは「電流」ではなく「電位」なのである。
水の流れに例えれば、水流ではなく、水面の高さ。
この意味をつかむためには、ちょっと面倒だがデジタルゲートの基本を知っておく必要がある。

この図は最も単純なNOTゲートの回路図である。
NOTゲートとは、論理のYesとNoを逆転する回路だ。
Yesを入力したらNoを、Noを入力したらYesを出力する。
この動作を、電気でどのように実現しているのだろうか。
まずは図を見てほしい。

図の中に丸で囲ってあるのは、トランジスタの記号だ。
普通の人は、まず「トランジスタって何だ?」ってことになると思うので、解説を。
簡単に言えば、トランジスタとは「電気で動くスイッチ」のことだ。
トランジスタには、「ドレイン(Drain)、ゲート(Gate)、ソース(Soure)」の3つの足が出ている。
そして、トランジスタはドレイン->ソースを通過する電流のON,OFFを行う。
3番目の足、ゲートに電圧をかけると、スイッチがONになって、ドレイン->ソース間を電気が通過できるようになる。
ゲートの電圧が途絶えると、スイッチがOFFになって、ドレイン->ソース間の電気は遮断される。
(なお、この図に書いてあるのは「wikipedia:電界効果トランジスタ」というものである。
 トランジスタにはこの他に「wikipedia:バイポーラトランジスタ」というのもある。)

さて、最低限これだけわかっていれば、NOTゲートの動作がわかる。
ゲートにつながっている入力端子に電圧をかければ、トランジスタの「電気スイッチ」がONになって、出力に電気が行かなくなる。
反対に、入力端子に電圧をかけないと、トランジスタの「電気スイッチ」はOFFになって、出力に電気が行くようになる。
これを見れば気付くのだが、トランジスタの「電気スイッチ」がONになったときは、ドレイン->ソース間の電気は「だだ漏れ」である。
ほとんど何もしていないのに、いたずらに電気を流す、たいへん無駄な電気回路なのである。

今日の電子回路では、さすがに上のような「だだ漏れ」の回路が使われることはほどんど無い。
トランジスタを2つ用意して、「上が開いたら、下が閉じる」、「上が閉じたら、下を開く」といった、上下で反対の動作を行う回路を2つ組み合わせてゲートを形作る。
これなら「だだ漏れ」にはならない。

上下で反対の動作を行うためには、反対の動作を行うトランジスタが必要になる。
図を見ると、上のトランジスタには○印が余計に付いているだろう。
この○付きのトランジスタは「pMOSトランジスタ」と呼ばれていて、上に登場したトランジスタとは反対の動作を行う。
つまり、pMOSトランジスタは、
 ・ゲートに電圧をかけると、スイッチがOFFになり、
 ・ゲートに電圧をかけないと、スイッチがONになる。
といった動きをする。
これに対して、反対側のトランジスタは「nMOSトランジスタ」と呼ばれている。
繰り返しになるが、nMOSトランジスタは、
 ・ゲートに電圧をかけると、スイッチがONになり、
 ・ゲートに電圧をかけないと、スイッチがOFFになる。
といった動きをする。
このように反対の動作を行うトランジスタを2つ組み合わせて、出力線を電源ラインにつなぐか、0Vにつなぐかを切り替えて、NOTゲートは形作られているのである。

NOTゲートの仕組みがわかったところで、当初の疑問だった「電流はどちらの向きに流れるか」を考えてみよう。
NOTゲートの出力線に着目する。
入力端子の電圧が0Vになって、出力線が電源ラインにつながると、電源ラインから出力線に向けて電流が流れる。
このときは「NOTゲートから外向きに」電流が流れるわけだ。
反対に、入力端子に電圧がかかって、出力線が0Vにつながると、今度は出力線から0Vラインに向けて電流が流れる。
このときは逆に「外からNOTゲートに向けて」電流が流れることになる。
つまり、電流は信号線を行ったり来たりするのだ。
これが「電池と豆電球の感触とはちょっと違う」といった意味なのである。

どちらかといえば、信号線というものを「電気が通過する道路」ととらえるよりも、「電気がたまっている水たまり」のようなものだととらえた方がよい。
電源ラインは水の供給源であり、0Vラインは排水口である。
信号線を電源ラインにつなぐと、ちょうど水たまりに水が満ちるように、信号線内が電気で満たされる。
「電位」というのは、水たまりの水位の高さのようなものだ。
水がいっぱいになれば、それが次のゲートに伝わる。
信号線が一度電気で満たされてしまえば、それ以上の電気が注がれることはない。(どこかで自然漏れしていなければ)
だから、電流が流れるのはゲートを開いたその瞬間だけであり、一度安定すれば、さらに余分な電気は流れないのである。

この状態でNOTゲートの入力信号を反転し、今度は出力線を排水口の方につなぎかえる。
すると、溜まっていた水は排水口に引き込まれ、出力線内の電気は空になる。
今度の水の流れは、信号線という水たまりから、0Vラインという排水口に向けてとなる。
回路全体として見れば、電流の流れは水道である電源ラインから、排水口である0Vラインに向けて、ということになる。
その流れの途中で、電気は信号線という水たまりに、たまったり、抜けたり、といった挙動を示す。
なので、あえて信号線の流れの向きは?と問えば、いったりきたり、ということになるのだ。